幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ●モノとこころの寿命

<<   作成日時 : 2010/08/16 04:58   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 12

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現象(組み立てられたもの)は長持ちしません。
シャボン玉のように、すぐに壊れてしまうのです。
シャボン玉はあるのではなく、すぐにはじけて消える一時的な現象なのです。
こころと身体も一時的な現象にすぎません。



今、楽しいと思っても、条件が変わった瞬間、つまらなくなります。
では、一生つまらないかというと、そうではありません。


ちょっとしたことで、また違う気持ちになるのです。

この部屋は「暖かくて気持ちいい」と思っていても、外に出たら「寒い」と感じるでしょう。



「暖かい→気持ちいい」「寒い→いやだ」となるのです。


さらに、バス停でバスを待っているときはイライラしますが、
バスが来て座席に座ると、ほっとします。




このように、こころはその時その時の条件で変わるものなのです。




こころも身体もすべてのものが現象です。



現象がどのくらい持続するかといいますと、
身体はとても早く壊れていきます。



私たちはふつう一日に三回ご飯を食べていますが、


これは激しく身体が壊れているという証拠です。




身体は一見、丈夫そうに見えますが、本当はがらがらと壊れる弱いものであり、

何か食べ物を入れて栄養を補給し続けないと、維持できないものなのです。



ですから、絶えず物資や栄養を補給し続けなければなりません。

このように身体はとても激しく壊れていくものなのです。




こころも現象です。




「怒った」という場合、それは現象であり、何か原因や条件が無かったら
怒ることはありません。




「楽しい」という場合も、原因や条件がなかったら楽しくはないのです。

ですから、怒ることも楽しいということも現象なのです。



考えることも現象です。



何も原因がなかったら、考えることはできません。
何か原因があって一時的に現象として現れているのです。




このように、心も身体も現象です。
考えることも現象です。




ことごとくすべてのものが現象なのです。




現象ということは、結局「何もない」ということです。

現象は変化します。




変化するからこそ「苦」(Dukkha)であり、そこに実体はないのです。




「なぜ苦は偉大なる真理なのか」A・スマナサーラ長老
日本テーラワーダ仏教協会冊子より抜粋




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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
 困った時はダンマパダより、おんがえしのコメントを引用します。http://76263383.at.webry.info/201001/article_19.html

 バーヒヤ尊者のお話に関連して書き込ませて頂ければと思います。…中略…
 
 たとえば、熱湯に手を触れ、「熱さ」を感じたとします。この「熱さ」は、純粋な感受(感覚)だけでしょうか?私は、そうではないと思います。
 
 「熱さ」は、過去の「冷たさ」の記憶・思考と比較しているからこそ感じるのだと思います。
 
 ですので、それは純粋な感受ではなく、思考が入りこんでいると思います。
 
 スマナサーラ長老が、六処が六根に触れたときに感受が生じ、思考が生じる、その感受と思考の間に一瞬の隙間があるという趣旨のことを暗にほのめかされた記憶がございます。
 
 クリシュナムルティ師も、「知恵のめざめ」(星雲社、訳小早川詔・藤仲孝司54頁)において、このような趣旨のことを示唆されているように思います。
 
 「六処が六根に触れたときに、気づいて止まり、思考まで行かない」、それがヴィパッサナーの奥義なのではないかと私は思っています。
 
 音が耳に触れた場合に、音とラベリングするか、聞いているとラベリングするかにつきましては、http://www.j-theravada.net/dhamma/oriori10.htmlにスマナサーラ長老のご解説がありますので、お読み頂ければと思います。
 
 なお、スマナサーラ長老が「(みなさんが聴いているのは、ブッダの教えに言う「音」ではなく)耳識」という趣旨のお話をなされた記憶がございます。
 
 ですので、バーヒヤ尊者に語られたお釈迦様のお話も俗世間のレベルで理解するのは浅智慧だと思います。
ご紹介
2010/08/16 05:05
(続き)

 それと、たとえば、カラスの声を聞いたときに「音」とラべリングしても、心で「カラスの声」と分かってしまっているならば、それは「音」で止まったことにはならないと思います。
 
 それは思考に飛んでいることになると思います。
 
 純粋に「音」のところで止まらなければならないと思います。
 
 そうすると真理の世界を発見するということだと思います。
 
 日本テーラワーダ仏教協会発行の「サティとサンパジャーナ」というテープの中で、このような趣旨のことをスマナサーラ長老が解説されていたように思いますので興味がある方はお聴きいただければと思います。(引用終わり)
ご紹介
2010/08/16 05:09
おはようございます。

今日も「聖なる真理」に触れさせて頂いて、有難うございます(^-^*)/。

2010/08/16 06:50
暑いですねぇ^^;
でも眉間にしわ寄せていらいらと「暑い暑い」って愚痴ることは無くなって来ましたよね。
一切の現象をありのままに受け入れるってことでしょうか。
いちいち愚痴っていられませんもんね(^O^)

今日もお幸せに!!
358
2010/08/16 08:30
私は、協会の人間でないので市場に出ていない布施本の内容はとても参考になります。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2010/08/16 11:38
お休み前に
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/08/16 23:49
朝も
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/08/17 08:28
おはようございます。余談です

アビダンマ講義の長老の音源で興味深い箇所があって
長老と中村元先生との対面でのこと
ある学生さんが中村先生の本へサインを求めた折に
「アッパマーダと書いてください」と長老がいうと
中村元先生は「アッパマーダってなんですか?」
と答えられるんですね
仏教の超一流研究者がそう言うのですから
冗談でしょ・・・・という話ですが
その穏やかな人柄というか何の権威も現されない
控えめな人柄。自然と周りが和む明るい雰囲気を
かもし出されておられると
そういう風なコメントがありました。

「パマーダとアッパマーダ」から少し引用します
世の中がそれなりにうまく行っているのは
能力ある人が引っ張っている
未熟なものに管理されると危険
愚かな無痴な物に支配されると余裕がなくなる

★パマーダ;放逸・・本能に基づいてやり放題する
★アッパマーダ:不放逸・・パマーダの反対で真理に
乗っ取って生活する。「智慧」を開発する修行で
アッパマーダは宝物です

あん
2010/08/17 09:28
 それは、スマナサーラ長老は、中村先生を評価すべきところは評価されて、批判すべきところは批判されているように感じます。

 中村先生のブッダの経典についての訳本は私も何冊か持っていて感謝しているのですが、やはり、あれだけ影響力のある方が、ブッダの教えを誤って伝えられている罪の面も見逃せないと思います。

 一番大きいのは、悟りを貪・瞋・痴の完全なる消滅の意味ではなく、「抑制」の意味にとらえておられるところだと思います。ニローダの意義をそうとらえたのですね。
 
 これはスマナサーラ長老からご著書で教わる前から、私自身が疑問に感じていたところなのですが、最近出ました「仏教と脳科学」(サンガ、有田秀穂氏との対談本)において、スマナサーラ長老が私以上に正確にこの点述べておられると思います。

 それから、「無我」を否定されて、「非我」論を唱えられた、この点の罪も大きいと思います。

 中村先生が唱えられると大権威ですから、日本の大学の状況においては、その中村先生に逆らう意見を述べることが難しくなって、それが有力な説になっていくという現状があるように思います。(続く)
ご紹介
2010/08/17 10:09
 さらに、これはスマナサーラ長老がしばしばにおわせていると思いますが、中村元先生は、パーリ経典から直接ではなく、英訳された経典などから、訳されている可能性があると思います。アッパマーダに気づかれなかったのは、その可能性が高いように思います。

 それと、あんさまの文章からはちょっとはっきりしないのですが、学生さんがサインを求めたときに、中村元先生の対面にいるスマナサーラ長老が、その学生さんの色紙か何かに、「アッパマーダと書いてください」とおっしゃられたということでしょうか?もし、そうならば、それは長老一流の智慧・ユーモアだと思います。

 アッパマーダは、お釈迦様の遺言に含まれている言葉です。これを知らないというのは、スマナサーラ長老が一流のユーモアでからかわれた可能性が大きいと思います。
 
 お釈迦様の遺言に含まれていることについては、「自分につよくなる」(スマナサーラ長老著、国書刊行会)93頁に記載がありますが、そこでは、アッパマーダは、

 「日本ではふつう『不放逸』と訳されていますが、正確には『はっきりと物ごとを知っている状態、サティがあること」

 と説かれています。

 中村元先生に「はっきり物事を知っていない、サティがないですよ。」とユーモアでからかわれたのでしょう。

 しかし、それもスマナサーラ長老の慈しみが背景にあることはいうまでもありません。

 中村元先生は、凄く影響力のある方ですから、間違ったブッダの教えを伝えられた場合、その罪はかなり大きくなると思います。
ご紹介
2010/08/17 10:15
 なお、ぱんさまのブログで小池龍之介氏が取り上げられ、私もコメントいたしております。
 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_8.html
ご紹介
2010/08/17 10:27
ご紹介様

本当に研究されてて、教えて頂く事ばかりです。
私の記憶からですが
長老は中村先生の本へサインを求めた学生さんの
ために本の後ろへ何か一言(それがアッパマーダ)
書いてあげてください。
と、言われたと思います。

長老のユーモアだと言われたら
納得いたします。
長老のお言葉から中村先生への批判も承知して
おります。

本当の智慧ある人格者はこうあるべき
という姿を教えて頂けますね。
なんの違和感というか人への嫌味もなく
明るい会話での出来ことでした。
あん
2010/08/17 10:30
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