幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

アクセスカウンタ

zoom RSS ●大切に考えたい二つの能力

<<   作成日時 : 2010/08/20 08:14   >>

ナイス ブログ気持玉 26 / トラックバック 0 / コメント 30

画像

能力について、もう一つ言えることは、人間の能力というものは、
限られたものではないということです。
妄想を減らしてみると、すごくいろいろなことができます。


お釈迦様がいちばん推薦する能力というのは、

怒りをなくす能力、

欲をなくす能力、

嫉妬を消す能力、

人を憎むことをなくす能力、



たとえ敵であっても心をこめて、「幸せでいてほしい」と思える能力です。



これらのような心を清らかにする能力がどうしても必要だと、説かれています。
この能力は誰にでも育ちやすいのです。




心を清らかにする能力が身につくと、面白いことに、
仕事が上手にできるなどといった能力のことは
気にしなくてもよくなります。

生きるために必要なすべての能力は、
普通より何千倍もお自と身につくのです。


たとえば、人を感動させる演奏家になりたいと必死で訓練しても、
能力向上はのろのろとした進み具合です。


しかも、ちょっとしたことで緊張したり、不幸なできごとでも起きたら、
長い間訓練していた能力もそのときは沈んでしまいます。


これに対して、演奏の訓練も適切に行いつつ心を清らかにする能力を
育てるなら、演奏の能力もなんの苦労もなく上がっていきます。




よい教育者になろうと必死で研究したりしても、結果はうまくいかない
可能性はあります。



しかし、生徒たちが我が子のように感じる慈しみの心さえあれば、
見事な教育者になるのです。




これがどういうことなのかは、少々理解できないと思います。
これは心の法則です。





人は身体で生きているのではなく、心で生きています。


人の幸不幸、成功失敗、名誉非難などなどは、肉体がもたらすものではありません。




心がすべての創造者なのです。



ですから、あれこれと無数のことに欲張って挑戦するよりは、




自分の心をきれいにするようにと挑戦することが、
手っ取り早いです。確実です。




つまり、「能力」について大切に考えたいのは、

一つはスムーズに生きられる能力、

もう一つは心を清らかにする能力。



この二つだと考え、

妄想を減らして向上に努めるがよいと思います。<p165>



「結局は自分のことを何もしらない」
役立つ初期仏教法話6
A・スマナサーラ長老著書より抜粋致しました

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 26
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ガッツ(がんばれ!)

コメント(30件)

内 容 ニックネーム/日時
私が幸せでありますように
あんさんが幸せでありますように
ご紹介さんが幸せでありますように
おんがえしさんが幸せでありますように
慈悲と智慧さんが幸せでありますように
ぱんさんが幸せでありますように
新さんが幸せでありますように
析空さんが幸せでありますように
Choさんが幸せでありますように
もくぎょさんが幸せでありますように
あすかさんが幸せでありますように
ワンギーサさんが幸せでありますように
このブログの読者さんが幸せでありますように
このブログをまだご覧になっていない方も幸せでありますように
日本じゅうの人々が幸せでありますように
世界中の人々が幸せでありますように
生きとしいけるものが幸せでありますように
358
2010/08/20 08:32
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/08/20 08:46
おはようございます。

今日も貴重な御説法の御紹介、有難うございました!

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/08/20 10:11

◆一つはスムーズに生きられる能力
⇒その能力を身につけたければ、先ずは、「わたし!わたし!!」って主張でなく、相手の尊厳を守るということでしょうか

◆もう一つは心を清らかにする能力
⇒執着から離れ、慈しみの心を育てるということでしょうか

やはりいずれも「サティ&サンパジャーナ」と「ヴィパッサナー冥想」の実践だと思います。
モアイ像は冥想してるのでしょうか?だとしたら
これって立つ冥想?
座る冥想??(^^;)
358
2010/08/20 12:11
あ、慈悲の冥想はもちろんですね^^
生きとし生けるものが幸せでありますよ〜ぉぉに〜
358
2010/08/20 12:13
 協会の掲示板の「悪行のログ」という質問と新さまのご回答をみました。一般論としては、新さまに賛成するところが多いのですが、しかし、文字に残しているという点で私は異なる意見を持っております。

 http://gotami.j-theravada.net/2008/01/post-205.htmlにスマナサーラ長老の説法があります(題名「ヴィパッサナー瞑想で進歩するということ」)。

 その説法をお読み頂きたいのですが、宮崎奕保禅師はおそらく悟っておられたと思います(既に入滅されておられます)。

 私は、宮崎禅師のご著作を読んだりしておりますが、次のお言葉などは悟った方でないと、つまり超越した体験がないと語れないお言葉だと思います。これを読んだときはかなり感動した記憶があります。

 「時間と空間と物とはひとつなのです。すべては瞬間なのです。ですから、すべての存在は時間なのです。ある瞬間はすべての物が動きません。したがって瞬間は絶対なのです。よって、『絶対』は動きません。動くように見えるのは、その瞬間、瞬間を連続してとらえるわれわれの目が不完全なためです。動けば、それは相対です。
 こうした真理をお釈迦様が悟られて、それが達磨様まで真っ直ぐに伝わって、さらに、道元禅師様が、天童山の如浄禅師から受け継がれたのです。」
(「新編若き仏たちへ」ぱんたか所収『坐禅と三つの懺悔』59頁以下)

 この本の終章で、このようなことが書かれています。
 
「仏法では、文字に残れば法を謗ったことになると古くからいわれています。
          …中略…
 書いたものは文字が残り、すなわち罪科を残すことになります。古くから”法を知るものは畏る”といいます」(引用終わり、同書189頁、193頁)
ご紹介
2010/08/20 12:38
今日は午前中で仕事を終えて、協会の機関誌の発送のお手伝いをして参りました。もしかしたらこのブログをご覧の方にも同じ場所にいた方がいらしたかも知れません(笑)
因みにご紹介さんのことについては何も言ってません。
純粋にお手伝いしようと思い参加しました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/08/20 16:03
おー!明日パティパダ到着ですね
(^O^)楽しみです!!
皆さんのお力があってはじめて自分の手元に届くのだとあらためて気付き感謝の気持ちでいっぱいです。
慈悲と知慧さんをはじめ、発送して下さる皆さん、ありがとうございます。
お幸せに!
358
2010/08/20 16:26
 スマナサーラ長老とも対談された南直哉さまのブログに宮崎奕保禅師のことが書かれています。http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2008/01/post_33d3.html

 曹洞宗の行き過ぎた面が垣間見られるようにも思いますが、宮崎禅師が、圧倒的な存在感ある方だったことが伺えると思います。

 道元禅師は、このように述べておられます。

 「古人が『発心が正しくないと、すべての修行が空しいものとなってしまう』と言っている。この言葉はまことである。

 修行の道も、導く師匠の正と邪とによるであろう。…中略…
 たとえ、よい材料であっても、よい大工の手にかからねば、すばらしさが彰われてこない。たとえ曲がった木であっても、もし優れた手腕に出会ったならば、すばらしい持ち味がたちどころに現れる。

 師の正邪に随って、その悟りに偽と真があることは、この喩えからも明白であろう。…」(続く) 
ご紹介
2010/08/20 19:36
 「正師を得られなかったら、かえって学ばないほうがよい。

 そもそも正師とは、年老いているかどうかは関係なく、とにかく正しい仏法を明らかにして、…いる者である。

 〔経典や語録に書かれている〕文字を先とせず、知的理解を先とせず、世間の尺度を超えた力量があり、世間の常識を超えた志気があって、我見にかかわらず、世情に滞らず、修行と学識が一致しているのが、まさに正師である。」

(学道用心集第五「参禅学道は正師を求むべき事」道元のことば「正法眼蔵随聞記」にきく下 NHK出版 角田泰隆、54頁以下)

 私は、この文章を読むたびに、スマナサーラ長老のカリスマ性、圧倒的存在感を思い出さずにはおれません。まさに正師とするならば、スマナサーラ長老だと思います。

 スマナサーラ長老が、道元禅師について語られたものとして、http://gotami.txt-nifty.com/journal/2007/07/dhamma_270f.htmlがあります(お師匠様の如浄禅師についても語られています)。

 このDhammacastを拝聴する限り、如浄禅師は阿羅漢聖者であられたと推測されると思います。
 
 道元禅師は、不還果の聖者であられたのかな?と推測しますが、はっきりしたことは分かりません。
ご紹介
2010/08/20 19:40
358さん
お楽しみに
そして少しでも読む皆様の心が成長いたしますように☆
私は、実は会員ではないので読めませんが(笑)。ちょっとした功徳を積めたかもしれません。
その積んだ功徳を一切の生きとし生けるものに回向いたします☆
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/08/20 19:57
 パティパダーの発送ボランティアがあったみたいなので、パティパダーから引用します。

 お釈迦さまは、次の四つの句を唱えられました。

 友の仮面をかぶりつつ 多くの敵は接近す
 これら愚人を避け、捨てされ 雄鶏の鷹におけるごとくに

 ことが起ったその時に 意味を素早くさとらねば
 敵の力に屈服し 後に悔いることとなる

 ことが起ったその時に 意味を素早くさとる者
 敵からの危難を免れる 雄鶏の鷹におけるごとくに

 森に置かれた罠のように 非法破壊をなす者は待ち受ける
 俊敏に気づき、遠ざけよ 雄鶏の鷹におけるごとくに

 お釈迦さまは「その時の鷹はデーヴァダッタであり、雄鶏は私であった。デーヴァダッタは、そのように、過去でも私を殺そうとしていた」とおっしゃって、話を終えられました。

(スマナサーラ長老監修「雄鶏物語」パティパダー昨年1月号、協会発行、45頁以下)
ご紹介
2010/08/20 20:13
今日も
生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/08/21 10:29
 スマナサーラ長老は、以下のようにおっしゃっておられます。

 他人の悪業も、善業も、自分には関係ありません。完全な自業自得法則です。しかし、人が悪いことをすると、「それは良かった」と賛成して喜ぶ人もいる。
 その人は、賛成行為で、悪業に参加しているのです。…中略…
 気持ち的に賛成すると自分がその悪業に賛成したことになるのです。
 業は物質的な働きではなくて心の働きなので、このようになるのです。
 
 先祖供養、回向なども成り立つのは、この理由があるからです。

 「過去は無始なる」と説かれており、一人一人の生命の過去は、無限だといえます。そうなると、過去の業の量も無量無限になるのです。

 実際に結果を出して機能しているのは一個二個ぐらいの業なのですが、、環境のせいで眠っている過去の業が起きて機能する可能性は、確実にある。

 たとえば、国の経済状態が悪くて栄養失調で悩んでいる人に、来日するチャンスが来たとする。その人は、日本にいる間は、栄養満点の食事を摂ることが出来るようになるのです。その人は、忽ち豊かになったのではなく、環境のせいで一時的に幸福になったのです。

 しかし、それも過去の業の結果なのです。

 平和な日本の福岡県に香田証生さんが生まれたのです。

 幸福で、寿命を全うできる環境なのです。彼がイラクに行ったのです。

 イラクの環境はとても危険で、戦争状態です。そちらでテロに遭遇して亡くなられたのです。

 この場合も、眠っていた無量無限の過去の業の一個が起きたのではないかと推測できます。…中略…

 ですから、他人の業が自分に降りかかるのではなく、生きる環境によって、周りの人々と似た自分の過去の業が起きるのです。

(引用終わり。パティパダー仏暦2549年 4月号41頁以下)
ご紹介
2010/08/21 12:18
先程ある駅の書店の前を通り過ぎたらそこの書店の新書の売れ行きナンバーワンが『怒らないこと2』でした(^.^)
慈悲と知慧
2010/08/21 14:25
スマナサーラ長老の著書が拡がって、仏教に触れることによって、幸せに生きられる人が一人でも増えて行くと良いですね。
仏教の実践を思うと「サティ&サンパジャーナ」、そして「慈悲の冥想&ヴィパッサナー冥想」って自分の頭の中で凝固まっていた気がしますが、日々の「善行為実践」・「善心所でいる」って事が、ベースに無ければサティや冥想修行も進歩しないんじゃないかという事を今日は思っていました。

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/08/21 18:18
 ブッダの教えは、歴史上の事実として、お釈迦様が説かれた教えです。

 その教えの中身に主観的な「解釈」というものを肯定してしまったら、それは、元々の教えではないことになってしまいます。

 ブッダの教えはどんな生命にもあてはまる客観的真理なのですから、そうした主観的「解釈」というのは許されないと思います。

 では、もともとのお釈迦様の教えはどのようにして主観的「解釈」を入れることなく現代まで伝わっているのでしょうか?

 パーリ経典でしょうか?

 確かに、パーリ経典はとても大切な経典です。しかし、言葉の意味内容というものは時代とともに代わってしまいます。

 言葉の意味内容を主観的解釈なく、元のお釈迦様の教えのまま、曲がりなく伝えるにはどうしたらよいのでしょうか?

 それは、主観的煩悩・感情を滅された聖者が、ブッダの教えを語られることで担保されていると思います。

 主観を滅されているから、主観的「解釈」をすることなく、もともとのお釈迦様の教えを曲がりなく現代まで伝えられることができると思います。

 ですから、阿羅漢聖者が語られるブッダの教えは、元々のお釈迦様の教えであるといえると思います。
 
 以上につきましては、重要部分について、スマナサーラ長老にご確認頂いて「内容は正しい」と認めてもらっております。
ご紹介
2010/08/21 19:05
皆様、残暑お見舞い申し上げます。
いつまで続くこの暑さ〜〜(^^;;

お盆がすぎてネットに久々につなぎました。あんさまの記事やみなさまのコメントが大量にありますね。

ぱんさま「色つきの悪夢」再放送情報ありがとうございます。最初から見たいと思います。
もくぎょ
2010/08/21 21:03
ご紹介さんが、このような書き込みを私のブログにしました。みなさん、どう思いますか。

 ぱんさま。これは非公開にして下さいますか?既にご存じかもしれませんが。

 以前、おんがえしがアラナ精舎日記の件で、スマナサーラ長老にレポートを提出した際に、事務局長が、ある人を本堂に呼び出して、スパイ扱いにして、IPアドレスが同じだからおんがえしに間違いないなどと言ったという話を覚えておられますでしょうか?

 その人は、事情はまったく知らないわけですから、濡れ衣ですし、何が何だか分からず泣いていたそうです(ちなみに、女性です)。
 
 その本堂に呼び出しをかけた、協会の中心にいる方というのは、実は、事務局長なのです。

http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_8.html
ぱん
2010/08/21 21:35
ご紹介さんから、毎日のように、大量の書き込みがあり、どうすればいいのか、わかりません。つらいです。精神的にまいりそうです。
ぱん
2010/08/21 21:37
 ぱんさま。もし精神的につらいということでしたら、そう言って下されば、一切書き込みません。

 今までコメントは全部公開されておりますし、上の投稿の非公開をお願いしたのは、事務局長がかわいそうに思ったからです。立場がありますから。

 しかし、ぱんさまは、協会にメールを出されたわけで、その返事として私に好ましくない返事がかえってくる可能性が高い理由として書いただけです。
ご紹介
2010/08/21 21:44
ぱんさま、お察しいたします。私は協会の人間ではありませんから協会内のことは良く知りませんが、特に最近のご紹介さんの書き込みを読むと強い圧迫感を感じます。


もし自分が正しいことをしていると確信しているなら堂々とみんなの前でスマナサーラ長老にお話しされれば良いと思います。
慈悲と知慧
2010/08/21 21:55
 少し訂正します。コメント全部公開されておりますと書きましたが、『考えない練習』小池龍之介著のスレッドで、ぱんさまの方で16個ほど私のコメントを含め削除されたようなので、現在は全部公開となっておりません。今後も削除されることがあるかもしれません。
ご紹介
2010/08/21 21:57
お休み前に
生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/08/22 00:57
スマナサーラ長老の凄い所の一つは、色々名指しで、厳しい批判をされるが、「自らの言葉に全責任を持つ」ということだと常々思っております。

 決して、「安全地帯」に身をおきながら、批判する。ということはされないことです。

 一度、ワンギーサさんが、停めに入ったシーンがありましたが、「いや、私は言いますよ」と皆の前で堂々と言われたことは印象的です。またある大乗のお坊さんが「あれだけのことを公表したら、私などとっくに殺されているはず。怖くて出来ない。スマナサーラ長老は別格だ」と個人的に話してくださったことも印象に残ってます。

 スマナサーラ長老を真の師と仰ぐなら、そのような姿勢も見習って欲しいと思います。

 そうすれば、「さすが、スマナサーラ長老を師と仰ぐ方は、世俗のイヤラシイ、自己保身優先のやり方とは違うな」と、一目置かれるような気がします。

 政治家が無責任なのも、結局は国民総無責任時代の象徴なのかもしれませんね(^-^*)/

2010/08/22 03:11
私事で恐縮にですが、私が他をどうしても、ネット上で批判する場合はどうするか?方針を述べさせて頂きたいと思います。


まず、自分のブログを作ります。責任をとるために、あくまで実名でやり、主張した内容に逃げ道を作らないためにメールアドレスは公表します。


さて、内容ですが、批判する方の文献は「全て」読みます。スマナサーラ長老は、「私に聖職の質問をしてみて下さい。下手な学者なんかより、詳しいと思います」というようなことを、おっしゃっられた記憶がありますが、批判する対象については「熟知」する必要性があると思います。

中途半端な知識で批判するのは、甚だ失礼かと思います。慎重さが大切かと思われます。

今はそんなことをするつもりはありません。むしろ、色々と学ぶ点が非常に多く、とてもとても批判どころではないからです(^-^;)。

「子供に注意されたから気をつけているんだ」「おばちゃんから色々学んだ」。スマナサーラ長老のお言葉ですが、私はそれほど謙虚でないので、「学ぶ姿勢」を特に大切にしたいと考えております(*゚ー゚)v。

2010/08/22 04:10
上記、聖職じゃなくて「清書」の誤字でした(^-^;)。失礼いたしました。

2010/08/22 04:14
清書じゃなくて、「聖書」の誤字でした(^-^;)。

さすが、仏教徒は違うな〜!なーんちゃって、ミエミエの負け惜しみってか!

謙虚が泣くぜ、ダメダ!!

2010/08/22 04:23
このような「こころを汚す」コメント欄
必要ではないですね
何をやっても所詮は無駄なことなのでしょう
あん
2010/08/22 05:56
おはようございます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

協会について、何もしらない私には、一連のコメントが意味不明で。。。

ご紹介さまへ
ご紹介さまのブログは、どこかにありますか?
時間と空間について、お話したいので。。
あるいは、わたしのブログでも結構ですが。。
析空
URL
2010/08/24 09:27
●大切に考えたい二つの能力 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる