幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★その2常識と非常識から仏教の本質へ入ります

<<   作成日時 : 2010/06/05 06:55   >>

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その1、常識非常識・・・から後半部分です。
スマナサーラ長老の法話より編集致しました。
仏教の教えが私たちの悩みを解決してくれます。


<常識と非常識> その2
智慧のある人は神がいるかいないかを
見てるのではなくて、我々が生きている世界をみてるのです

そしてみたらお互いに殺し合いをやっているのです
信仰はどうでもいいんですが
殺しあいは良いんですか?

だから常識がないんです
信仰やっても人殺し合いやっていい宗教なのですか?
誰かが宗教つくったら、もう喧嘩ばかりでしょ

戦い喧嘩喧嘩ばっかりで、あれ何なのかと、宗教なのかと・・・

各宗教家の間で調和が無いのなら
喧嘩するならばそれ自体宗教ではないでしょ
なんで仲良くしないのか
人類に背を向けるなよ!と言いたいのです

各宗教というのは
法律で出来なかったこと、王様に出来なかったこと
を宗教がやるために広めてきたんでしょ?
それが人殺しまでやって
何なのですか

常識は死んでいる。非常識が生きていると言うことです

俗世間の問題を観ても
ある時期、良いものが、時間がたてば変わっていく

日本の価値観ってなんでしょか
常識はなんでしょう

江戸時代から今の女性の姿はずいぶん変わりました
常識も時代の変化によって変わっています。

だから世の中でいう常識とは変わっていくのです
そんな常識はどうってことないのです
それで仏教でいう常識は表面では出せないのです
心の中身を考えているのです

教育システムもいろいろ案があっても、なかなか変わらないのは
言葉が浮いているのです
無意味であるにせよ。古い常識古いシステムに
こころは拘っている
若い人が暴動をおこして、むちゃくちゃになってから
これは何とかしなくちゃと・・・なるんでしょうか

オウムの事件は日本で起きたのでしょ
それから世界では、すぐにストップする法律が出来ちゃったのです
事件起した国でどうですか?
ためらうこと。。。やっぱり智慧がぱっと出てこないのです
同じ日本の人々でしょ
生きる権利がある。仕事する権利がある
生きる権利を奪うことは出来ないでしょ

それでその人々はどうするんでしょ
いつも群がった蜂の巣のように生きているでしょ
ひとりひとり行動できず、グループで住んでいるでしょ

信仰とは個人的なものです。国家の問題ではありません
ですから、何を信じてもいいのですが
ひとりひとり生活しなさいよ
伝統、シキタリ、習慣とは常識ではないんです
そんなのは、さっささっと変えていくんです

悪い伝統だと解かったのなら
300年だろうが1000年の歴史だろうが辞めた方がいいのです
それは常識なのです。正しい道なのです
ゆるやかに物事は変化していくんだと

仏教の仕事は常識を守るんです
万人のために自分の幸せに幸福に変化させていきましょ
今のままなら、生きにくいのなら変化させるのです
それが常識なのです

非論理的な非常識だけが生きているのです
日本の経済システムはもうとっくに変えなくては成らないのに
今までやってきた伝統を守ろう守ろうとしてる・・・

そういうインスピレーションというか
問題が起きたらすぐに答えを見つけられない

問題が起きたら直ぐに答えがでることは
仏教的な生き方です

★仏教は元気でないと出来ない
★この教えは精進努力する者の教えである
★仏教は愚か者のためではなく、智慧のあるものの教えである

仏教は何の為か、誰の為か・・・と覚えて置いてください

★智慧を目指す人のためのもの。愚か者のものではない

そうすると智慧が無いひとは可哀想ですねとなりますが
ブッダはインテリだけ集めてたのか?

それは違います

ブッダは智慧の開発の仕方を教えるのです
人々は育ててないだけ育てれば良いのです。

★世の中はとっくに非常識であるから、常識を破ることも
常識になることと同じなのです

例えで、結婚にしたって決まりは無いのです
地球の今までの歴史をみたって
いろいろのパターンがあったでしょ
奥さんを10人いたっても良いのです
ある文化で1人の女が何人か男性をもらったケースもあるのです

仏教の戒律というのは
社会で法的に決まっている法律をやぶって
異性にたいして邪な行為をするのは余計な欲になります
戒律を犯したことになります

これから社会はどう変わるか解からないのです
結婚の事に関して、今のやり方が常識とは言って欲しくないのです。
習慣であるのです。

伝統的な価値観を守っていると
どうなるのでしょか?不幸になるのです
何の意味もないシキタリ習慣を固持するのは
問題理解ができない

新しいものを取り入れる勇気、チャレンジ精神が無いのです
腰抜けだからです(私の意見として)
悪いものは一日も早く変えるのは「常識」なのです
お釈迦様は私の教えは勇気がある者のためのものです
精神弱者にはできません。とおっしゃったのです。

<我々は色々な問題に困ったとき>
よくあるのは、答えが出てこない。結論が出てこない
どうすればいいのか・・・

そこは何かにひっかかっているのです

それをよく観ると「古臭い伝統」の場合が多いのです

問題自体、言葉自体「浮いているとき」答えが出て来ないのです
「利益を出しなさい」という言葉は浮いているのです
「がんばりなさい」という言葉は浮いているのです

なんの根拠もないものに目標をつける、ノルマをつける
浮いているのです
シーリングが決まってないのです
だからストレスが溜まるのです
智慧が開発するならば、具体的に実現可能なところで決める

よくあるのは話術に迷わされる
浮いてる言葉であるかどうか、考えてみてください
言葉の遊びに惑わされないように
なんの根拠もないのです

★どんな言葉も当たり前だと理解してしまうのは止めましょう
どんな言葉もチャレンジして考えてみる訓練をする

★「何故?」は大切な言葉です

真面目に考えたほうが頭は違う方向に回転してくれる
日本のようにきめ細かくなんでも決まっている社会は
マニュアル化は文化の欠点です
人は考えなくていい・・という事にもなる

「昔から決まりだということは、あなたの判断基準ではありません」
とお釈迦様はおっしゃいます
昔からあってもなくても、自分で考えて理解しなければならない
そうすると、智慧が出てくるのです


そして
「私ブッダが言ったからといって
信じることは無いのです」とお釈迦様の言葉です

悟りの世界、涅槃解脱が何故できないかというと
世の中に束縛されているから
だから一つづつ、破ってやぶって
人間の常識をやぶっていかないと辿り着けないのです
結局どういう風に生きていても発展は見られない
社会にあわせるだけの生き方だから発展できない


★自分を発展させていってください。

人間は弱いので機械も人間に必要だけど
道具のために生きている人生になってる
コンピュータに頼り過ぎの快適生活に頼ると1人の能力は消えていく

すべての固定概念をやぶって
幻覚をやぶって真理の世界へいく
そこに何にも捉われない心の平安がある

ヴィパッサナー冥想

何も教えないで、本人が自分で発見出来るようにする
「私はあなたを助ける。あなたがあなた自身を助けるように
手助けをする」
のが指導です


仏教はかすかでも社会に迷惑をかけません

とにかく智慧を開発できるように頑張ってみてください。
ありがとうございました。

(終わり)

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