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zoom RSS 「人で失敗しない仏教対人学」<その1>

<<   作成日時 : 2010/08/02 21:20   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 12

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「人で失敗しない仏教対人学」
@言葉だけで人の心は読めない
A真の理解を得る人間関係の極意
講師;A・スマナサーラ長老 DVDより編集致しました


コミュニケーション
生きる苦しみを乗り越えるということでお話したいと思います


コミュニケーションとは、
私の事を理解してくださいということと、
私が相手の事を理解したい。

なんで自分の気持ちを相手に解かって欲しがるのでしょうか?

どうか私の事を理解してください。と、なぜ願うのでしょうか・・・

相手に理解されないと、なぜ苛立つのか
そこを考えてみたらどうでしょう。



私を理解して貰えないと、苛立つ
それはなんでしょうか?


皆様方はどう思いますか?

では、あまり答えが出てこないようなので、お答え申し上げます。



私達は相手を支配したいのです。



子どもは自由自在に行動するのではなく
お母さんの気持ちにそって行動して欲しいのです

私の気持ちを解かってくださいと、言うときは謙虚な気持ちで
言っているつもりでも


裏では相手を支配したい。管理したいと思っているのです


社会でも我々は自分の気持ちを解かってくれという時
その人の気持ちどおりに動かないといけないのです。


「あなたの気持ちは解かりました」でも、絶対反対だよ
って言われたら、どうですか?

全然解かってない。と言う反応でしょう



そこで、どこで問題が起きるかというと


支配されたい人はいいのですが、支配されて欲しくない場合は
トラブルが起こるのです


本来、どんな生命も支配されたくない
自分は自由に行動したいとおもっている
飼っているペットであってもそうです。


私は私の道を歩むんだよ。という態度なのです。


支配されたい人はなんなのかというと
ペットの場合とか、可愛い顔を見せるでしょ。
本当はあれずるいんです
飼ってもらわないと自分の生計が成り立たないのです。
でも、それは逆に私達が束縛されるだけ


飼ってるつもりで、飼われているのです


子どもも小さい時は何でも聞いて
「謝ってください」といえば「ごめんなさい」と素直に謝るでしょ
でも大きくなったらそれ無いでしょ

支配されてるような感じの人もいるでしょ。
それはずるいやりかたなんです。

自分を解かってくださいというと
心の中は「支配したい」ということ



しかし、他人を管理できないのです。

だからトラブルが起きるのです



奥さんは旦那さん子どもを管理しないといけないのです。
だからトラブルが起きる



人を支配するのは苦しみの元


そこで結果として、自分の自由が無くなるのです。



例えば、子どもや旦那様、親戚のこととかよく理解して
てきぱきと仕事をこなしている奥さんが居るとします。
すると、その奥さんに自由が無くなるのです。


人を管理して支配すると、自分の自由は無くなるのです
その上、自分の気持ちも理解してくださいというと
もう、自分の自由は無くなるのです



★結論として・・・・
人を支配したいという気持ちを捨てること

すると自由が得られるのです。
その代わり孤独です

★私が相手の気持ちを理解したいのだ。。という場合はどうでしょ
なんで人の気持ちを理解したいのでしょ?


この場合も同じ、その人を支配したいのです。


でも相手の事を理解すると、自分の自由が無くなるのです。



生命と言うのは本来自由に生きてたくて
自分の気持ちを理解して欲しくて
相手の気持ちも理解したい

どちらかにしないと、水と油のようなもの
これは両立できません。



たとえば、夫婦仲良くお互いに大変理解し合っているというのは
理解すればするほど、お互いにべったりと束縛されている
ということなのです。


あまり理解出来ない関係は、離婚に終わるのです。


だからどちらが良いということじゃないですが
あまり自由だとおもうと結婚生活は長続きしません。



★いつでも、混乱の中で生きているのです。
だから苦しみの元になっちゃうのです。



理解はしたいんだけど、理解すればするほど自分の問題は大きくなる
自分が支配されることになる

相手が自分のこと、みんなよく解かっているんだと言っちゃうと
自分のプライドはみんな消えているんです。
私のこと解かって欲しいと思って解かってもらうと
私のプライドは無し



相手に読まれたら、もう自分の自由が無いんですよ


自分が支配したいという気持ちも納得できないところもある
我々は、人の気持ちを理解したいと思っている


★コミュニケーションは成り立ちますと言う場合

1、客観的な事実のコミュニケーションはなりたつ

2、しかし、感情のコミュニケーションは成り立たない

世の中で人は「気持ち」をわかって欲しがる
人の気持ち判っちゃったら落とし穴に落ちるんだから

でも、人の気持ち判ったら
自分の責任で行動しなければいけない。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



私がバラの花を一本もってきて「バラの花は綺麗ですか?」と
質問すると皆様は綺麗だとう言うでしょ
みんな同じ気持ちだ。綺麗だとおもっている

それで気持ちが通じていると思っているが、
それは「綺麗」という感覚がそれぞれ違うんです


全く同じ感覚が生まれるんじゃ無い
自分たちだけの世界があるんです



自分と違う意見が出たら反発する、差別する



日本でよく聞いた言葉があります
「音楽は共通語ですよ。」
あれ本当ですか?共通語じゃないんです
だから、何種類も音楽の種類があるでしょ

音楽にしたって違うのです。
共通語にはならない、リズムさえもメロディーの使い方も違う


それぞれ違う世界を持っている
自分が好きなものを、みんなも好きだと勘違いする


そこで「差別」ということが生まれてくる


誰かが、嫌いというと
みんな差別するんですよ

だからそこらへんが問題なのです。
全ての苦しみの元はそれなのです。


他の人と自分を比べて差別する
だからトラブルが起きるのです


私は嫁だと思う
私は姑だと思うと、もう差別感が生まれる

自分がバラの花が綺麗だとおもうと そのこころが差別感を作る


味わったら自分の世界、
考えたら自分の世界
見たら自分の世界


自分の気持ちを他人に押し付けようとする
なんで世の中にイジメがあるんですか
差別するんですか



その感情は煩悩というんです
それは汚れで、他人が理解してくれないと怒るんですね



そういふうに、見ると聞くと味わうといっぱい煩悩を作って

孤立すると、誰かに理解して欲しいと希望する

差別感生まれなかったなら、その感情は出てこないのです。



言葉も差別用語なんです



私はこういいます
太郎さんは、あまり良い人間じゃない
皆さまが、解かったような気持ちで聞くと


コミュニケーションが成り立ったような感じになる

しかし、どういう理由で言ったのかは解からない
言葉だけで上手く言ったようにおもうが、

それはその人でしか解からないのです
大変なきつい問題なのです


お釈迦様がおっしゃりたかったのは
国と国、民衆と民衆の戦い、男と女の戦い
いつでもぶつかり合い戦ってきたのです。
今も起きている、
すべてつまらないいい加減な考え方なのです


なんの根拠もないだた自分たちの主観の問題なのです


しゃべる場合は「私はこう思います」だけ言ってください
相手は反論したとしても、「怒るなよ」

怒る必要も舞い上がる必要もない
「同じ意見ですよ」と言っても同じじゃ無いんですよ

目的がそれぞれあってそう思っているだけ


その人が賛成するのはその人の世界なのです
それが生命のあり方


私達はまったくコミュニケーションしてない
誰とも出来ないままです
これからもそうです


気持ちが解からないでもそれはそれでいいのです
普通の世の中のあり方を言っている


自分が理解したと勘違いをしないで下さい
自分の意見を押し付けないでください。


お釈迦様がおっしゃってます
たとえば「ご飯」といっても
私が思ってる「ご飯」とあなた方が思っている「ご飯」は
違うのです。



言葉を使っても我々は解かっているんですか?



子どもたちは、いいんですよがちゃがちゃ話す
誰も何も聞いてない。みんな好き勝手にしゃべっているんです

ある男の子が「うまくしゃべれないんだ」と質問してきた


私は「そんなに上手くしゃべる必要ありますか?」
「君の友達はぺらぺら喋って誰も聞いてないんです。
うるさいだけですよ」と言いました。

それより黙っているほうが、みんなあなたが聞いているような
感じで皆から愛されるんだと。
何故かと言うとみんな聞いてないんだからね。



だからしゃべるいうのは感情が高ぶってきてストレスが
溜まるんですよ。どうにもならないんで吐くんです

しゃべるとは、そう言うこと




別に相手が理解しようがしまいが構わない



★ですから、お釈迦様がおっしゃるのは

出来るだけ言葉を少なくしなさい。
イエスノーをはっきりしなさい。

直ぐ喋るのではなく、一旦停止して
言うべきかどうか。そうならどんな順番で言うか
順番を正しく編集してしゃべりなさい
しゃべったら良いものを、順番正しく編集してカットして喋りなさい

理解されなくてもいい
いくらか解かって貰えたら良いのです。



テーラ・ワーダ仏教協会HPに詳しい説明があります
http://www.j-theravada.net/howa/howa150.html


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
生きとし生けるもの同志が良い関係を築けますように。
慈悲と智慧
2010/08/02 22:12
あんさん、おはようございます。

とてもためになると思いました。

ノートに書き写したいと思います。

有難うございました(*゚ー゚)v。

2010/08/03 10:22
 昨日、蒼茫さまのブログ、インド最初期仏教(パーリ仏典)への誘 いにおおむね次のようなコメントをしました。

 おんがえしの困った時はダンマパダにおけるコメントを一部引用します。

 昨日紹介しました、ブッダの説法を収めた中部経典99「スバ経」について、私の記憶するスマナサーラ長老の経典解説の一部要旨を書きたいと思います。
 スバ青年バラモン「ポッカラサーティというバラモンの有名人が、人間なのに人間を超えた智慧を体験するなんて笑っちゃいますよと言ってますよ。」
 お釈迦様「ポッカラサーティは、すべての沙門、バラモンのこころの働きを知っているのでしょうか?(すべての沙門バラモンのこころを読み取っているのでしょうか?)」
 スバ青年「いいえ。召使の女の子の心の動きさえも知りません。」 
 お釈迦様「今、ここに目が見えない人がいます。彼は赤色も青色も黄色も茜色も見えません。美しいものも美しくないものも見えません。太陽も月も星も見えません。
 彼は、こういいます。赤色も青色も黄色も茜色もありません。美しいものも美しくないものもありません。太陽も月も星もありません。
 そればかりでなく、彼はこういいます。赤色、青色、黄色、茜色を見る人もいません。美しいもの美しくないものを見る人もいません。太陽、月、星を見る人もいません。
 こういうことをいうならば、彼は正しいことを言っているのでしょうか?」
 スバ青年「いいえ。正しくありません。なぜなら、赤色、青色、黄色、茜色もありますし、美しいもの美しくないものもありますし、太陽も月も星もあるからです。」
 お釈迦様「ポッカラサーティは、智慧の眼がないんだよ。智慧の眼がないから超越した真理を体験できないんだよ。」(一部引用終わり)
ご紹介
2010/08/04 09:18
 釈尊が悟っておられることを否定される方は少ないかもしれませんが、釈尊の説法をおさめたパーリ経典があるにもかかわらず、釈尊の神通力を断定的に否定される方は非常に多いように思います。

 また、スマナサーラ長老が悟っておられ、神通力を有していることを「断定的に」否定される方も多いように思います。

 しかし、そのような態度は理性的ではないと思います。

 私には「まだ智慧の眼がない、あるいは、修行が進んでいないから、釈尊に神通力があることが分らないのである、スマナサーラ長老が悟っておられること、神通力があることが分らないのである。」というのが理性的な態度だと思います。

 蒼茫さまのブログにコメントしたのは、ハンドルネーム「おんがえし」ではなく、ハンドルネーム「ご紹介」です。

 蒼茫さまのブログには、昨日訂正申し入れをしてあります。
ご紹介
2010/08/04 09:26
 なお、蒼茫さまのブログに書き込んだのは、上に述べたことだけではなく、蒼茫さまのお返事は、私のコメントとぴったり符合しております。
 ハンドルネーム「おんがえし」が、私とは別に書き込んだということは考えられないと思います。

 あんさまの本文記事「コミュニケーション」に関連して書きこませて頂きますが、スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。
 
 皆さんの集まる場所にはたくさんの心のエネルギーが拡がっています。
 それでそのエネルギーはどうなるかというと、お互いに重なっているのです。…中略…
 心は積み重なって、積み重なって、お互いに関係しあっているのです。
 重なっているということは自分の心が他人に知られているということです。
 ほんとうは知られているのです。…中略…
 でもふつうの人は相手に自分の心が伝わっているということに気がついていませんから、心はとても危ない状態にあるのです。(「自分に強くなる」国書刊行会26頁以下)
ご紹介
2010/08/04 11:35
 お名前間違えてしまいました。蒼茫ではなく蒼「氓」さまです。
ご紹介
2010/08/04 12:56
ご紹介様

長老のお話の掲載ありがとうございます。
「他心通」の事は次回掲載する予定でしたよ。
ご丁寧にありがとうございました。





あん
2010/08/04 17:19
 お返事ありがとうございます。蒼氓さまも私の訂正申し入れに応じてくださりありがとうございます。

 私は、悟りに導く冥想指導を行うには、他心通と、過去世を観る特別な能力が必要なのではないかと思っています。

 ブッダの教えにおいてはワンチャカ ダンマー(心のだまし機能、誤魔化し機能)ということが説かれていると思います。

 協会の掲示板、2010年02月09日 (火) 「肩こりで瞑想に集中できない」において、ハンドルネーム「きこり」がこころの騙し機能について2つの例を挙げております。
 一つは、選択的質問の例、もう一つは、高慢も度が過ぎると謙虚な態度になる例です。

 心の騙し機能は、自分で自分を騙していて自分で気づかない場合ですから、他心通がある方でないとこの機能を破るための指導をすることはできないと思います。
ご紹介
2010/08/05 12:50
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。
 私は、冥想指導をする場合、まず立つ冥想をしてもらいます。
 それは性格やあらゆることを読みとって、その人にできるプログラムを一応組んでおくためです。それには二、三分必要なので、五分ほど立ってもらいます。
 私が「どうですか?」と聞いたら、「ぐるぐるする。倒れそうになって、なかなか難しい」という感想だったりします(引用終わり。仏教は心の科学 宝島社206頁)
 
 スマナサーラ長老の初心者冥想指導をしっかりと受けられた方ならばご存知と思いますが、長老は、「どうですか?」と一人一人に聴かれるわけではありません。ほとんどの人には何も尋ねません。
 なので、上記文章の「どうですか?」以下の部分は、スマナサーラ長老が、煩悩がなく悟っておられること、他心通を有しておられることを分らないようにしておられるのだと思います。
 
 悟っておられる方が、煩悩がないことに気づかれないようにすることについては、http://www.j-theravada.net/qa/qahp25.htmlのスマナサーラ長老の説法をお読みください。
ご紹介
2010/08/05 12:51
 上にご紹介しました、協会の掲示板、「肩こりで瞑想に集中できない」の最終投稿日は、03/01(月) 18:46です。
 協会の掲示板の表書きには、この最終投稿日が表示されておりますので、こちらの日付でお探しください。
ご紹介
2010/08/05 13:03
それから、これはあんさまのブログの内容とは関係がありませんので、差支えがあれば、削除して頂きたいのですが、現在、「物質と心の生滅」という投稿が協会の掲示板の上の方にあると思います。

 この中で、magagiokさんが、またもや、スマナサーラ長老の言葉を間違って伝えられていると思います。しかもこの間違いはとんでもなく法を壊す間違いだと思います。

 スマナサーラ長老は、「物を見る、そこで止まりなさい」などという瞑想指導は、決してされないと思います。

 しかも、magagiokさんは、「ヴィパッサナー瞑想は、メロンを見たら、メロンを見た、ということで止まる」などという珍説を披露されておられます。

 これはmagagiokさんにとってもかなりの悪業になると思うので、どなたか慈悲があり、勇気ある方は、事務局長経由でスマナサーラ長老にmagagiokさんのご回答など見ていただいて、スマナサーラ長老から直接掲示板でご意見が頂けるように働きかけて頂きたいと思います(私は協会の掲示板から排斥されております)。

 長老は、スリランカに行っておられますから、事務局長経由でないと直接のご回答は難しい状況だと思います。 
ご紹介
2010/08/05 15:37
 ちなみに、スマナサーラ長老は、「色」で止まるようにご指導されていると思います。「物」ではありません。

 また、「見える」「見ている」とご指導される場合もあると思いますが、その場合も「物」が見える、「物」を見ているという趣旨ではなくて、「色」が見える、「色」を見ているという趣旨だと思います。

 その「色」というのも、今、我々の目で見ている色ではないと思います。
 
 スマナサーラ長老は、超越した智慧で体験する「色」まで観る(見るではない)ことができるように導くように指導されておられ、しばしばスマナサーラ長老がおっしゃっておられると思いますが、「素粒子レベルの物質として物凄い早いスピードで変化する生命共通のデータ」を観るのだと思います。

 スマナサーラ長老は、「音」と実況中継されることを瞑想指導されていると思いますが、その場合も、「素粒子レベルの物質として物凄い早いスピードで変化する生命共通のデータ」としての「音(波)」まで導くように指導されておられると思います。

 現代物理学では、空気などの媒体が物質であり、音はその媒体のゆれであるという見解だと思いますが、ブッダの教えにおいては、「音(波)」も「素粒子レベルの物質」だと思います(スマナサーラ長老が音が物質であることを現代物理学でも発見できていないというようなことをおっしゃっておられたと思います)。

 このあたりは、ハンドルネームおんがえしが、ワンギーサさまの困った時はダンマパダで詳しく述べていたと思いますので、興味がある方はお読み頂ければと思います。
ご紹介
2010/08/05 15:40
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