幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ●智慧は無色透明で形がなく、消えないもの

<<   作成日時 : 2010/08/19 09:07   >>

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今まで知識に対する悪口ばかり言ってきましたが、
智慧とは知識とはまったく違うものです。
智慧は無色透明で重くはありません。
智慧には形がありません。
だから人の人格を固定しません。


そして智慧は消えません。


知識は消えてしまいますが、智慧は消えません。




智慧というのはその場その場で浮かぶものです。


ああなったらこうしたらいいか、
こうなったら こうしたらいいかと言うことでは無いのです。



何がおきたら「だったらこうする」と、
すぐそこで答えが現れるのです。


そしてその答えは、その場その時間での正解であって、

解決したらもう不要なものです。

だから覚えておく必要もないのです。



智慧とは能力のようなものなのですが、
それは何の能力かということは
ちょっと表現しにくくて、

ただ能力という大ざっぱな言葉でしか言いにくいのです。



智慧は形がない、水のようなものです。
水は入れ物によって、ものの見事に形を変えますね。
智慧もそういうものです。



智慧は特別に育てなくてはいけないのもです。



はっきり言えば人間を超えなくてはいけない、
人間を捨てなくてはいけないほど、
身につけるのが難しいのもなのです。



ただそんなことを言っていてもしょうがないわけで、

日常生活の中ではとにかく「私」という気持ちと感情、

それが介入しないようにすれば、けっこううまくいけるのです。



自分が「私」、つまり自我を捨てて変われば、
まわりの影響は受けなくなります。


まわりは何でもよくて、
自分で自分を育てて行動するしかないのです。


まわりの事を気にする時点で、そこに自我があるのです。


自我が出ると、「妄想」も、自我が作るものです。


「頑張ろう」という気持ちもいりません。


何か問題がおきたら「自分はそれに対してどうするか」

という判断をするだけです。

あの人ならどうするか、などということを考えるのも、

もうそれはダメなのです。<p120〜>



もう悩まない
「心が軽くなるブッダの教え」
アルボムッレ・スマナサーラ長老著書より

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コメント(26件)

内 容 ニックネーム/日時
智慧の開発には
サティ&サンパジャナと
ヴィッパッサナー冥想という理解でよろしいでしょうか
358
2010/08/19 09:30
358様
「知識」から得た言葉や
本からの引用で言うのは簡単ですが
実際問題としては
なかなか難しいものがありますよね〜
お釈迦様がおっしゃるように
各個人の性格ってものがありますね

一緒に勉強して参りましょう
るんるん
あん
2010/08/19 10:02
 日本人は、無宗教だと言われますが、私は、井沢元彦氏がおっしゃるように本当は「神道」徒(戦前戦中の国家神道ではなく古来の神道)だと思います。

 日本人は、「和」というものを重んじます。これは聖徳太子の17条憲法の最初の第1条に出てきますし、最後の第17条も和に関わる条項と思います。それだけ古来から重要視されていると思います。

 ちなみに、篤く三宝を敬えというのは2条に出てきますから、神道の和の論理が、仏教よりも上に置かれているといってよいと思います。

 それだけ「和」ということが重視されている。

 「和」というのは、話し合い至上主義ですね。話し合って決めたことは何でも正しい。

 あるいは、日本においては、さらに進んで「空気」で決めるという風潮もあります。多数の雰囲気で決めたのは正しいという考えですね。

 ですから、サービス残業、談合などがなかなかなくなりません。正しいプリンシプルであるはずの法(労働基準法など)よりも、話し合い、空気が重視されるからです。

 神道は、多神教の教えです。

 ですから、神々は対等ですから、一人、あるいは、一部の神を優位に置くことはできず、話し合いによって決めることが正しいということにならざるを得なかったのでしょう。

 しかし、このやり方では、智慧も知識も身に付かないと思います。(続く)
ご紹介
2010/08/19 10:34
 おんがえしも引用していましたが、スマナサーラ長老のお言葉を引用します。

 過半数の意見が通るのは、現代民主主義社会の常識です。

 しかしブッダは、「みんなの知識レベルが均等であるならば、過半数の意見を通しても構わない」という立場で弟子たちに規則を定めたのです。

 ということは、「いつでも過半数が正しい」と決めることはできないのです。

 仏教は、多数の意見ではなく、賢者の意見に耳を傾けるのです。

 なぜならば、賢者こそが正しいことを知っているからです。

 ものごとを知識的に理解したいと思う方々も、このポイントを覚えていた方がよいのです。

 みんなが言っているからといって、正しい、事実、真理にはなりません。

(「悟りの階梯」藤本晃著、サンガの「はじめに」に記載されたスマナサーラ長老の文章より引用)

 ブッダの教えにいう「和」というのは、「ブッダ、賢者の意見に一致する」ということだと思います。

 六重罪(そのうちの五逆罪)の一つに「破和合僧」というものがありますが、この「和」を神道の「和」の意味で捉えてはならないと思います。

 それでは、多くの方が逆に罪を犯す危険があると思います。
ご紹介
2010/08/19 10:39
ご紹介様
ご丁寧な説明でありがとうございます。

「和」についても「智慧」についても
お釈迦様と一般的な概念とはかなりの
隔たりがありますね。

私たちは、その「和」を
今はこっちの一般的な昔からの「和」を
使ったらいいのではないか
今使うのはお釈迦様の「和」だと選択する
そんな「智慧」があればいいと思います。

みんなの意見が自分とは違っていようとも
その人の「尊厳を守る」「慈愛」
という意味があるならば
一般的な「和」の概念であっても
智慧が含まれていると思います。

自分にとって心汚さない
人が読んでプラスになる
生命全体が喜びに満ち溢れる文章を
心がけて生きたいと思います
あん
2010/08/19 11:52
あんさま、とても参考になりました。
ありがとうございました。
先日の書き込みでは、ご迷惑をお掛けしました。

正直な話、ご紹介さんの文章は参考になる部分が多いのですが書き方に慈しみに欠ける部分が多いのではないかと思い。書き込ませて頂きました。
あくまでも私の私見ですが。

スマナサーラ長老は、他の宗派や他の長老を攻撃するよりも自己の修行を優先させるべきであると説いていると思います。
なるべくそのようにしたいと思います。
慈悲と知慧
2010/08/19 12:42
それとお釈迦様と他の宗教の人や知識人との対話のエピソードを読んで、やはりお釈迦様は慈しみが深い人なのだなと思いました。

スマナサーラ長老は、慈しみがなければそれは仏教ではないとおしゃっていた記憶があります。

どんなに仏教の理論を理解されていても慈しみをもってそれを駆使しなければもったいないと思います。

慈悲と知慧
2010/08/19 12:54
 修行が進んだ方にはそういうことを言わないのです。修行が進んでいないと思っておられるなら、口を慎んでいるのです。
 
 お釈迦様の遺言がありますから。

 スマナサーラ長老の説法を一部引用します。

 お釈迦様の遺言

 …お釈迦さまは「私が涅槃に入るときは、私が決めます」と答えます。

 それはどんなときかというと、1番目の条件として…中略…2番目の条件として…中略…

 3番目、4番目の条件として、在家の男性、女性も、よく仏教を学んで、できる範囲で冥想をして、仏陀の真理を体験して、友達に伝道できる。

 誰かが仏教の悪口でも言ったら「いいえ違います、本当はこういうこと」と教えてあげて、仏陀の教えが真理であることを証明できる。

 「その能力があれば、もう私に仕事はありません」と遺言を残し、その条件がそろったとき、涅槃に入られました。

 だから我々も、仏教を学ぶだけでなく、本当かどうか自分自身で確かめておかなくちゃいけない。

(パティパダー仏暦2549 6月号、66頁「アラナヴィハーラ入佛式記念法話」)

(続く) 
ご紹介
2010/08/19 13:03
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。

 人が悪いことした。だからこの人はもう駄目だ、というのは仏教的ではありません。

 仏教でどうにも助けてあげられないのは自分の罪を隠す人。

 それをお釈迦さまはすごく気になさったようなのです。

 自分の犯した悪い事を隠すようならもう駄目だ。

だったらもう悟れないと。

 だから私も、皆さんにすごく失礼なこと言うとか、怒っているとか、時々勘違いしておられる方もあるようですが、私はただ心にある自分を誤魔化す機能、あれを破ってあげようと思っているのですよ。…中略…

 だから、私が使っているのは本当は失礼な言葉ではないのですけどね。「あなたは逃げているんだろう」。「あんたちょっと誤魔化しているんではないか」。

 誤魔化しと逃げると、この二言葉しか使いませんが、本人にとってはすごくきつく叱られた、プライド傷ついたと感じるかも知れません。でもこれはもうどうにもならないことなのです。
(引用終わり。宝経法話、協会発行83頁以下)。

 ※ 心の誤魔化し機能というのは、自分で自分を騙していることに気づかない、他人のあずかり知らぬ、自分では決して認めない自分の隠れている性質のことです(「ありのままの自分」(サンガ、スマナサーラ長老著))。
ご紹介
2010/08/19 13:11
「言葉」とか語句というのは単に信号なのです
心のからくりで長老はおっしゃっています
知識は人の心に伝わらない
伝わるのは根底にある
本当の気持ちが伝わるのです。
私たちは外界へ自然と発しているのです。
自分の心をだましてるつもりが外へ表れている
それに気が付かない
ご紹介様ご紹介の心の誤魔化し機能のことですね。

屁理屈を言っているのに、それに気がつかない
そういう場合もあるということです。

それから、この掲示板は初心者でも
書き込めるそんなアットホームな雰囲気の
掲示板になればいいなぁと・・・思います
悟っておられる方も
悟っておられない方も仲良く
誰が見ても優しい内容でコメントお願い
したいと思います。
知識も必要ですが何よりも相手に対する
慈愛が必要だと長老もおっしゃっていますね。

連日の猛暑で血液も沸騰してくるよね〜
さりげなくすごしましょうか


あん
2010/08/19 15:40
あんさん
私もそう思います。
慈悲と知慧
2010/08/19 17:40
 どこまで事の重大性を認識して語られているのか分りませんが…。

 藤本晃先生(慈照さま)などは、ここまで述べておられます。

 悟りの偽物を出して騙すことは、人々が正しく悟りを目指す道を誤らせる、最悪の罪・誹謗正法の行為です。

 釈尊は、ご自分が個人的に中傷されても心も動きませんし、放っておきましたが、仏陀の教え、特に「悟り」に対する騙し・ウソ偽りには、決して黙っていませんでした。

 人々が悟りに向かう道を邪魔することは、それほど重大な過ちだったのです。

 釈尊は、相手にも聴衆にも分からない悟りの内容をただ説明しても無駄ですから、ホンの一言で相手をからかって、自分で恥をかくようにしてあげました。

(引用おわり。パティパダー仏暦2548年西暦2005年4月号45頁) 
ご紹介
2010/08/19 18:31
 http://77713696.at.webry.info/201008/article_12.htmlより引用します。

 「死後はどうなるの?」(国書刊行会)の144頁以下を引用します(スマナサーラ長老の説法)

 戦争に賛成する人は殺人と同じ

 悪いエネルギーも伝わるときは伝わりますが、それは自分の責任です。

 たとえばアメリカがイラクを侵攻したことに「あーよかった」とこころで拍手すると、その殺人に参加したことになります。…中略…

 何もしていないのに人を殺したことになります。

 みんなよくやっていることなので、そこはくれぐれも気をつけたほうがいいと思います。…中略…

 賛成すると、自分が何もやっていないのに、自分の興味だけで殺生の罪が自分にもかかってくるのです。…中略…

 罪の正当化がもっとも危険

 …中略…罪の正当化と並んで、罪の意識がないということも危ないのです。…日本では酒を飲むことがあたりまえになっています。文化的に罪ではないということになっています、残念ですが。
 だからといって罪ではないとはいえないのです。
(引用終わり)

 ブッダの教えを壊すこと、法を破壊することを直接行っていなくとも、それに意識的、無意識的に賛成し、参加することは大きな罪になると思います。
ご紹介
2010/08/19 18:32
了解いたしました。
上記引用文はすべて承知しております。
もし罪を犯す方がいらっしゃったら
ご紹介様が眼を光らせているということで
安心いたしました。

掲示板は明るく、冗談言い合いながらは
ダメなのでしょうか?仲良くする事は罪?
長老も仏教徒は明るく会話してますよって
おっしゃっていましたよ

きっとお釈迦様の教えをこれから知って
学ばれる方がご覧になって
なんか硬いこと論争してるな・・・
これだから仏教は嫌いだ!!!
なんて感想を持たれたとしたら
印象悪いじゃないですか?
ご紹介様は仏教を熟知してらっしゃる。
掲示板で、もし質問があったなら
その明晰な頭脳ですぐさま答えて
いただけましたら私も嬉しく思います。

ブッダの教えを知って
どんな風に性格とか生活が変化されましたか?

私の場合は
・毎晩マグカップで焼酎3杯飲んでたのを
 きっぱりやめました
・怒りを消すことを覚えました
・仕事や周りの人に慈愛で接することができました
・つらい仕事がなくなりました
・人との別れもそんなに寂しくは感じなく
 なりました。
・おしゃれが好きでファッションに凝っていましたが
 気にならず適切になりました。
・映画を毎月行ってたのがなくなりました
・サティの実践で冷静に物事を見られるように
 なってきました。
・人との争いが少なくなりました。
・TVはほとんど見なくなりました
こんな感じでしょうか・・・
あん
2010/08/19 20:01
すると、どうなんでしょうかね?

それは、結局の所、阿羅漢聖者以外は説法するなかれ。と、事実上。同義になるのでしょうかね?

ブッダのレベルからすると、たとえ不還果聖者でも完璧には語れないのでは?それ以外の聖者は勿論ですが。

もし、そうだとすると、説法した場合、聖者が罪を犯すことになり、それは、聖者という点では、矛盾になるんじゃないか。と。

その点は、どうなんでしょうかね?藤本先生のその著書、読んでないもんで(^-^;)。よくわかりません。

2010/08/19 20:14
ご紹介さんの意見には、参考になる部分は、確かにありましたけど、なんだか、最近のご紹介様の猛烈な書き込みでとってもギスギスしたコメント欄になってきて大変残念ですね。
それまでは、とても良い雰囲気だったような気がするのですが…。
慈悲と智慧
2010/08/19 20:26
 あんさま。
 
 サッカーだとイエローカード、レッドーカードというものがありますよね。レッドカードだと一発退場です。

 六重罪(破和合僧、誹謗正法などが含まれる)は、来世地獄行きで、今世で、悟ることができなくなる罪ですから、いわば、一発退場のレッドカードです。

 そこまで行くのはなかなかないかもしれませんが、しかし、ブッダの教えを熱心に実践し、ある程度修行が進んでいる人々は、この点凄く注意すると思います。

 これらの罪に、無意識的にでも参加することもしないように注意すると思います。

 レッドカードまで行かなくとも、イエローカードでも悟りへの大きな障害になりますから。

 ですが、初心の方、修行が進んでおられない方ほど、この点、ほとんどノーガードに近いと思います。

 ブログとか、掲示板とかみると、不用意な発言が多すぎるように思います。

 もう一つ注意しなくてはならないのが、聖者非難罪です。

 こちらは、http://www.j-theravada.net/howa/howa152.htmlのスマナサーラ長老の説法をお読み頂ければと思いますが、スマナサーラ長老のお言葉を引用すると、

「その聖者に謝って懺悔しない限り、冥想修行は進みません」。

 私は、ブッダの教えは自由な教えであり、議論、批判する自由があると思っていますが、自由といっても、ブッダ(仏)が発見され、悟った方々(サンガ)により実証された、悟りの法の下に、自由であると思っています。 
ご紹介
2010/08/19 20:40
新さん。
ぱんさんのブログでのコメントありがとうございます。
慈悲と知慧
2010/08/20 00:19
お休み前に
生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/08/20 00:22
ご紹介さんのやっていることが賢者のふるまいなのか、それとも迷惑行為なのか、協会に聞いてみるというのも、一度した方がいいかもしれません。そうじゃないと、なんだか納得ができないという気持ちはあります。
ぱん
2010/08/20 02:35
参考資料です。スマナサーラ長老はこのようにおっしゃっておられます。「質問がなければ、説法はしない」。⇒あくまで、質問という条件の中で手厳しいことを話されるのだと、私は解釈してます。ちゃんと契約が成り立っています。



ある質問者が「人の悪行為をやめさせたいのだが、どうすれば?」と法話会で、長老に質問しました。「その人、あなたが、特別に思ってるの?」と長老が問うと「いいえ、別に」と言うので、スマナサーラ長老は、「慈しみがないんだったら、放っておけばよいでしょうに!」とお答えになられました。⇒真に慈しみがないときは、余計なことはするな、と解釈してます。


また、これは法話会の後、個人的に質問したことですが、「酒を飲んでる人を、やめさせたいのだが、いい方法はありませんか?」と。すると、スマナサーラ長老は「あのね、この私でさえ、酒を飲むな。とは言いませんけどね。」とおっしゃっられたことがあります。⇒人には自由がるのだから、命令口調で言うなかれ(命令されたという気持ちを相手に起こさせるなかれ)というふうに理解してます。


八正道の正語、特に「不綺語」にかかわる問題のように思いました。

以上、ご参考までに。

2010/08/20 04:50
 慈悲と智慧さま、ぱんさま、新さまには、既にお知らせしておりますので、これは、まだ私のコメントを読んでいない方のために、私のコメントを一部引用します。
 
 私はスマナサーラ長老からこのように言われたり、示唆されたりした記憶があります。

 1 修行が進んでいる(5年ほど前)

 2 私が修行が進んでいると言ったら相当に進んでいるんです(1の2ヶ月ほど後)

 3 阿羅漢になる資質があるのにもったいない(5年ほど前)

 4 知識人(昨年)
 
 (引用終わり)

 こういうことをスマナサーラ長老はあまりおっしゃられないと思いますが、嘘はついておりません。

 それと、順番というものがあります。まず理解できる人から順々に説得していくというのが私のやり方です。

 …中略…1人説得すれば、その1人が他の方を説得することができるわけです。最初に理解した方ほど、(私から見て)能力は高いでしょうから、他の方を説得することも強く期待できます。

 そうするうちに、自然に合意には至らなくても、先に述べた行動を黙認する状況はできていくのではないかと思います。

 遠吠えのように思っている方も多いかもしれませんが、それはそれでしょうがないでしょう。

 なお、上記のスマナサーラ長老の言葉は、私を評価して下さっている言葉ですが、5年前同時期に、私は、ローサカ・ティッサ長老物語をスマナサーラ長老から聴かされております(パティパダー仏暦2549年3月号)。

 ただし、スマナサーラ長老がお話してくださったのは、このジャータカ物語のうち、過去世を除いた現世物語のうちの、サーリプッタ尊者と出会った以降のお話だったと記憶しています。
 
 ですので、阿羅漢になる資質があると言われたとはいっても、相当によくない業も抱えていると思います。
ご紹介
2010/08/20 06:49
ぱんさん

実は私もそう思っていました。
慈悲と知慧
2010/08/20 07:57
 協会と、スマナサーラ長老はあくまで別です。

 協会は組織ですね。協会に聴いてもどうしようもないと思いますよ。

 私は、協会の言うことは聞きませんし、協会は、事務局長を含め、賢者の集まりではありませんから。

 だから、スマナサーラ長老に聴かれたらよいと思いますよ。

 ちなみに、スマナサーラ長老から、ハンドルネームおんがえしに出されたご指示の一つは、「アラナ精舎日記に書き込んでください。」です。
ご紹介
2010/08/20 08:31
新さんの意見同感です。

生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/08/20 08:44
 ぱんさまのブログより引用します。http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_6.html

 スマナサーラ長老がおんがえしに出されたご指示の一つは、「アラナ精舎日記に書き込んで下さい」でした。

 テーラワーダ仏教は、批判を許さないようなカルト宗教ではありません。

 ちなみに、現在、アラナ精舎日記のコメント欄が閉鎖されているのは、おんがえしのせいではないと思います。

 おんがえしは、少しだけコメント書き込んで目的は達しているのですね。

 ブログのコメント欄が閉鎖されたのは、おんがえしがアラナ精舎日記に書き込みを止めてからだいぶ後のことです。

 おんがえしが、アラナ精舎日記の書き込みで行った主たることは、コーサッラ西澤長老が、「ヴィパッサナーは思考を停止することが目的ではない」とおっしゃっているのは、スマナサーラ長老のおっしゃることと矛盾するように見えるけど、それは「見方の違いにすぎない」という方向に誘導したのですね。

 だけど、やっぱりそれは無理があるから、アラナ精舎日記の3月の記述と7月の記述をよく読まれると、記述が変遷しているのが分かると思います。

 裁判なんかにおいて、自白がなされていても、重要部分で合理的理由なく「変遷」があると信用されませよね。

 そのようなワケで、おんがえしは、分かる人には分かるようにして、目的は達したのです。

 スマナサーラ長老を真に師と仰ぐ方には分かると思います。
ご紹介
2010/08/20 09:06
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