幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ■究極の幸福<1と2>

<<   作成日時 : 2010/11/11 06:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 4

「完璧な健康の矛盾」
もう一つ健康について考えてみたいことがあります。
それは完璧な健康とは何かということです。

もし突然神様が現れて、奇跡でも起こして、
完璧な健康にしてくれたとします。
するとどうなるでしょうか?


真の幸福というのは究極的には歳をとらないことだという考えは、
医学の世界でもよく言われていることです。

歳をとるという現象も病気の一つだとまで
言っている医者もいるほどです。


歳をとるといろいろな器官がどんどん古くなって故障する。
たとえば腎臓が故障すると、
腎臓の病気だと思ってその治療をしたりする。


けれども本当の病気は、
腎臓ではなくて、
歳をとったこと自体だ、という考え方があるのです。


この考え方でいけば、「病気が消えて完全な健康体になった」状態の定義は、

「歳をとらなくなった」ことになってしまうのです。

つまり時間の流れがストップしたということです。


時間が止まるとどうなるのでしょうか。
想像してみてください。


時間の流れが止まったその瞬間に、我々も終わりです。

時間の流れがなくなったということであり、
体の変化もなくなってしまったわけですから、

体の成長も破壊も、それらを動かす機能そのものも
稼働しないということです。

ですから、
もうそこで我々は存在しないという理屈になります。

体というのは動くからこそ、変化するからこそ存在しているといえるからです。
動くから、変化するからこそ、人間の体も、否、
地球やそれこそ宇宙までもが存在しているのです。


頭のおかしくなった神様か超能力者がいて奇跡を起こして、
時間の流れ、現象が変化する流れを止めてしまったら、

すべての存在はそこでおしまいです。

そうした事実を知ったあとでも、みなさんは不死を希求しますか?


せっかく健康な体を手に入れたとしても、その瞬間から自分という
存在は無に帰してしまうのです。
自分がいないという現象はにわかに信じがたいでしょうが、

完璧な健康、歳をとらないなどということはあり得ないし、
150歳や200歳まで生きていけるはずがありません。
すべての存在を止めてしまうことになるのですから。


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★時空の流れを超える<5−2>

「変化のエネルギー」
しかし、

「時間の流れは止めることができる」と、仏教では約束しています。


これはどういうことでしょうか?

この自然界の、あるいは宇宙の法則の流れというか、物質の消滅変化していく流れ、

心がずっと変化していく流れを止めることができる、
仏教ではそう教えます。

結論を急ぐ前に、もう少しこのことを考えてみましょう。



たとえば何故地球は自転し、さらに公転しているのかという問題です。
この動きには何かとてつもないエネルギーのからくりがあります。

そのエネルギーさえ消滅させてしまえば、
もう自転も公転もしなくなってしまうのです。


これは我々の身体の流れも同様です。


我々の身体の中にもいろいろなエネルギーがあって、
そのエネルギーが

次から次へと変えていく動きをしているのです。


それは必然のエネルギーの流れです。
つまり我々の体の中には、いつもポテンシャル、

つまり可能性をもった潜在的なエネルギーが存在しているのです。

その潜在的なエネルギーが、
次という変化の現象をつくっています。
皆さんもよく知っているでしょう。

皆さんの細胞はエネルギーによって動かされています。

細胞内にあるミトコンドリアという小器官が酸素と結び付いて
いろいろなエネルギーを作り出している、

そのミトコンドリアの活動によるエネルギーのおかげで
我々はいつも活動ができるのです。

ミトコンドリアの活動自体にもまたエネルギーが必要です。


このことはエネルギーをつくりだすためにもまたエネルギーが
必要であるという事実を物語っています。


細胞の中にあるエネルギーが、変化(活動)をすることによって
新たなエネルギーを作り出している。

それが、我々が生きていられる原動力になっているのです。

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私は物質の世界の専門家ではありませんので、私の説明しやすい心について
考察してみましょう。
みなさんも自分の体や心のことならよくわかるでしょう。


我々はいつでも心の中に何かしらエネルギーを持っています。
いっときも休息することなく、何かを考えたり、何かしなくてはいけないという、
その心の働きに促されるようにして生きています。


この「何かしなくてはいけない」という感情こそが
心のエネルギーの素になって、我々は行動しているのです。


することが何もないというときなど、
心はすっかり暗くなって、落ち込んでしまいます。


そこで、心に何か刺激を与えてその状況から脱しようとするのです。


テレビをつけてみたり、散歩に出てみたり、読書をしたりする。
ゴロンと横になって昼寝をするのだって、何かをしたいという行動欲求には
違いありません。

犬とふざけたり、ケンカをしたり、とにかく何かをしようと思う。
じっとしていられない、何かしなくてはいても立ってもいられない、
というエネルギーがあるのです。


人間の心のエネルギーは、

このように次から次へと、

一つの考えから次の考え方、さらに切れ目もなく次の考え方へと
流れていくのです。


そのエネルギーの持続変化は、
眠れば夢にまで見るというように止まることを知りません。(つづく)


まさか「老病死に勝つ方法」があったとは A・スマナサーラ長老著書より

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
無常を生かして淡々と徳を積んでいきたいですね。

生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/11/11 10:08
おはようございます。

今日も深〜いお話、有難うございました!

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/11/11 10:24
前回の「生きる目的などない」のテーマからの続きです

噛み砕いた説明、真理への説明になっています。

『他人と仲良く、他人にやさしく、そして自分も他人も楽しく生きればよい
これが仏教の提案です。』の答えがあると思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/11/11 12:41
仏教は古臭いって先入観を昔は持っていましたが、スマナサーラ長老のお話しや、アビダンマの解説、ダンマパダに触れる度にものすごく科学的でウサン臭さが全く無くって、「これだ!」と思いました。
一言で言うと
Cool!
ってとこでしょうか^^

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/11/11 18:10
■究極の幸福<1と2> 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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