幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ●何でもいいから善いことをしよう

<<   作成日時 : 2010/08/28 05:52   >>

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なすべき善行為の範囲を決めることはできません。
「何でもいいから善いことをしてください」と私は言いたいのです。
たとえばお布施をするならばお坊さんたちにお布施をしてもいいし、

他の誰かお金がなくて困っている人にお布施をしてもいい。
両方してしまえばいいのです。



どこかの難民を助けるためにしてもいいし、治療に必要な何かをあげてもいいし、
日本の料理みたいにいろんな工夫をしたほうがいいのです。



業(カルマ)の場合は、力の強い業と弱い業があります。


たとえば誰かにご飯をあげたならば、
ご飯のエネルギーというのは一週間で消えてしまいます。



しかし、誰かに家をつくってあげたならば、その家はずーっと残るから、
その人は家に住んでいて「よかった」という幸福感を味わうのです。



その家がある限り、お布施した人の徳がどんどん増えるのです。


勉強したがっている人がいて、でも本人にお金がないとする。
そういう人に奨学金をお布施するならば、その人は奨学金をもらって勉強できた
おかげで幸福な人生を送るのですから、


布施を受けた人が生きている間、
ずーっと徳を積むことが出来るのです。





もし、自分が先に死んでしまっても、お布施をしてあげた人が生きている限り、
徳を積んでいることになる。


そういう業(カルマ)の法則があります。
これも理解したほうが役に立ちます。





さまざまな善行為の中でも、人に道徳を教えて納得させること、
正しい生き方を教えてあげることは大きな善行為です。




教えられた人はそれによって立派な人間になって、
死んでも善いところに生まれ変わって幸福になるし、



教えられた人のこころの方向性は道徳的なほうに行きますから、
計算できないほど私たちに徳が返ってくるのです。



教えられた人が亡くなって善いところに生まれ変わるとします。
彼がそこで幸福になっているのは、遠い昔、誰かが彼を戒めたからなのです。



教えた自分が死んでほかの場所にいたとしても、
その徳は自分につながってくるのです。




そのように、善行為の「徳」には差があります。

それをよく理解したほうがいいと思います。<P135>




「死後はどうなるの?」A・スマナサーラ長老著書より

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
「善行為」にも色々なサイズがあるんですね
その事を知っておいた方が良さそうですね
今回のパティパダのアチャンチャー長老のご説法の中で、「徳」に関する、考えさせられる一節がありました
自分はまだまだ全然あかんなぁ・・って思い知らされたものです。
引用
『さて、瞑想を助けるものとして、心に慈しみ(metta)があるべきです。慈しみは、言い換えれば、寛大さ(施し)や、やさしさ、思いやりのことです。
これらは心の清らかさの基礎としてずっと保たなければならないものです。たとえば、施すことによって貪欲(loba)を捨てることから始めます。貪欲な人は、幸福ではありません。貪欲は不満を引きこします。でも私たちは、貪欲がいかに自分に悪い影響を与えるかということに気づかずに、ものすごく貪欲でいる傾向があります。
不満は、お腹がすいているときなど、いつでも経験ができます。
仮に、リンゴをいくつか持っていて、そばに友達がいるとしましょう。そこで、少し考えます。友だちにリンゴを分けてあげようと考えています。小さいほうをあげようと考えています。大きいほうをあげるのは、うーん、もったいない・・・・。まっすぐ考えるのはむずかしくなっています。それで友達に「一つどうぞ」と言いますが、その後すぐ「はい、これどうぞ」と言って、小さい方をあげるのです!
これは貪欲の一つの形です。人はたいていのことに気づいていません。皆さんはこのような経験があるでしょうか?』
358
2010/08/28 07:13
引用・続き
『与えるとき、自分の気持ち(大きいほうをあげたくないという気持ち)に逆らうようにしなければなりません。たとえ小さいほうをあげたいと思っても、強引に大きいほうをあげるようにしなければならないのです。もちろん、いったん大きいほうをあげたなら、喜びを感じるでしょう。
このように自分の感情に逆らって心を育てるには、自己管理が必要です。  
「与え方」と「あきらめ方」を理解し、貪欲に囚われないことが大切なのです。
与え方を学んだにもかかわらず、それでも「どっちのリンゴをあげようか」と迷ってしまったら、その迷っているあいだ、心は混乱します。迷った末、たとえ大きいほうをあげたとしても、あげた後に少し未練が残るでしょう。
そうではなく、はっきり決めて、すぐに大きいリンゴをあげるなら、行為はさっと終わります。これは「少ししかあげない」ことに正しく対処する方法なのです。このように実践することで、皆さんはご自分を上手に管理したことになりますし、もし実践しないなら、自分の被害者になり、貪欲が続くでしょう。私たちは誰でも、これまでずっと貪欲でした。貪欲は、取り除くべき煩悩です。パーリ語で「与えること」を「dana(ダーナ)」と言います。意味は「他者に幸福をもたらす」です。「与えること」は、煩悩の汚れから心を清らかにする一つの条件です。このことを観察して、「与えること」を実践し、育ててください。』引用終わり

358は大きい方に・・・・未練ありです
358
2010/08/28 07:45
ブッダの実践心理学の第5巻を読んで私も善行為について考えさせられました。
生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/08/28 07:47
358さま
掲載をありがとうございます!
自分のできることをコツコツとやって
行けば良いのではないかしら
何事も順番というものがあると思います

昨日はちょっと嬉しいことがありました
長老様の「一日一話」を6つ切りの画用紙に書いた
ものを仕事場の所長さんに以前、プレゼントした
わけですが、昨日いったら
木枠の額に入れられて飾ってありました。
自分に出来る能力にカギをかけないように
精進したいものです


あん
2010/08/28 08:45
あんさんの職場の所長さんや従業員の皆様が幸せでありますように☆
慈悲と知慧
2010/08/28 09:13
358さん、勉強になりました。ありがとうございます。もしかしたら私のブログにて引用させて頂くかもしれませんが宜しいでしょうか?
慈悲と知慧
2010/08/28 09:18
あんさん
そうですね、一足飛びには行きませんよね
正に修行を「積む」。薄くても積んで積んで積んで完成に近づくんでしょうね
大きい方を渡す事を意識して精進します。
額に飾ってもらえて良かったですね

慈悲と智慧さん
勉強になって良かったです^^
「パティパダ 2010年9月号より引用」って書いておけば掲載しても大丈夫だと思いますよ
そう言えば、そう言っておきながら自分はキチンと書いてなかったですね^^;
※本コメント欄の@Aはパティパダ 2010年9月号より引用させていただきました。
(遅ればせながら

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/08/28 09:53
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
URL
2010/08/28 10:05
おはようございます!

この本は一読したでけなので、こうして色々と教えて頂くととても勉強になります。

近く、再読したい気持ちになりました(*゚ー゚)v!

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/08/28 10:20
●何でもいいから善いことをしよう 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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