幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS 一切の形成されたものは苦(Dukkha)であると知ったなら..

<<   作成日時 : 2010/08/10 06:42   >>

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お釈迦様はこのようにおっしゃいました。

「一切の形成されたものは苦(Dukkha)であると知ったなら、
それによって人は一切の苦を乗り越える。これが清らかな道である」



世の中の組み立てられたもの、形成されたもの、すべての現象は苦しみ
である、ということを正しく理解することによって、


私たちは世の中の現象に対して嫌悪感といいますか、
厭う(いとう)という気持ちが生まれてきます。


それで、清らかな道・聖なる道を歩むようになります。


これこそが悟りに至る道であり、真理に出会う道であり、
苦しみを克服する道なのです。


苦(Dukkha)というのは、ほんとうは「苦しい」という意味ではなく、




「空しい(虚しい)」という意味です。




しかし私たちは人生を空しいと思っていません。

その反対で、人生は楽しくて素晴らしいものだと考えているのです。

でも、人生を鋭く観察してみると、


「私たちはいったい何をやっているのか」
という空虚な気持ちにもなります。結局は空しいのです。


お釈迦様は「生きるとはどういうことか」を研究し、
「普遍的な真理」を発見しました。



この真理は、人間にも、神々にも、

動物にも、すべての生命に共通するものです。

生命すべてにとっての普遍的な真理とは、

「生まれて成長し、年をとって死ぬ」ということです。


ミミズも、フンコロガシも、人間も、神々も、すべて同じなのです。

すべての生命が「生まれて、年をとり、死ぬ」のです。



この価値を、お釈迦様は「存在は苦である」とおっしゃいました。

つまり「空しい」ということです。



このことを少しでも理解しておけば、私たちは今よりずっと
楽に生きることができるでしょう。


私たちは非論理的で、ものごとに対して余計な価値を入れているため、
たいへん苦しんでいます。


しかし、真理の立場から見ますと、この「苦しい」ということも

余計なことなのです。


私たちの苦しみー欲しいものが得られないこと、「親しい人と別れること、
嫌な人に会うこと、病気になること、老いること、死ぬことなどは
自然の現象であり、本来たいした苦しみではありません。

でも、なぜそうしたものが苦しみになるのかといいますと、



それは私たちが「自分」というものに強烈に執着しているからです。



執着しているために苦しみが増大し、空気のように気楽に動くことが
できなくなっているのです。




「一切は苦である」ということは

「一切のものは無意味で価値がなく、気にするものではない」
という意味になるのです。




この世の中にそんなに気にするものがあるでしょうか?

見つかるでしょうか?


何も見つかりません。



このことが分かれば分かるほど、こころに喜びや安らぎが生まれ、
気楽になっていくでしょう。




「なぜ苦は偉大なる真理なのか」A・スマナサーラ長老
日本テーラワーダ仏教協会冊子より抜粋



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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時

>苦(Dukkha)というのは、ほんとうは「苦しい」という意味ではなく、「空しい(虚しい)」という意味です。

確かに「虚しい」という表現の方かピンときました^^
ありがとうございます。
お幸せに

358
2010/08/10 07:59
おはようございます。

いよいよ、聖なる真理「ドウツカアリアサッチャ」の登場ですね!!

昨日、今日と涼しく過ごしやすいですが、凡人ぶりは痛感しております。

少しは「無価値」を理解する必要性がありそうです(^-^;)。

2010/08/10 08:25
多くの人に知ってもらうと趣旨でブログのランキングに参加されてはどうでしょうか?
もう参加されていたならあれなんですが。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2010/08/10 08:36
ランキングへのご助言ありがとうございます
ちょっと調べてからやってみますね。
お幸せでありますように
あん
2010/08/10 09:42
 おんがえしが、宝泉寺の掲示板で一部紹介したことがありますが(現在は削除)、次のような質疑応答があります。
 (ご回答は、スマナサーラ長老です。)

 Q 「善行為をするときは人に知られないようにやりなさい」ということをよく聞きますし、他宗教でもそう教えているようですが、募金などをするときは匿名にしたほうがいいのでしょうか。仏教ではこの点についてどう考えていますか。

A 「人に認められたい、褒められたい」という目的で物を与える場合、それは純粋な与える行為だとは言い難いのです。「私はこれだけのことをやったぞ」と威張って宣伝すると、それはただの商売になります。

 キリスト教の聖書にも「右手のしていることを左手に知られないようにしなさい」という有名な言葉がありますが、そちらでも商売感覚や宣伝機能を断ち切るために、内緒で与えなさいと教えているのです。

 しかし仏教では「○○さんはこんな善いことをしました」と周りの人が宣伝することは認めています。

 そうすると、それを知った人たちも善い影響を受けて、善い行為をするようになるでしょう。

 それで「徳」が広がっていくのです。

 もし誰も知らないなら「徳を積んだ、良かった」という自分だけの満足で終わりかねません。

 仏教は、自分だけでなく他人も幸福になりましょうという大きな世界ですから、他人の善行為を皆で分かち合い、喜ぶことも大切に考えているのです。

(引用終わり。パティパダー仏暦2548年(西暦2005年)2月号15頁)。

 ですから、ブログで名前を公開するか、ハンドルネームのような匿名にするか、また、ランキングに参加するかといったことは、こういうことを考慮してされるのがよいのではないかなと個人的には思います。(続く)
ご紹介
2010/08/10 11:52
 因みに、上に、キリスト教えの「右手のしていることを左手に知られないようにしなさい」という言葉が出てきます。

 これが昨日コメントしました禅の公案『隻手の音声』と全く関係がないことは言うまでもありません。
ご紹介
2010/08/10 11:56
あんさんの負担になりすぎない範囲でご紹介さんの意見も参考に検討して頂ければと思います(^_^)

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2010/08/10 18:11
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。

 「仏教は、人を管理するためにあるわけではない」ということがわかるエピソードが経典にあります。
…中略…

 もうひとつ、夢の話があります。やはりお釈迦さまが悟る前に見た夢とされるエピソードです。

 ”お釈迦さまの膝の高さまでうじ虫がいっぱい身体にくっついているのです。
 
 このうじ虫はとりわけ気持ち悪くて、頭が黒くてからだが白くて、その気持ち悪さときたら、格別です。

 その気持ち悪いうじ虫が膝までぎっしりとついています。”

 こちらの夢の解説は、次のようなものです。
 
 ”お釈迦さまが悟ってから説法をすると、大勢の人々が仏教の教えを聞くようになります。

 仏教を信じて実践する人々がたくさん登場します。

 そんな在家の人々が、お釈迦さまにとってはうじ虫です。”

 この二つのエピソードでは、何を伝えようとしているのでしょうか。

 どちらの夢も、「仏教は人を管理しようとしません。」「マインドコントロールしません。」ということを言っています。
 
 …中略… うじ虫を獲得しても、気分が悪いだけです。

 財産や名誉や、信仰する人々に対して、執着も期待も正覚者にはどれほどないものであるかを、ドラマティックに説明しているのです。

(「ブッダの集中力」サンガ91頁以下)
ご紹介
2010/08/10 18:40
創作童話?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここは−竜宮競亀場−少ない元手を確実に殖やそうと一番人気の亀券を買うもくぎょ。一緒について来た取立て屋のカメ子。

カ子「カメ子もぉ〜〜!」ビリビリ・・

おねだりしてもくぎょのズボンを引きちぎる。しかたなく100竜宮あげる。

カ子「ル・ル・ルルル〜♪・・」

カメ子は当たるはずがない超万亀券を買う

「あん姫杯レース」スタート!順調に先頭集団につくもくぎょの亀。だが最終コーナー先頭の亀がこけると後ろから来た亀が次々に巻き込まれこける。

ゴールしたのはカメ子の亀!

もく「ナッナヌッーー???」

初めてのレースで「1000万竜宮」を手にしてルルル〜のカメ子。

カ子「もくぎょ〜おっごり〜♪」

元々もくぎょのお金で大金を手にしながら深層水のボトル一本だけのおごりとは・・トホホ〜のもくぎょなのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イヤもくぎょ賭け事しませんよ^^;;
もくぎょ
2010/08/10 21:08
 ブッダの教えは、信仰の教えではないと思いますが、スマナサーラ長老だけというスマナサーラ長老ファンは、ドでかい当たりくじを引いておられると思いますね。

 ただ、結構そういう方、いそうでいないんですよね。ほどほどに、はずれくじに浮気していたりして。

 ちなみに、ニャーナーランカーラ長老、ダンミッサラ長老、スダンマ長老、インダラタナ長老は当たりくじだと思います。

 ※ 当たりくじという表現は、あくまで賢者の譬えとして用いています。
ご紹介
2010/08/10 21:24
とりあえずバナーは付きました。

一年生ですのでヨロシクお願いしま〜す
あん
2010/08/10 23:01
 ぱんさまのブログにコメントを書き込みました。
 新さまとも対話いたしました。
 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201008/article_6.html
 ランキング参加を一番喜んでいるのは、実は、私かもしれませんね。
ご紹介
2010/08/10 23:18
バナーさっそくクリックしました。

一人でも多くの方が長老の法話を読んでこころが成長する機会を得られますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2010/08/11 00:02
magagiokさまのブログに書き込んだ際のコメントより引用します。
 http://blogs.yahoo.co.jp/magagiok/60103415.html#60132433

 スマナサーラ長老は、このように仰っておられます。

今月のジャータカのエピソードは、笑いを取る目的で、ユーモアを駆使して語られています。

詐欺師は必ず他のずるがしこい人にだまされるのです。

人を欺いていくと、自分に自信がつくのです。

人は簡単にだませると思って、わきが甘くなるのです。

それで単純なところで、自分もだまされるのです。

それが詐欺師にとっては、いても立ってもいられない悔しい状況なのです。

詐欺師をしつけする方法は、説教することではないかもしれません。

逆にだまして、大恥をかかせれば、だまされる側の気分を味わわせれば、よいかもしれません。

詐欺師がだまされると、一般の人がだまされたよりも、ショックが、悔しさが、悩みが、何百倍も多いのです。

(引用終わり。ジャータカ、アオサギ物語におけるスマナサーラ長老の解説。パティパダー昨年6月号47頁)
ご紹介
2010/08/11 06:43
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