幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★不幸を避け、幸福になる原因を選ぶのは「道徳」

<<   作成日時 : 2010/12/21 05:50   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 12

仏教では「道徳は真理」です。
「紛れもない事実」を「道徳」としているのです。
これは大切なポイントです。
次のようにまとめることが出来ます。

・道徳・倫理とは、一時的な考え・価値観ではありません。

・道徳・倫理とは、因果法則です。

・因果法則は、客観的な真理・事実です。

・原因と結果とをよく調べて、好まない結果を出す原因と、
 好む結果を出す原因を語ることが道徳・倫理です。



「道徳・倫理」というのは、まず、因果法則をしっかり調べるところから始まります。


つまり、原因と結果についてしっかりと調べるのです。
あるものごとが起こる時、かならずそれが起こった「原因」があります。

画像


それをよく研究します。
自分の人生や生活の中で起こることを、よく調べます。


すると、「この結果は、こういう原因で現れるのだ」
「好ましくない結果は、こういう原因で現れるのだ」と、

起こったことに対する理由がわかります。



そして、私たちは「こういうよい原因があると、このようなよい結果になる」

「悪い原因によって、このような不幸な結果になる」ということが、
判断できるようになります。



たとえば、貪って食べる習慣が身につたがために、
若くして成人病にかかってしまう人がいます。

一方で、貪ることなく、身体を維持するために必要な量だけ食べる習慣が身についているなら、
年齢は70歳であっても健康な身体でいられます。

このことがわかれば、「貪る感情は悪で、理性で行動することが善」
であることを発見します。




私たちにとっての正解は、完全に一つしかないのです。


人間にとっての正解とは、「幸福になりたい」ということだけです。


人は幸せになるために生きています。
とうぜんでしょう。


そこで、「では、私は幸福になる原因を選んで、不幸になる原因を避けます」


と、決めます。



それが「道徳」の世界なのです。



「的中する生き方」アルボムッレ・スマナサーラ長老

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
なぜ人は、苦の中に居てそれを苦とも分からず、貪り怒るんでしょうね。自分のたった数十年を振り返ってさえ、同じような事を繰り返して生きています。
あとどれくらい輪廻を繰り返せば、自分の愚かさに心底気づくんでしょうか。自分で自分がイヤになります。あんさん、毎朝学ばせて頂いてありがとう。
かずみ
2010/12/21 06:37
妄想なら因果関係がよくわかるんですけどね。あれを感じてそこからこれを妄想したというぐらいなら。今日も気づきに努めます。
ユウタ
2010/12/21 07:19
あの二人、いつもケンカばかりしてるね

仲が良いやら、悪いやら、不思議な二人だね

今となっては、そばにいても、いなくても

私は変わりません。

それは、両親、兄弟などです。

また職場の同僚たちです

困難に陥ってる時は、励ますわけでもなく、かわいそうになるわけでもなく、ただお互いにとるべき態度をとるだけです。

泣いていれば、ハンカチを渡すだけです。

どうせするなら、何事も徹底的に一生懸命して輪廻も早送りしてしまえば、見えてくることもありますよ

いつもあの二人喧嘩してるね。って他人事で見てたら

一番の善友になってます

はたから見れば分からないだろうけどね。

そして、何お言おうとも、絶対に腹を立てない、二人になってるのです。何を言われても「何かあったかな」、と心配する自分がそこに入るのです。それは嫌になるまで喧嘩したからです。これは間違いない私の経験ですから、私はどのような、発言にたいしても、喧嘩にはなりません、むしろ嬉しいです、心通わせるチャンスですから。

たった一人でも、そのような方がいれば、見えてきます

好きな人ほど、自分の本心を、繰り返しぶつけてみれば、いつかピタッと、落ち着いた心が現れます。

才木広之
2010/12/21 07:22
徹底的に、自分自身が、一生懸命にすることで、見えてくるものはたくさん、たくさんあります。

自分が、一生懸命すれば、当然、喧嘩なども起きます

それでも自分が一生懸命に、してれば、見えてくるものがあるのです

寒い野外で、毎日毎日、雪も降る中で、スコップを持って、土をいろい、朝から晩まで、逃げるところなどないのですよ、あったかいところに逃げるところなどないのですよ、それが毎日、四カ月ぐらい続くのですよ

一生懸命でなければ、続きません、そういう時は
どうしても一生懸命になるのです。

そのように仕事をしてきました。

一生懸命自分なりにでもすれば、かなり見えてくるのに、、、

若いうちは、つらい仕事を率先してすればいいのです

体も使い、つらい仕事を率先してすればよいのです

年をとったら、頭を使えばいいんです
才木広之
2010/12/21 07:31
今日も「サティ」実践、楽しくやりましょう!

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/12/21 08:05
 少し書き残したことがあります。

 ヴィパッサナーは安全な瞑想です。スマナサーラ長老の仰る通りに実践するならば。

 それで、前の話の続きですが、私は、ヴィパッサナーを実践していたところ、問題が生じ、事務局通しても、スマナサーラ長老に連絡をとって下さらないようだったので、携帯電話で、直接スマナサーラ長老に連絡を取ったところ、長老から「まずい」と言われ、応急的な対応を教わりました。

 その後、長老は、直接面談をして下さりました。

 それで、まずい状況に陥ったのは、一つには、ぼんやりしていて実況中継(ラベリング)がおろそかになっていたことが原因の一つだと思います。

 もう一つには、座る瞑想で、椅子を使っていたことがあるいは原因の一つかもしれません。
 
 椅子に背もたれはなく、オフィスサイズの椅子で、ゴータミーの本堂にあるような小さな椅子ではありません。
 
 基本的に背筋は伸ばして座っていたように思います。
 
 ですが、椅子を用いること自体に今思えば、怠けの煩悩が隠れていたのではないかと思います。
 
 お師匠様である如浄禅師が、道元禅師に、「坐禅の時は、壁や屏風や椅子などによりかかってはいけません。そういうことをすると病気になるからです。」とおっしゃっています(「宝慶記」池田魯参訳131頁大東出版社)。

 病気というのは、禅病ないし魔境のことではないかと思います。
ヴィーナス
2010/12/21 09:20
 続きです。

 それで、スマナサーラ長老が、椅子を用いての指導を千駄ヶ谷区民会館でなされたことがあると信頼できる筋から聴いたことがあります。

 その時は、いつも使っている畳の部屋が、急きょ椅子の部屋に変更になったとかそういう特殊事情があった事例だったと思います。

 しかし、椅子を用いた指導をされたことは事実ですから、椅子を用いることが絶対的にダメというわけではないと思うのですが、椅子を用いてよいかどうかについては、スマナサーラ長老から直接個別に指導して頂いた方がよいと思います。

 如浄禅師の仰りたいことも、形式的に椅子などによりかかってはいけないという話ではなくて、怠けの煩悩をいさめる趣旨ではないかと思っています。
ヴィーナス
2010/12/21 09:24
おはようございます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/12/21 09:26
 それで、スマナサーラ長老と直接面談した際に、長老は、まず、お経を挙げてくださいました。

 おそらく『パリッタ(護経)』ではないかと思います。

 「宝経」のようなよく聴くものではなく、聴いたことのないものでした。

 それで、お経の後、聖糸を巻いて下さいました。しかし、聖糸は物凄く厳重なもので、聖糸を巻く位置も、祝福法要で巻かれる右手ではありません。
 ちなみに左手でもありません。全然違う場所です。

 その後、お経(おそらくパリッタ)を読まれた際に、お釈迦さまの像、及び、聖糸に接していた「聖水」を渡され、毎日少しずつ飲むように、スマナサーラ長老から言われました。

 その聖水は、祝福法要で渡される小さなサイズではなく、2リットルサイズだったと思いますが、大きなペットボトルの容器に入った聖水です。

 その後、瞑想指導がなされたのですが、その瞑想指導の具体的中身はここでは書けません。

 それで、スマナサーラ長老の読経、瞑想指導により、解決したわけです。解決しなかったら廃人のようになったのかもしれません。

 だから、瞑想指導というものを甘く見ないで頂きたいと思います。

 話変わりますが、昨日Twitterで「慧解脱に禅定は必要ない」とコメントしている方がいらっしゃいましたが、私は疑問です。
 
 パーリ経典の「大四十経」に合致しないと思います。

 (スマナサーラ長老が同経典を解説した「八正道大全」という施本が協会にあります。まだ入手できると思いますので、読んでみたい方は協会に問い合わせてみてください)

 また、パティパダー仏暦2551年(西暦2007年)12月号35頁において、スマナサーラ長老は「ヴィパッサナーで第一段階の悟りの境地に達する場合、そのこころはおのずと第一禅定状態にもなるのです。」と仰っています。
ヴィーナス
2010/12/21 09:46
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2010/12/21 18:06
「因果応報」
この真理をシンから納得し、身につけば、いつの時も相手を尊重できる慈しみあふれた人になれると思いました。

ありがとうございます

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/12/21 18:44
空気読めない私の一言

みんな、頑張ろうぜ

生きていたら、いろんな悩み苦しみ、セットになってついてるけど

それは自分でしか、解決しようがないけど

それぞれ、が、それぞれに、頑張ろうぜ

干渉でも何でもない、

それぞれに、それぞれが、頑張ろうぜ

きちっとそれぞれが自分の意見を言えるぐらい、立派に自立して

どんな討論でも、くじけない、心を作ろうぜ

あいつもなかなか、しっかりと物事を言うようになったな、と感心して、安心して、自分の意見を言えるように、頑張ろうぜ

ヴィーナスさんあなたは立派だ、きちっと、私は私で、他の誰でもない、とおっしゃられた。完全に自分で自分のことを、証明された、素晴らしいです。

自分はこの際棚にあげておきますが、不服があれば、言ってください
才木広之
2010/12/21 21:35
★不幸を避け、幸福になる原因を選ぶのは「道徳」 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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