幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◇人生は「待ち時間」

<<   作成日時 : 2010/12/14 06:37   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 16

◇「死」を念頭に
日本でもそうですが、世の中では、
「死」という単語はあまり耳にしたくないのですね。

なんで「死」という言葉をごまかすのでしょうか。

他の単語では機能しません。
「天国に召されました」とか、「往生しました」とか、そういう単語ではダメです。
単純シンプルな単語で、「死」。

そこをちゃんと念頭に入れておきましょう。
それで幸福の扉が開きます。
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◇仏教の明るさは「死」から
仏教には「死髄念」という瞑想まであるのです。
念じて、忘れないように、大事なポイントとして使うのです。
だから、仏教徒というのはすごく明るいのです。


なんでそんなに明るいかというと、やっぱり「死」というものは
避けるものだと思っていないのです。
「死」を念頭に置いているからなのです。
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◇「必ず死ぬ」という事実
「死」を念頭に置いておくのは、ひとつにはそれが事実だからです。

なのに「忘れましょう、見ないようにしましょう」とは、
何を言うのでしょうか。決して忘れてはいけないのです。

必ず死にます、いつ死ぬかわからない。
いたるところで、いろんな形で死んでいく。
動物たちが死んでいく。

みんなほんのわずかな時間しかこの地球上にいないのです。
私たちが世界を見回しても、どれほどの人や動物たちがこれまでに
死んでしまったのですかね。


これからも死んでいくでしょう。
これが当たり前の、生命の姿、世界の姿なのです。
それで「自分も必ず死ぬんだ」とわかったら、人生が変わるのです。
必ず死ぬんだから、人生論が変わります。

アホな人は、死なないようにどうすればいいかと考えます。
これはもう、極限にバカなのです。
もう助けようもないのです。


放っておけるところまで、「自分が死ぬのだ」ということを観察しなければ
ならないのです。

画像

◇人生は「待ち時間」

誰でも死ぬのだということを念頭に置いて、頭の良い人が次に考えるのは、
死を避けることではないのです。

別なことなのです。
「では、死ぬまで何をやればいい?」
ということなのです。
「どうせ死ぬまででしょう。ではどうすればいいか」と。

そこに大事なポイントがあるのです。
どう生きるのかという。

たとえば私がある人に、「ちょっと待っていてください。私は用事があって
一時間したら帰ります」と言ったとします。
その人は一時間待たなくっちゃいけないですね。

その人は次に何を考えるでしょう。「一時間待つんだから、じゃあ、そのの一時間
何をすればいいのか」ということでしょ。
そのままぼけーっと待っているわけじゃないでしょ。

「待ちなさい」と言われたから、そのまんま固まってただ待っているんですか?
そんなことはしませんね。

「この一時間で私は何をすればかしら」と。
そこらに喫茶店に入ってお茶でも飲むとか、
コンビニでもあれば立ち読みするとか、
いろいろ何かをするでしょう。

もしその一時間で、ものすごくいいことができるならばどうしますか?


それだったらすごいでしょ。
私たちはこの「待ち時間」にいるのです。


生きる時間というのはあまり面白いものではないのです。
ただの待ち時間なのです。


死が来るまでの。

この待ち時間で、最高の善いことをしちゃえばいいのです。
そうすればすごく楽しいのです。
それがすごく楽しいのです。



私たちが生きる時間というのは「待ち時間」なのです。

その待ち時間で、いかに善いことをするのか、
いかに楽しいことをするのか、
いかに充実して生きるのか、

ということ、それがポイントです。




「死」ということは自分の管轄ではないのです。
生まれることもそうでしょう。
勝手に生まれてきたのだから。勝手に現れてきたのです。
自分が計画を立てて、計画通りに生まれたわけではないでしょう。


突然現れてきたんだから、またいきなり死にますよ。

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◇人生はポイントカード

その待ち時間をいかに有効に使うのかということは、
仏教がものすごく力強く語っているところなのです。

わかりやすく言うならば、高得点を出しちゃえばいいのです。
ポイントをどれだけとるかと。

ポイントカードがあるでしょ、あのポイントカードでも、
ポイントが貯まったら嬉しいでしょ
たくさんポイントが貯まっていて、ただで買い物ができたりしますからね。
あれは楽しいんですよ。

私たちは人生そのものをポイントカードにして、たくさんポイントを
作らなくちゃいけないのですね。


誓教寺報「つきなみ」第163号2010年10・11月
(編集:藤本竜子様)より抜粋いたしました。



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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
あんさん

12日の記事で、サイの角ではなく、するどい剣っていう解釈は長老の解釈なのですか? それともあんさんの解釈? 文章がそこら辺、ちょっと読み取りづらいので、質問します。スッタニパータ第一章にある有名なことばですが、意味が今ひとつわかりませんでした。それが、その解釈でかなり鮮明になったので、質問したいと思いました。寺に行くと、切磋琢磨できますね。
ぱん
2010/12/14 07:24
誓教寺さんの「つきなみ」はいつも内容が濃いですよね^^
死の待ち時間、ポイント貯めなくっちゃね

ありがとうございます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/12/14 08:34
『するどい剣』は長老の解釈です。
中東地域にある、腰にぶらさげる剣が鋭く曲がって
いるのがありますね。あれをおっしゃって
おられました。
パーリ語の単語を区切って解釈したために
「サイの角」という解釈がなされたとおっしゃって
おられました。

自分でもまずい文章だと思いました。
質問、ありがとうございました!

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/12/14 08:36
 ぱんさま。ぱんさまのブログではお世話になりました。あんさま、ぱんさま、私が、あんさまとは別の場所、即ち、東京の朝日カルチャーでスマナサーラ長老から学んだお話を書きます。

 スッタニパータで「犀の角」と訳されているのは「誤訳」だそうです。

 naagitaさんのTwitterでも紹介されていましたが、速記で不十分なので、もう少ししたら、Dhamminiさまのテーラワーダ仏教普及委員会でスマナサーラ長老の法話録音再現がUPされると思うので読まれてはどうかな?と思います。

 パーリ語では例えば人間を「思考するもの」と表現するらしいです。それと同じように「するどい剣(つるぎ)をもつようなもの」といったら動物では「犀」ですよね。

 だから、日本語訳としては、「犀」という訳が正しいそうです。
 
 冷静に考えてみれば、「犀の角のようにただ独り歩め」というスッタニパータの言葉は意味不明です(中村元先生訳)。

 「犀のようにただ独り歩め」でないと意味が分かりません。

 スマナサーラ長老によると、犀は、単独行動する動物だそうです。なので、この訳で初めて意味が通ります。

 ちなみに、テーラワーダ仏教普及委員会の心のフリースペースという掲示板で、今、「翻訳」問題が取り扱われています。「適材適所」というタイトルの次のタイトルです。
 http://www.number7.jp/bbs/sansara/
ヴィーナス
2010/12/14 08:44
おはようございます。

驚くべきは、死ではなく、こうして生きていることなのでしょうね。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/12/14 09:42
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように。
慈悲と知慧
2010/12/14 12:29
あんさん、ヴィーナスさん

コメントありがとうございます。中村先生という大教授が、誤訳なんて、まさに「弘法も筆の誤り」の現代版ですね。「犀の角のようにただ独り歩め」は、私が最初に出合ったブッダの直接の言葉です。それが誤訳だったというのは、私の仏教の勉強が出発点から、間違っていたということになります。これはおそらく、10年後、20年後の日本では、もう経験できないことなんだと思います。関東と関西の法友とともに、仏教を学べて、幸せです。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
2010/12/14 17:43
ヴィーナスさま、ぱんさま

コメントありがとうございました。
リンクを貼ってくださった掲示板を拝見させて
頂きました。
『ご紹介さま』がお元気そうで何よりでした。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/12/14 20:04
ご紹介様は、直接会ってお話したこともなく

面識もないのですが、たぶんあの方だろうと

知ってます

出家されるのではないかと、感じています。

人に依存をされない方ですから、出家があってるように感じます

人に依存するようでは、出家しても、苦しいと思います

この社会の仕組みの中で、私たちと社会生活において、持ちつ持たれつで生きている、人間があのような、発言ですから、当然相手にされなくなります。

その社会の仕組みから、外れて、生きているのならば、

大いに、ご紹介様の発言も、歓迎できます。

しかし、出家されれば、何もしゃべれないでしょう。
才木広之
2010/12/14 20:17
あそこまでの、踏み込んだ内容を、書くのに

自分の名前を明かさないということが、私には、どうしても堪えられない、態度なのです。

現に私などのご紹介さんなどの、あの方であろう予想までしております、私の主観では、百パーセントあの方であると感じてます

マーヤ―、四方なんとか式の時に、変わった服装のかた

また、その後住吉武道館で、二時間ぐらい遅れてこられた方、

もう嫌になります、しっかりと、面と合わして、喋りたい、心を通わせたい、たとえ一方通行でもです。

そういったことから、ブログが嫌になることも、あります

生きとし生けるものは、幸せでありますように。
才木広之
2010/12/14 21:33
 サイというと、私が思い出すのが、ヒカルの碁という漫画に出てくる藤原佐為です。囲碁が一時期凄い人気になりました。

 サイは、伝説の無敵棋士ですごくかっこいいのですね。それで、ヒカルは最初は囲碁すら知らなくて、実はサイが、手を指していたのです。
 それで、小学生で最強のアキラ君に勝ってしまったりしたのですね。

 サイは、ネット上ではsaiのハンドルネームで囲碁を指し(実際に石を打つのはヒカル)、無敵の棋士として、最後には、現役最強の棋士、塔矢行洋をも打ち破るのでした。

 ヒカルは、どんどん強くなっていって、この一戦、つまり、サイVS塔矢行洋の戦いもみたのでした。
 
 実は、この一戦はヒカルにために運命づけられた一戦だったことにサイは気づき、サイは、ヒカルがサイの伝承者であって、自分が消えることに気づいたのでした。

 そして、実際に消えてしまいました。

 ナーガセーナ長老、ブッダゴーサ長老、マハシ・セヤドーを、なぜ聖者非難罪を熟知している「ご紹介」があそこまで批判することができるのか?

 背後にサイのような方がいらっしゃるのでしょうか。

 関係ありませんが、私の家は、スマナサーラ長老のお住まいから5分〜10分ほどのところにあります。
ヴィーナス
2010/12/14 21:37
あれだけ堂々としたことを、書かれるのに

いざ私が、どこでも、いつでも、私のほうから伺いますから、お会いしてくれませんかと、たずねても、会ってくれない

あれだけ、図々しく、ブログに割り込んでくるのに、いざ現実に、会って話そうといっても、会わない、

もう本当に、そのことが、私の心を苦しめます。

普通の会話でも、食べ物のことでも、何でもいいから、あって、喋っろうよ、という気持ちが、無くならないから

私は苦しいんです。だってかわいそうなんだもん。
才木広之
2010/12/14 21:38
 ごめんなさい。いきなり「ご紹介」がナーガセーナ長老、ブッダゴーサ長老、マハシ・セヤドーを強く批判しているといっても分けが分からないですね。

 ぱんさんのブログの私のコメントをご覧になっていない方には。

 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201012/article_4.htmlの私のコメントをお読み頂ければ話の流れが分かると思います。

 サイは、伝説の無敵棋士と書きましたが、天才棋士といった方がそのかっこよさに、ぴったりかもしれません。無敵だとも思いますが。
ヴィーナス
2010/12/14 22:38
陰で頑張る

私たちは、こうして、思うがままに、書かせて頂いております。

あくまでも、書かせて頂いております

ここでは見えない、陰の支えがあり、初めてこうして伝えあうことを、させて頂いてます

パソコンどうして作るの、電気はどうしてつくの

どうして指は動かせるの、どうして、寒くなく、熱くなく、こうして家の中におられるの、少し考えさせていただこうと思います。いえ気づかせて頂こうと感じています

それに気づくまでは、投稿控えさせていただこうと感じております。

生きとし生けるものは、幸せでありますように。

それから、投稿再開させて頂こうと感じております
才木広之
2010/12/14 23:05
はじめまして

「犀の角」について、書かれていたので、
ちょっとコメントさせてください。
>冷静に考えてみれば、
>「犀の角のようにただ独り歩め」
>という>スッタニパータの言葉は
>意味不明です
>(中村元先生訳)。
ふ〜む?
たしかに、それだけでは、
『意味不明』ですね。

>「犀のようにただ独り歩め」でないと
>意味が分かりません。
そうですか?
これも、あるいみ『意味不明』ではありませんか?

1.「犀の角のようにただ独り歩め」
2.「犀のようにただ独り歩め」
五十歩、百歩ではありませんか?

どちらも、日本人には、ピンとこない表現
ではありませんか?

1.が間違いで、2.が正しいというほど、
その違いが感じられないのですが。

『犀の角』に対する、インドの方々の『印象』が、
大事なのではないでしょうか?
析空
2010/12/18 05:32
析空様、おはようございます
「犀のようにただ独り歩め」の解釈としては

犀は群れの習性はなく単独行動して生活しているそうです。
そういう視点からみての「納得」ではないかと
推測させていただきました。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/12/18 06:31
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