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zoom RSS ●誤知ででき、「苦」をつくり続ける「私」

<<   作成日時 : 2010/08/09 06:33   >>

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「結局は自分のことを何もしらない」
役立つ初期仏教法話6
A・スマナサーラ長老著書より抜粋致しました



●誤知ででき、「苦」をつくり続ける「私」




生きることは本来「苦」です。それを「存在苦」といいます。


ただ単に、生きているだけで苦しいです。
しかも我々は、その苦しさをどうにかしようとして
間違った方法で対処するので、たまりません。


存在苦の上に、期待が外れる苦、

失敗する苦、嫌な人と出会う苦、

好きな人が離れる苦、他人と比較してみじめになる苦、

他人を軽視して攻撃して他人から非難を受けるなどの苦、

努力しても適わない苦、努力できない苦、


頭の妄想のせいでものごとを把握できない苦、
他人に負ける苦などをつくりだします。



「苦」をつくって、つくって、つくって、つくって・・・・
きりがなくつくり続けます。

これが「私」という世界です。

生きるとは、こういうことです。




どうですか?

結局「私」にできるのは、生きる苦を増やすことだけです。

「私」がなにをしても、したすべてのことが、生きる苦に新たに
苦を付け加えるという結果になります。





●誤知を正知にかえてありのままをみる



お釈迦様が教える道、それは誤知を正知に変えて、

ありのままに事実を

発見することです。「正知」ということです。



見るもの、聞くもの、感じるものなどを捏造しないで、

自分で解釈、判断しないで、

そのまま受け入れてみるのです。

そのまま認識してみるのです。





ちょっとの時間捏造をやめてみます。

見えるもの、聞こえてくるもの、

感じるものを、そのまま、見て、聞いて、感じて、



じーっとなにも考えないで、判断しないで生きてみます。


これは修行です。



妄想しないで、思考しないで、


データをありのままに知るという修行です。






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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
慈悲と智慧
2010/08/09 08:25
自転車のかごにくっついてるのは蛾かな?
おしゃれな飾りかと思いました。誤知?^^;
夫婦かな?
妄想が膨らみます^^;
358
2010/08/09 10:23
 困った時はダンマパダよりおんがえしのコメントを引用します。

 『隻手の音声』という禅の公案があると思います。
 
 「隻手の音声は預流果の悟り」というご趣旨のお話をスマナサーラ長老がなされた記憶があります。
 
 右手と左手を叩くと音が生じると思います。
 音の波が有で、耳の波が有でぶつかると(触)、感受が起こると思います。
 即ち、六根が六処とぶつかる(触)と感受が起こると思います。
 これが両手の音声だと私は思います。
 
 隻手の音声は、この六根と六処がぶつかって感受が生じたところでストップし、思考まで行かないことで、次の瞬間起こる出来事なのではないでしょうか?
 
 困った時はダンマパダ178のコメント欄で、現代人のための瞑想法(スマナサーラ長老著、サンガ、第7章悟りについて知る)を紹介いたしました。そこに、預流果の悟りについての記述があると思います。
 また、最近発売されたサンガ・ジャパンにおいても同様の記述があると思います。
 これをお読みいただければと思います。
 
 なお、これら書物でスマナサーラ長老が説かれたことは、一般人にも理解できるように語られたことですから、実際に預流果になった人が回答する隻手の音声は、また微妙に違ったものになるかもしれないと思います。(引用終わり)http://76263383.at.webry.info/201003/article_23.html
ご紹介
2010/08/09 14:34
 上に述べた音の波というのは、昨日までにスマナサーラ長老の説法を引用しながら述べました「素粒子レベルで猛烈なスピードで変化する生命共通のデータである音(の波)」のことと思います。

 耳も、肉体の耳ではなく、そのような素粒子レベルの耳の波だと思います。

 どちらも素粒子レベルの物質の波だと思います。

 スマナサーラ長老が「(生滅とはいっても)実際には、波として観える」というようなことを瞑想合宿でおっしゃられた記憶があります。

 それで、おんがえしの述べる両手の音声ということを念頭に置くと、スマナサーラ長老が、現代人のための瞑想法第7章「悟りについて知る」で述べておられることが、まさに「隻手の音声の答え」であることに気づかれると思います。

 スマナサーラ長老は、隻手の音声の答えを堂々と書かれておられたのですね。しかし、ほとんど誰も気づいていなかったのではないかと思います。
ご紹介
2010/08/09 14:53
358様

でっかい「蛾」かな・・・
あんなのは初めて見ました
(だれか虫博士はいませんかぁ?)
私の自転車のカゴに半日くっついて
並んでいました。
「ご夫婦ですか?」と質問しましたが
返事はありませんでしたので、不明ですが
仲良しのような羽長を感じました


あん
2010/08/09 16:32
 あんさま。対応に困らせてしまったかもしれません。

 隻手の音声は、仏弟子の世間話(サンガ)でもスマナサーラ長老が取り上げられ、答えはあるとおっしゃられながら、具体的な答えは述べておられなかったのですね。
 
 しかし、この隻手の音声には、多くの方が関心をいだいていらっしゃると思います。

 公案は、禅宗において、門外不出だと思いますが、多分、その禅宗において、正しい答えはほとんど失われているのではないかと思われます。

 音の波を右手にたとえ、耳の波を左手にたとえ、音の波と耳の波がぶつかる(触)とヴェーダナー(感受)が生じるのを、右手と左手をぶつけると拍手の音が出るのにたとえると、両手の音声になると思います。

 隻手の音声は、スマナサーラ長老の説法の私の記憶・理解によれば、音の波が「無」で、耳の波が「有」で、「触」が滅し、ヴェーダナーが二ローダー(感受の滅)したことを、たとえていると思います。

 右手がなくて左手だけなので、拍手の音が出ないということですね。

 しかし、これはスマナサーラ長老の卓抜した能力で、一般の方に分かるように説明されたものですから、実際に預流果に悟った人が、スマナサーラ長老に隻手の音声の回答を報告される場合には、やや違った回答になると思います。

 なお、その人が本当に預流果に悟っているならば、正しい正解を報告しても、スマナサーラ長老は、それを正しいと認定されないと思います。

 なぜならば、テーラワーダでは、悟りの認定というものは行われないと聞いているからです。

 ただ、おんがえしも述べていたように、報告とは無関係に、祝福のお経(?)のようなものを挙げてくださることはあるかもしれないと思います。
ご紹介
2010/08/09 18:24
ご紹介様いつも的確な内容を頂きまして
感謝しております。
このブログの主旨と致しましては
あん姫?は気まぐれ屋さんでございますゆえ
どんな方向へ行くかも知れませんが・・・・

始めて訪れた方でも解かる内容、皆で納得いって勉強になるという内容を中心に伝えて行きたい。という想いがございます。
各個人のお勉強の成果を発表するも良し!
創作童話を発表するも良し!
だじゃれを言うも良し!
特に制限は致しませんが、
コメントに関しての議論、意見等のコメントは
控えさせて頂きたいと思います。
各個人の尊厳を守りたいと思います。
お幸せでありますように
あん
2010/08/09 19:32

自分の心がどう変わったのか?

仏教での教えは理屈で解かって

実行はむずかしい

あんの独り言
2010/08/09 19:50
あん姫今晩は。い、いつのまに(^^;;

>でっかい「蛾」かな・・・
>あんなのは初めて見ました

これは「セスジスズメガ」に似ているようです。よく似た画像がありました。検索すると結構あります。↓
http://www.waseda.jp/honjo/honjo/shiki/konchuu.htm#sesujisuzume
もくぎょ
2010/08/09 19:56
大きな画像を見たら
肌の周りの素粒子が波打って肌にふれました。

調べてもらってありがと



つぶあん
2010/08/09 21:16
●誤知ででき、「苦」をつくり続ける「私」 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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