幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ●私の基準で評価する誤り

<<   作成日時 : 2010/08/08 07:53   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 10

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「私」の基準で評価する誤り
人と人との関係でなくても、生きる「苦」は勝手に生まれ続けます。
私たちは生きるために、

「苦」を和らげるために、ものごとを知ったり、
行動しようとしたりします。



しかしそれが、全く期待通りにいきません。



それどころか、知ることで、行動することで、逆に「苦」をつくりだします。




なぜなら、眼・耳・鼻・舌・身体・心に入るデータは外の世界のもので、
「私」が管理することが出来ないからです。






たとえば、目を閉じて、パッと開いたときに見えるものを、自分で指定する
わけにはいかないでしょう。




音にしても、いつも、いつも、自分の好みの音楽やうれしい言葉ばかりが
耳に入るというわけにはいきません。




ですから、目に入るもの、耳に入るものを、選べないまま見たり、
聞いたりしています。




加えて、選択できずに入ってくるデータを、


「好き」「嫌い」「面白くない」



という「私」の基準で、




「私」の感情で、評価しています。
これが大きな問題です。


「結局は自分のことを何もしらない」
役立つ初期仏教法話6
A・スマナサーラ長老著書より抜粋致しました





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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように。
慈悲と智慧
2010/08/08 08:32
暑い毎日ですが、お幸せに^^
生きとし生けるものが幸せでありますよ〜に〜♪
358
2010/08/08 09:09
あん様。

暑中お見舞い申し上げます。

いやはや、連日暑い日が続きますが、ブッダの教えを頼りに頑張りたいと思いま(^-^*)/。

2010/08/08 09:25
 困った時はダンマパダより、おんがえしのコメントを一部引用します。

 私は、困った時はダンマパダの46のコメント欄で、スマナサーラ長老が「主観が滅すれば客観です。」というような趣旨のことをおっしゃられたことを書き込ませていただきました。

 そして、スマナサーラ長老が、ブッダの教え(客観的真理の教え)を現代までそのまま伝えられている一つの証左であると思うということを書きました。

 主観の外の、どんな生命から観ても共通な客観、これが究極的な客観的真理だと思います。

 この客観的真理が存在するということを証明するために、多くの方々は主観と客観が一致するということを証明しようとしてきました。

 しかし、主観と客観が一致するということを証明するためには、主観が100%認識として正しいということを証明しなければなりません。ですが、主観が100%正しいということを証明するには、主観を立証手段に用いるしかありません。客観はまだ明らかになっていないからです。

 そうするとその立証手段たる主観が100%正しいということをさらに立証しなければなりません。それには、また主観を立証手段に用いなければなりません。

 こうして循環論法に陥ります。
 
 「主観が滅すれば客観です。」とお言葉は、こうした循環論法を超越していると思います。もし、客観的真理というものがあるならば、これしかないと思うのです。

 スマナサーラ長老は、音が耳に入った場合に、「音」と実況中継してくださいとしばしばおっしゃると思いますが、この「音」にも超越したレベルがあるのではないかと思います。

 つまり、主観が滅したときに明らかになる「音」というものがあるのではないかと思うのです。そして、それが客観的真理なのではないかと思うのです。(一部引用終わり)
ご紹介
2010/08/08 09:50
 このようなことからすれば、「色」「音」と実況中継することを認めるか、認めないかということは、客観的真理を認めるか、認めないかということに大きくかかわっていると思います。

 「色」「音」という実況中継を認めるか、認めないかということは、ブッダの教えから、主観的な「解釈」「見方」「基準」というものを排して、ブッダの教えを、客観的真理の教えと認めるか、認めないかということに大きく関わっていると思います。

(なお、昨日までに、スマナサーラ長老の説法を引用しながら述べましたが、上記「色」「音」は、素粒子レベルで猛烈なスピードで変化する生命共通のデータです。主観を超越したデータだと思います。一般にいう「色」「音」とは異なっています。)。

 ですから、「色」「音」という実況中継を認めない方(比丘の方も含む)は、ブッダの教えに、主観的な「解釈」「見方」「基準」というものを肯定することにもなると思います。

 実際に、アラナ精舎日記2009年3月13日「ラベリング,特別な体験,出家などの質問」2009年5月16日「テーラワーダ仏教の色々な解釈について」は、そのような結論となっていると思います。
ご紹介
2010/08/08 10:29
 困った時はダンマパダ204より、おんがえしのコメントを一部引用します。http://76263383.at.webry.info/201004/article_6.html

 スマナサーラ長老の説法で、ブッダの教えを学ばれた方々は、最高の知見を得ておられると思います。
 
 その最高の知見は、色眼鏡になる場合もあると思います。
 
 つまり、誰か他の方が、仏教を説いた場合に、その方は、本当は大したことを述べていないのに、スマナサーラ長老から学んだことを『無意識に』補って、見聞きしてしまう危険があると思います。
 
 なぜならば、人は往々にして、自分・私の知識を基準にして判断するからです。
 
 これは一種の「慢」だと思います。(一部引用終わり)
ご紹介
2010/08/08 18:43
あん様こんばんは。暑中お見舞いありがとうございました<m(__)m>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏のお話その後↓
ドンドン!ボロ小屋のドアをけたたましく叩く音。この所連日でやってくる「取立て屋のカメ子」である。

カ子「コラ〜もくぎょ〜金かえせぇ〜」
仕方なく急いで開ける。ガラガラ

カ子「なんだいたの〜?お水ちょうだ〜い」トコトコ

勝手知ったる他人の家。冷蔵庫を開けて水を飲む。グビグビ・・

カ子「ア〜〜。やっぱ深層水は千葉沖だねぇ〜。おやつない〜?」ガサガサ

これ以上荒されてはもくぎょの食べ物がなくなる。後ろ足を引っ張り無理やり引き離す。ズルズル

カ子「いや〜〜〜ん!!」

とりあえず内職で貯めた「500竜宮」を渡し出て行ってもらう。

カ子「もくぎょ〜まったね〜」パタパタ

それにしても助けたカメが取立て屋とはトホホのもくぎょなのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カ子「あん姫〜〜。もくぎょが消してもかまわないって言ってました〜」^^
もくぎょ
2010/08/08 20:26
皆様
連日の暑いメッセージ
ありがとうございます(* ̄0 ̄*)
カメ子共々嬉しく思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/08/08 20:55
このブログの皆様や生きとし生けるものが安穏でありますように。
慈悲と智慧
2010/08/08 22:29
ぱんさまのブログにコメントの書き込みをしました。新さまもたくさんコメントしてくださいました。

 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_5.html

 それと、こちらもご紹介します。
 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201007/article_7.html
 文章読むと誤解される方もいらっしゃるかもしれませんが、おんがえしは、将来にわたって、事務局長が、スマナサーラ長老の従者的立場を続けられるように願っているのですね。

 一方、スマナサーラ長老を師であるとブログの頭書きで述べられているワンギーサさまは、詩才がおありのように思います。

 このような話があります。

 「ブッダ自身は、自分の教えは将来気づかれず失われていくだろうと予想して、次のように述べている。…中略…そして、これらの法が学ばれるべきであり、暗唱さるべきであるとは、思わないであろう。(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4‐5)

 さらに、ブッダは、詩人によって作られた美しい字句をもつ美文調の詩歌が、経典として覚えられていくようになるだろうとも予想し、そのようにならないように心してこれらの経典を守っていくようにと、弟子たちに念をおして告げるのである。」
(「ブッダ論理学五つの難問」(石飛道子著、講談社選書メチエ180頁) 
ご紹介
2010/08/09 06:35
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