幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS △生命は常に何かしていないと不安になる

<<   作成日時 : 2010/10/23 06:28   >>

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生命は、いつも何かを探しています。
いつも何かをしている。
いつもどこかへ向かって走っている。
何かしていないと、ものすごく不安になるのです。
何もしないでいると、不安で不安でしょうがない。
とにかく何かしなくてはと動いている。

音楽をしたり踊ったり、
政治学をやったり法学をやったり、食べたり飲んだり・・・・
画像


動物園に行って動物を観察したことがないでしょうか。
檻の中にトラとか狐とか山猫とか、いろんな動物がいますが、
彼らは動き回っています。


こちらから向こうのほうへ歩いていき、
また向こうからこちらへ歩いてくる。

それを繰り返して、ほんのちょっとも止まっていません。
小さな檻の中ではそんなにすることもないのだけれども、ときには隅っこに

頭を突っ込んで鼻先で何かの臭いを嗅いだりしている。
死ぬまでそんなことを、あの動物たちはやっているのです。

私たち人間もまた、あの檻の中の動物と同じように、
何かしらをやり続けています。

何もすることがなくなったと思ったときには、ものすごく不幸になって、
精神的な危機に陥ったりします。

(途中省略)

人間というのは、どういう存在なのでしょう。
生きているというのは、一体どういうことなのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひと言でいうならば、人は、目隠しをしたままで走り続けているようなものなのです。
ゴールまで、とにかく走らなければいけないのだけれども、

目隠ししているから、そのゴールはどちらの方向にあるのかわからない。

前にあるのか後ろにあるのか、右にあるのか左にあるのか、
どちらにあるのかわからないのだけれども、とにかく倒れるところまで
走らなければいけない。

しかも、その倒れたところが、ゴールだったかというとそうではない。

それが私たちの人生なのです。

ですから、何らかの宗教を信仰していても、心の不安状態は消えることがない。
目隠しをして走る人生をそのまま続けることになるのです。


その不安が消え去った状態を、悟りというのです。
自我が溶けてしまった状態ということもできます。

そういう境地に到った人は、
何か非常に不思議な落ち着きに満たされています。




「なぜ悟りを目指すべきなのか」A・スマナサーラ長老著書より



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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。

宗教の話しが出てきましたが、「信仰の強い人の疑もまた強いのです」という趣旨のお話しを、スマナサーラ長老から伺った記憶があります。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/10/23 10:13
不安については、ウェブサイト「テーラワーダ仏教普及委員会」にてスマナサーラ長老の法話においても色々と書かれています。
参考になります。

生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/10/23 12:06
自己観察すると心が色々な事をむさぼっている状態がよくあります。
妄想が暴走している事もあります。
そんな時は「ダメな自分」って思わず、冷静に、客観的に観察を続けます。
『事実をあるがままに』

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/10/23 17:16
△生命は常に何かしていないと不安になる 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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