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zoom RSS 「人で失敗しない仏教対人学」<その2>

<<   作成日時 : 2010/08/05 19:37   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 11

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「人で失敗しない仏教対人学」
@言葉だけで人の心は読めない
A真の理解を得る人間関係の極意
講師;A・スマナサーラ長老 DVDより編集致しました



言葉というのは沢山テーマがあります
相手の気持ちをわかる方法はあるんです

仏教では「他心通」という言葉があります
他人の心を読めると,
冥想する人々に出来る能力なんです


確かに冥想とか修行が進んでくると人の気持ちは理解できる
ようになる。

自分の心だけではなく、他人の心も理解する必要がある
だから修行というのはどんどんステップアップしていくんです

俗世間のように「私はあの人の考えてる事解かるんだ」という
汚れた気持ちではないんです。


まず、修行によって固定概念を破るんです


例えば、あれは音楽です
これは鳥の声です
あれは車の音です
これは花ですとか


我々は区別、差別する。


見るときでも、これは花です。建物です。頭で思っちゃう
概念持っちゃう

修行して概念を破る


耳に触れるのは、鳥の声でもなく音楽でもなく
車の音でもなく

だたの「音」だけです

具体的に実際にふれたのは音だけ

その音なら猫の耳にも触れるんだと


たとえば、車の音を聞いて気持ち悪いとか
妄想世界は事実ではない

猫はどのように聞こえたのかわからない

わざと訓練して妄想概念を使わないようにする

音だけ

見えるものも見るだけ、

区別しない

事実は見えるということだけ




我々は失敗する、どう感じたか何感じたか
好きか嫌いかとか。それは幻想の世界
自分だけの世界


音がふれたら自分にどんな感じが生まれたか
ときどき、綺麗な音やと判断しちゃうと気持ちよくなる
いやな音なら嫌な気持ちになる

そこで猫にしたっても音について二つの判断が
あるんです。
そこらへんで、共通しているんです。似ているんです。

私がバラの花を見て喜んじゃう、好きだから
猫がゴキブリを見て喜びがうまれる
そこらへんで似ているんです。


自分が怒ってる気持ちを理解する
そして他人の怒ってる気持ちを理解する
欲だしちゃったらその気持ちを理解する

こういう感じだと理解する

そこで、他心通で読めるのはそこらへんなのです。

この人の心に欲がある、無痴がある、今沈んでいる
混乱状態だとか、この人の心は今、小さくなって弱いんだと、
今、強いんだとか・・・・


そこらへんは通じる
心は明るく回転している、悲しそうだとか


しゃべらなくても気持ちは通じる


すべての生命に普遍的な感情は通じる





ですから、我々は一番隠したがるもの。
自分の我儘やエゴ、自分の怒り、嫉妬など
思う存分他人に通じているんです。





ではお聞きしますが
皆様は自分の事を他人にどう思って欲しいんですか?


結局は、よく思って欲しいでしょ
良い人、立派な人だと思って欲しいでしょ
だから解かるでしょ?

ないものを欲しがるんです

心から出す電波が相手の心にぶつかって
反応を起すんです。
だから正しい反応を起すんです。


電波がないと受け付けない
電波が怒りだと相手の心が反応を起こす


コミュニケーションは成り立たないといったんですけど
本当はもうとっくに成り立っているんです



だから我々の心から
実際にある感情を電波として出しているんです。

そこで、たとえば自分の携帯電話という電波で受けているんです
心の感情を電波としてだしている




問題は我々は嫌なんです
人を嫉妬するんだけど、知られて欲しくないんです。

ときどき、経験あるでしょ

ある人々とは話てて気持ちいい

ある人々とは丁寧に喋るんだけど・・・なんか気もち悪い



それは何でしょうか
心から出している波動なんです
だからそこを読み取ってください

私には全然面白くない
知りたくないんだから、でも知る羽目になっている

訓練しているんだから、0.5秒位でぴったり読めるんです

余計なことで悩んだり苦しんだりしてる
ちょっとしたことで直るでしょ
この人は20年かかるんだと
5年かかるんだと

頑固な心だとわかっても
わたしにはどうする事もできないでしょ

解かるんです。


だから私はイイ気分じゃないんです
皆様より一歩上ということになりません
できれば相手の気持ちは解かりたくないんです
その方が気持ちが楽なんです

だから気持ちが斜めなんです

すべての経典をぐるぐる頭の中で回して回転させて
その人その人に合うように、考えて
かなり頭は強力なコンピュータのように回転させないと
皆様の何万倍も考えてる
ときどき、自分の体に耐え切れない

それくらい苦労しなければならない
悟りに必要なくらいはわかって欲しい


怒り、欲で苦しんでいるでしょう
好き嫌いなんて意味がない
わがまま自体もアホらしい
何も意味がないんだと


みんな自分が正しいと思っている


でも「あなた正しいと思ってるね?」と、聞いたら
「いいえ、全然とんでもない」と言うんだけど



でも本当は正しいと思ってる

結局は自分は正しくないんだと

自分なんて無いんだとおもったら

全ての問題は解決するのに




そこらへん理解すれば悟りには直ぐに至って
心が清らかになって安らぎを体験できるんです

それで話は終了いたしますが


「コミュニケーション」 一応は成り立っているんです


それは、ほんとは思って欲しくないもの
解かって欲しくないものは みんな解かっているんです



我々はわかって頂戴、わかって頂戴という

自分の主観的な概念は誰ひとりも解かってくれない

それは不可能です



なぜなら、心に反応おきません。

電波出してないんだから

私はあなたの事心配してるんだと口でいっても
こころの中で心配する気持ちがなければ通じません





皆様に提案があります

優しいこころ作ってください




知られてもなんの問題もない慈しみを育ててください




嫉妬、怒り、憎しみなんか毒だと

ゴミだと、汚物だと、心から捨ててください

人を憎んだり嫉妬は、自分が気もち悪くなったと

自分が汚物の中に入ったと思って嫌ってください

みんなが幸福で明るく幸せでいてほしい

私の人生のモットーはそれだよと・・
そうなると敵がいません。


<おわり>




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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
 あんさま。昨日は、広い心で私のコメントの公開を維持して下さり、どうもありがとうございます。

 昨日、文献を挙げませんでしたが、スマナサーラ長老の説法を引用します。

 スマナサーラ長老 …人間は、これが花だと思っています。これは現象です。ありのままに見ていないんです。…中略…

 瞑想をみんなに教えるとき、私はこういうことを言います。
 一カ所で同じ位置でいろんな生命にこの花を見てもらう。猫に見てもらったり、カラスに見てもらったり、蛙にも見てもらったりする。…中略…
 それでみんなに見える花は違うと推測できるでしょう。

 しかし、みんなの目にはまんべんなく同じ共通したデータが入ったんです。…中略…

 私に必要なのは共通しているデータです。それは妄想を絶ったところで現れるんです。

 山折 これを花と見るのが妄想で、それを切ると何になりますか。

 スマナサーラ長老 そうすると誰にも見える真理が見えてくる。

 山折 それはなんでしょうか。誰にでも共通に見える真理とは。ここからどういうものが現れてきますか。花以外の何が現れてくるんですか。…中略…ちょっと言ってみてください。私はわからない。

 スマナサーラ長老 ここからは目を刺激する情報に触れるだけです。仏教では色(ルーパ)と言います。

 色と言ったところで、花は存在しません。
(引用終わり。「迷いと確信」サンガ、113頁以下。山折哲雄氏との対談本。)
 
ご紹介
2010/08/06 07:11
 なお、目は「眼」が表記として正しいのではないかと思います。文字までは長老のチェックは入っていないと思います。
 仏教でいう「眼」は肉体の「目」ではないとスマナサーラ長老がおっしゃっておられたと思います。
 真理が「見えてくる」も「観えてくる」が正しいと思います。
 パーリ語はカタカナ表記しました。)(続く)
ご紹介
2010/08/06 07:12
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。
 
 一切の無常という法則をね。智慧で見ると無明が消えます。
 
 捏造で見たっても、無明はそのまんまです。

 「あっ、無常だ。無常だ。」とかね・・・みんなよく言ってますね。

 うるさいんですね。(笑)すごいもう・・・無常じゃないんです。「何か壊れたんだから無常だから・・・」とかね。そんな程度でなくて、智慧で、素粒子のレベルでね。物事をね。光の速度より速く、物事が変化していくということを観察しなくっちゃいけないんです。
 そのときはこの捏造した現象の無常じゃ足りません。真理をみなくっちゃいけない。
 何を見て「バラの花だ」と捏造したところで、何を見たのかということ大事なんです。捏造する前に。
 
 それが無常なんです。…中略…

 そこでポイントは、カラスの目に触れた情報は何なのか、人間の目に触れた情報は何なのか。それは同じ情報なんですね。
 
 その同じ情報自体が無常なんです。
 
 それが恐ろしい勢いで変化するものなんです。
 
 その無常ということを発見した時点でもう無明が終わっています。(引用終わり。http://www.kyt-net.jp/~housenji/bukkyou/mumyou_muchi_2009-10-2housenji.pdf、宝泉寺WEB内)

 以上より、スマナサーラ長老は、「素粒子レベルで猛烈なスピードで変化する生命共通のデータとしての物質」としての「色」「音」などを観るように瞑想指導されておられる、そのような超越した智慧のレベルまで導くように瞑想指導されておられることは明らかだと思います。 
ご紹介
2010/08/06 07:25
ご紹介様
忠実に長老様のお言葉を掲載して頂きまして
ありがとうございました。感謝!

字の違いも私個人的には全く同意見でございます。

このブログを見て頂ける方が
興味を持って実践してみようと
思われる方が増えることを願います。

興味の度合いは各個人個人ばらばらで
あるのはもちろん、同じテーマであっても
それぞれの受け取り方も
違うでしょう。
押し付けず、執着せずにただ淡々と掲載していく
そんな事が私に出来ることかと思っています

今日も一日暑くなりそうです
お幸せでありますように

あん
2010/08/06 07:51
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
慈悲と智慧
2010/08/06 10:17
 ぱんさまのブログ新バージョンにコメントの書き込みをしました。
 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_4.htmlです。
ご紹介
2010/08/06 12:26
皆さまこんばんは。真夏のお話です↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
300年振りに「カメのカメ子」の背中に乗っかり龍宮城から帰ってきたもくぎょ。浜辺での別れ。

もく「さよ〜なら〜」
カ子「バイバ〜イ、まったね〜」パタパタ

もく「・・またね?」 

別れを悲しむ間もなく「あん姫」から手渡された「絶対に開けてはいけない」玉手箱の中身が気になるもくぎょ。早速ふたを開ける。ワクワクドキドキ・・・パカッ!

「な、なんだこりゃ??」

出てきたのは一枚の紙切れ。

それは300年分の遊行費の請求書だった。そしてその途轍もない金額に頭が真っ白になるもくぎょなのでした。

カメ子の真夏の怪談でした。いいのかな〜((((^^;;
もくぎょ
2010/08/06 19:49
もくぎょ様

暑中お見舞い申し上げます!


あん
2010/08/06 21:09
 先に引用しましたぱんさまのブログ新バージョンのURLは、頭が真っ白になる玉手箱かもしれませんね。

 釈尊の説法を収めたパーリ経典(中部経典22)に「蛇喩経」という経典があります。協会発行、スマナサーラ長老の経典解説DVDがあります。
 
 そのスマナサーラ長老の経典解説の一部を、私の記憶に基づいて要約して書くと、この経典では、アリッタというお坊様が、性欲を肯定するようなことを、人々に、述べたのでした。
 
 他のお坊様が、それはブッダの教えと異なると言っても聞かないので、お釈迦様に申し上げたところ、お釈迦様の下にアリッタを呼んで、お釈迦様がご指導されることになりました。
 
 しかし、このアリッタというお坊様は、お釈迦様のおっしゃることにも耳を傾けなかったのですね。
 
 それで、お釈迦様は慈悲がありますから、このお坊様は、お釈迦様にまだ何か期待していたかもしれませんが、お釈迦様は、この人は捨てて、説法されたわけですね。
 
 このお坊様の場合、それが最も慈悲ある取り扱いなのだと思います。

 お釈迦様に相談したお坊様は、ブッダの教えを守るということに真剣であり、また、慈悲深く、勇気もあると思います。(続く) 
ご紹介
2010/08/07 18:11
 この経典で、お釈迦様は、「筏の喩え」を説かれております。一部引用します。

 「修行僧たちよ、それではどのようにすれば、その人はその筏についてなすべきことをなす人となるのであろうか。

 ここで、修行僧たちよ、向こう岸に渡ったかれがこう考えるとしよう。

 この筏はたいへんわたしの役にたった。

 わたしはこの筏に乗って手と足を使って努力して安全に向こう岸に渡った。さあ、わたしはこの筏を陸地に置き捨て、あるいは水に沈めて行きたいところに出発しよう、と。

 修行僧たちよ、このようにする人はその筏についてなすべきことをなす人であろう。

 そのように、いいかね、修行僧たちよ、わたしは筏の譬えの教えを説く。

 〔筏は〕渡るために〔あるのであって〕、取っておくために〔あるの〕ではない〔ということを〕。

 修行僧たちよ、筏の譬えをあなたたちは理解した。

 あなたたちは、もろもろの教えといえども捨て去るべきである。

 いわんやもろもろの悪い教えについてはなおさらである。」(一部引用終わり)

(「原始仏典第四巻中部経典T」、中村元監修、春秋社、331頁以下。なお、この本では、「蛇喩経」という経典名ではなく、「正しい教えの把握の仕方」というタイトルがつけられています。) 
ご紹介
2010/08/07 18:13
 申し訳ありません。最後から3行目以下、「蛇喩経」という経典名だけでなく、というのが正しいです。
ご紹介
2010/08/07 18:16
「人で失敗しない仏教対人学」<その2> 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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