幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆正しいことを言われると嫌になる【前編】

<<   作成日時 : 2011/01/19 06:30   >>

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下劣な生き方をしてはならない。
怠け者になってはいけない。
邪見(じゃけん)に近づいてはならない。
俗世間(の価値)を肥やすものになってはならない。
(一六七)


人間のこころを自然に放っておくと、卑しい、汚い、悪いことをしたくなるものです。

ただ、そのときどきに生じる気持ちのままに生きようとしても、これは立派な
生き方にはならない。逆にとても恐ろしい人間になってしまいます。

画像


私たちは自分のこころにある「本当の気持ち」は何か、と観ようとしないから
わからないのですが、人間の心は実に恐ろしい衝動に満ちています。

人間の社会では、その恐ろしい気持ちを少しでも抑えようと、親は懸命に
子供をしつけます。

人間には必ずしつけが必要なのです。


もし、しつけをしなかったら恐ろしいことになるので、小さいときからの善悪の
基準とか格好がいいとか悪いとか、行儀の良し悪しとか、ひたすら親に言われ
続けて、なんとか文化人として生きています。


それでも、やはり子供はしつけをいやがります。子供だけでなく、ああしなさい、
こうしなさいと言われるのは人間なら誰でも嫌がるものなのです。


これは大事なポイントですから、覚えておいてください。


他人から正しい生き方、安全な生き方を教えられると、私たちは
とても嫌な気分になります。


 
どうしても、「ぜひやりたい」という気分にはならないのです。

そこで、人生のいろんな局面で問題を起こします。

子供のころはお母さんやお父さんを「鬼」呼ばわりしてけんかをする。

学校でも先生たちに逆らってけんかをする。

でも、社会人になったら嫌いな上司に対して「あいつは鬼だ、大嫌いだ」とは
言えませんから、精神的ストレスがたまって、仕事にも能力を発揮できなくって
苦しくなる。


トラブルだらけの人生を生きる羽目になるのです。



それはなぜか。


心はもとから卑しい、汚い、悪いことが好きだからです。

人から正しい道、正しい生き方を言われるのは嫌なのです。

しかし、その嫌なことにどれだけ忍耐できたかのよって、立派な社会人に
なるか否かが決まるのです。



親のしつけにどれだけ忍耐できたか、会社で上司の指導をどれだけ忍耐強く
受け止めることができたか、によって社会人としてどれだけ成功するかが
決まります。


嫌な話だと思うかもしれませんが、そうしなければ立派な社会人には
なれないのです。

現代を生きていく上で、私たちは「こころの法則」をよく理解した方がいいと
思います。


「こころは悪いことが大好きで、悪いことしか好まない」と。


自分がこころの恐ろしい感情にどれだけ克てるのか。

それが人生の勝負です。

自分が克てた数だけ、成功した社会人として穏やかに生きていられます。


もっとも、自分のこころに完全に打ち克ったら、人は悟りを開いてしまいますが・・・・。

恐ろしい感情に満ちたこころを完全に治すには、冥想をして悟る道しかありません。

しかし、「悟る」ということまではなかなか期待できませんから、何か自分を守る
方法はないのかと、ブッダの教えに耳を傾けてみた方がいいと思います。



ブッダの勧める一つの方法は、自分自身にプライドを持つことです。

「自分は決して情けないことはしない。品格を持って格好よく生きてみせるぞ」と
決めて上品な気分になってみることです。


・・・・・・つづく・・・・・・

原訳「法句経(ダンマパダ)」 一日一悟 A・スマナサーラ 著 P.18〜21

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コメント(30件)

内 容 ニックネーム/日時
今月は、四聖諦を頭で理解することが目標でした。ざっとではありますが、一応理解しました。これからは頭で理解したことを、生活や、職場や、のなかで身に付け、実践してゆきたいと考えます。

今月は電車や会社と縁ができたので、戒律、禅定、智慧の中で、まず戒律をしっかりと身につけてゆくことが課題です。社会との接点が増えると、それだけ、自分の心の汚れを、実感する機会も増えます。仕事のスキルアップだけじゃなく、心もみがかなければならないと思います。

邪見を捨て、正見を得られる日が来ますように。
ぱん
2011/01/19 06:53
今日も読みました
才木広之
2011/01/19 07:03
 よく「まず自らが悟ってから他人に説示すべきである」ということを悟っていないのに、他人に対し言う人がいます。
 
 このような発言をする方は、論理的に矛盾していると思います。

 なぜならば、「まず自らが悟ってから他人に説示すべきである」と他人に言うのも、一つの他人に対する説示だからです。

 自ら悟っていないのに説示してしまっています。

 これも心の騙し機能の一例だと思います。他人の意見に対する怒りが本音ではないかと思います。自分は棚に上げて他人には、黙ってろと言いたいのだと思います。

 たばこを「絶対に吸わない」と言いながら(2011/01/18 19:58の才木さんのコメント)、「ここに宣言します、今後たばこを吸った時は、皆様にすぐにご報告します。」(2011/01/18 12:45の才木さんのコメント)と言うのは、明らかに論理的に矛盾しています。

 絶対に吸わないならば、そのような報告はありえません。
 なので、この発言自体が既に虚偽だと思います。
 心の騙し機能に騙されていると思います。

 「真理は論理的であるが、論理は真理ではない」というスマナサーラ長老の有名なお言葉があります。

 論理的であるというだけでは真理ではないのですが(論理は真理ではないからです)、論理が崩れている場合には真理ではないと思います(真理は論理的だからです)。

 なお、スマナサーラ長老が仰っておられるのは、「悟った方が語るのでなければ決して仏陀の教えにならない」ということだったと思います。(大四十経の経典解説DVDの中でスマナサーラ長老がそのようなことを仰っておられたと思います)。

 ですから、悟った方が語るのでなければ、仏陀の教えにはなりませんが、悟っていない人が色々議論したり、話し合ったりするのは禁止されていないと思います。
ヴィーナス
2011/01/19 07:24
たばこを吸わなくなった人が周りに多くいらっしゃいます

止めたのと聞いても、「いいえ休憩してるんです】と答えるのです

ようするに、たばこをやめたかどうかなんてのは、自分ではわからないのです、ただ吸わない日々が続いてるだけなのです

それを見て、止めたと思われる方は、あの方はたばこ止めたんだと評価するであろうし

それを見ても、まだ吸いたいんだろう、いつかきっと吸うと思う方にとっては、止めれていないとの評価であります

自分自身としては、今は吸わない、としか言えません

私は今たばこを買ってきて、吸いました。

そして捨てました

まさしくご紹介の本に書かれているとおりです

ただ、今は吸いませんとしか言えません。

止めれたかどうかは死ぬまで分からないのです

死ぬまでできるだけ辛抱するのみです
才木広之
2011/01/19 07:36
 もう一つスマナサーラ長老が仰っておられるのは、「『先に自分が実践してから他人に説く人は、堕落しない』とは、お釈迦さまの言葉です。」ということです。
 http://www.j-theravada.net/howa/howa151.html

 ですから、言う言わないは別として、自分が自ら実践していることは言う資格はあると思います。実際、スマナサーラ長老がそのようなことを仰られた記憶があります。

 ただ、言っても、悟っていない以上は、厳密な真理のレベルでは仏陀の教えにはならないわけです。

 が、仏陀の教えにはならないといっても、善行為になる場合もあると思います。

 たとえば、親しい人が、今、目の前で誰かを殺そうとしている。そうしたら、かなりの人がその親しい人の行動を止めますよね?

 殺せば、当然不殺生戒に反する場合ですが、仏教徒でない人でもかなりの人は止めようとするでしょう。

 これは明らかな善行為だと思います。

 親しくない人が殺人行為を犯そうとしている場合には、自ら止めるという人は少なくなるかもしれませんが、警察くらいは呼ぶという人は相当にいらっしゃるのではないかと思います。

 何度も嘘をついている人(なのに御本人にその自覚がほとんどない)に、嘘をつかないで済む状況を作ってあげるのも善行為だと思います。
ヴィーナス
2011/01/19 07:36
おはようございます。

日常的に何かやりたい衝動が出て来たら、とりあえずは、待ったをかけたほうが無難のようですね。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/19 08:31
よく話題に出ますが、行動する時は

1.自分のためになるか
2.相手のためになるか
3.みんなのためになるか

これを、習慣的に考えるようになれば、結構自分を整えて、COOLに生きられるような気がします。

ありがとうございます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2011/01/19 12:06
生きとし生けるものが幸せでありますように。

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
慈悲と知慧
2011/01/19 12:27
な時は吸いたいとも感じません

一日ぐらいでしたら、たばこのことを忘れてる時もありました

確かにCOOLな時は、自分にプライドが持て、何事にも動じない自分がいます

私の場合仕事の日が一番に吸いたくなります

もちろん休憩時間しか吸いませんが。

調子に乗っては吸い、落ち込んでは吸い、といったことです

まだ止めようと思ってから後六年です。止めたいという気持ちが、変化したことがないのが、幸いです。

また吸いました。たばこに関しては、心のだまし機能にまだはっきりと気づけていません

たばこについては、悟りを開いていません

ギャンブルは、悟りを開きました
性に関しても悟りを開きました
お酒に関しても悟りを開きました
たばこに関しては、これが最大の敵だとは思いますが

確かに、たばこにだまされている自分が、ここにいると思われます

たばこ吸っても何の価値もない、と気づいたなら冗談で吸うことはあっても、お金を払っては買うはずがないのですから

確かにだまされているのでしょう
才木広之
2011/01/19 12:32
私がたばこを買って、手に持つまでに、さまざまな、人の手がかけられているということです、そのあたりのことが、はっきりと実感出来たら、吸わないと思いました

ギャンブル、裸を使った商売、お酒、

そこにすべて人が携わっていることをm、身近で実感した時に、悟れました

たばこは、かなり情報の偏りがあるのではないかと思いますが

なかなか、身近で、そのようなことを実感できることがないので、平気で吸えるのだと思います。

たぶん「たばこを吸ってくれるおかげで、こうして楽しめるんだ」と、ある方遊行にふけってるのを見たなら、即座にタバコ買わないでしょう。

偏りのない情報を、知りたいものです
才木広之
2011/01/19 12:42
たばこ草を育て、お金に交換し、そのお金で、生活する人がいる

不健康なものを売って、それで生計を立てている人がいる

これには反抗いたいます

であるならば、まず自分が買わないことにするしかない

もし買うようなことがあったら。即、コメントします

何も触れなければ、買っていないということです

当然人からもらうのも、自分が買ったと同罪ですので

即報告します

ごきげんよう

才木広之
2011/01/19 12:48
そして、既に買ってしまった今手元にあるたばこは、

今水でぬらして、捨てました

不健康になるものを売って、そのお金で生活することなど、もってのほかだと思います。

またその吸った人は、不健康の恩恵を受けて、医療費の保険も、使うことになります

そのことに気づいた私は、絶対に、買える代物ではありません

またそのことに気づいてないお方には、慈しみで接したいと思います

だって、自分が、今までは、その気づいてない自分だったんだから。{
才木広之
2011/01/19 12:53
生きとし生けるものに感謝します

そしてこの今ある自分に最大に感謝します
才木広之
2011/01/19 12:54
この掲示板は、公共の場ということを考えてきれいに使いたいものですね。

あんさん、お任せいたしますが、自我丸出しの多重投稿には、投稿制限したり、消しても良いと思います。節度を守って、読まれている方に悪影響を与える恐れがあります。

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
慈悲と知慧
2011/01/19 14:03
 才木さんは、前にTwitterをされていたそうです。

 なので、Twitterと同じ感覚なのだと思います。Twitterと違うところといえば、他人のブログのコメント欄であるということでしょうか?
 しかし、Twitterは相互にやり取りできるのでしょうから、全体が公共のコメント欄のような感じもします。

 才木さんは、今回は煙草を捨てておられるので、そこは精進されたと思います。

 しかし、慈悲と智慧さまが仰っていると思われる無駄な多重投稿というものは感じられます。

 ただ、私は、この点はTwitterを含め、原則、自主規制に委ねるのがよいのではないかという考えです。

 ところで、経済学にこのような話があります。引用します。

 (引用開始)

 経済学者・鈴村興太郎のあげた次の例によって明白となるだろう。

 今、父親が3人の子供にケーキを分け与える状況を考える。このとき、次の二つの方法を比較してみることにする。

 第一は、父親がケーキを3等分して、それぞれの子供に1ピースずつ与える分配方法である。

 そして第二は、子供たちが十分に相談し、分割方法を決め、その結果等分することに落ち着き、父親が3等分する分配方法である。

 (続く)
ヴィーナス
2011/01/19 14:31
 (続き)

 この二つの分配方法は、結果としては、どちらも量的に同じ「平等」な分配方法になる。

 しかし、本当に同じだろうか?多くの人は、この二つの分配方法は「公正」という意味で、同じ帰結とは思わないであろう。
 
 前者は、強制された平等分配であり、後者は3人の交渉の結果としての平等分配だからである。
 
 つまり、前者には選択についての「自由」がないが、後者にはそれが存在している。…中略…

 つまり、人々にとっての「平等」を「公正」とともに論じたいなら、もたらされた結果のみを問題にすればいいのではなく、それがもたらされたプロセスや選択肢も問題にしなければならない、ということがわかる。

 このような論点を眺めると、深刻な問題も浮き上がってくる。すなわち、「自由」が必ずしも望ましい結果をもたらさないかもしれない、という矛盾をも抱え込む可能性だ。

 たとえば、ケーキを分ける子供たちの例でいうなら、子供たちが話し合って分割を決める場合、何かの偶発的要因によって3等分にならない可能性も十分にありうる。
 ひょんなことから、長男と次男が半分ずつ取り、三男には取り分がなくなってしまうことだってあるかもしれない。

 しかし、このような可能性さえをも併存させなければ、「自由」は担保されず、「公正」が保証されない。

 「自由」を成立させるには、「不公正」の実現可能性さえも忍び込ませておかねばならないのである。
 
 (「使える!経済学の考え方」小島寛之著(数理経済学専攻の教授)ちくま新書16頁以下)

(続く)
ヴィーナス
2011/01/19 14:33
 それで、経済学でいうならば、前者は中央集権当局が強制的に分配を実現する共産主義的体制に相当すると思います。
 後者は自由主義経済体制ですね。

 もし、人間が全知全能ならば、共産主義体制でもよいかもしれませんが、人間の能力は大したものではありませんから、共産主義体制はうまく行かないと思います。

 以前に「おんがえし」が、ハイエクの見解を示しながら、ブログで述べてましたが、自由主義経済体制ならば、鉄鉱石が枯渇したときに、それが鉄鉱石の価格に反映し、値段が上がり、それ故、鉄の値段が上がり、それ故、自動車の値段が上がり、という形で即座に情報が国際的に伝達していき、需給の調整がされると思います。

 価格を統制するような共産主義経済では、鉄鉱石が枯渇したという情報を、中央集権当局がつかみ、それを鉄鉱石の価格に反映させ、鉄の価格に反映させ…ということを一々しなければなりませんん。
 鉄鉱石だけならまだしも、沢山ある経済情報を価格に一々反映させるというのは人間の能力では無理だと思います。(なお、私は経済学者の唱える自由主義経済に全面的に賛成しているわけではありません)

 ところで、仏陀の教えは比較も、批判も、説明も自由です。なぜでしょうか?

 仏陀は一切智者なのですから、自由にしないでもよいのではないでしょうか?

 思うに、もし、仏陀が強制するならば、それは人々をマインドコントロールすることになると思います。
 それでは智慧や慈悲は育たないのではないでしょうか?

 自由にするということは、先の経済学の譬えから推測できると思いますが、個々人に、善の選択肢の他に、悪の選択肢もあることになります。

 その選択肢の下で、個々人が、智慧、理性を用いて、善悪を判断していく、そうした中で智慧や慈悲が育っていき、悟ることができるのだと思っています。
ヴィーナス
2011/01/19 15:31
最近の僕のコメントなどを見ると

書くは、書くは、自分のことばかり、自分が、自分が

自分が、自分が、というのがなくなれば、たばこなんて吸う訳ないだろう、このバカが、

と言いたくなるような、私のコメントですね。

小学生ぐらいなら、すぐに私の質問に答えを出すだろうね

吸いたくなければ「吸わなきゃいいやん」

吸いたいから、吸ってるんだろう。
才木広之
2011/01/19 18:47
皆さまは、私に対してそれぞれに、それぞれ正しい態度と、言動をとられていると思います。

素晴らしいです。

私だけが、どうも、おかしいこの頭です
才木広之
2011/01/19 18:56
まさに私の頭は、ゴミで、屑で、捨てるよりほかにありません。

思考すること自体が、間違い、この私の頭で思考するから、おかしくなるのであって、私の頭で思考してこうしてコメントすれば、当然おかしいコメントでしかありません

それが原因と結果の法則です

頭のおかしい僕が、コメントする【原因】

結果頭のおかしさを皆さまに公表する【結果】

これぐらい単純なことなら、僕にも少しは理解できそうな気もいやいややはりこの頭は、ゴミでくずだから、思考してはいかん、
才木広之
2011/01/19 19:02
どう見たって、ヴィーナスと才木広之の張り合いにしか見えない
才木広之
2011/01/19 19:07
なんとかして、自分のほうがよく見られたいという、張り合いに見える
才木広之
2011/01/19 19:08
ごめんなさい、あんさん
才木広之
2011/01/19 19:09
まだまだ仏教入門者の私は、まだまだそんなにたくさんの本を読んだことがありません。だから、色んな本のエッセンスを毎日書いてくれるあんさんのこのブログは、私にとって「幸せに生きる」ためにとても役立っています。あんさん、ありがとう。
みなさんもきっと、「幸せに生きる」ために、ここを覗くのだと思います(^^)。
かずみ
2011/01/19 19:36
あえて投稿を制限することで、才木さんも落ち着きを取り戻すんではないかと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2011/01/19 20:13
時々刻々ですね。
読む読まないは各自の自由ということで・・・

主観を破るにのは、「冥想」ですね。
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
あん
2011/01/19 20:18
一度、ある方の投稿を制限させて頂いた事が
ありますが、良い気はしなかったです。

どの基準で制限をかけるのかという問題も
あります。
才木さんファンにも申し訳ないかとも思います。
あん
2011/01/19 20:45
 才木さんの言うことを鵜呑みにする人はおそらくいないでしょうから、実害はないように思います。

 世の中には、もっと影響力のある人で、実害がある人がいっぱいいるように思います。
 
 悟っていないお坊様(テーラワーダ、大乗問わない)とか、瞑想指導している在家の人とか、組織の代表者の方とか、そういう人々が大問題です。

 もっともらしいこと言っているし、肩書も立派だから、ころっと引っ掛かってしまう人もいるのだと思います。

 ホント、説法、瞑想指導、特に瞑想指導を自粛してもらいたいと思う人が何人いることか。

 お釈迦さまの与えられた自由を濫用していると思います。
ヴィーナス
2011/01/20 00:08
 スマナサーラ長老は、このように仰っています。

 ヴィパッサナー冥想は、教えられた通りにただひたすら実践することが何よりも大切なのです。…中略…

 そう言うと、「どんなことでもちゃんと理解して納得してから実行するべきではないのか」と反論されるかもしれません。確かにそれは正しいのです。

 しかし、ヴィパッサナーについては別なのです。智慧や悟りについて我々が理解しようとしても、できることではないのです。悟りへ至るシステムを理解するためには、心の法則を明確に微細に知り尽くしている必要があります。

 お釈迦さまは「心というものを人間が理解し尽くすことはできません。そこにはチャレンジしない方がいい。無理に理解しようとすると頭がおかしくなってしまいます」とおっしゃっています。

 心の法則というものは、はっきり言って、私たちには理解不可能なのです。

 「まずこういう智慧が生じ、それはどういうもので、次にこういう智慧が生じ、それはこうで…云々」と聞いたとしても、消化不良の概念で頭がいっぱいになるだけです。

 智慧が現れるどころか修行ができなくなります。牙が折れてしまうのです。(引用終わり)http://www.j-theravada.net/pali/key-vipassana.html

 なので、瞑想指導は、言われたとおりにしないといけないので、それだけマインドコントロールの危険が高まると思います。オレオレ聖者の自粛が強く求められると思います。

 清浄道論に沿って、○○智慧、△△智慧、××智慧…などと事細かに説いている瞑想指導書も見かけますが、私は上記スマナサーラ長老の説法に照らし、実践書としてそれを基軸とすることはおすすめしません。
ヴィーナス
2011/01/20 13:42
初心者指導の時に、

協会運営のお方が、

「初心者の方は手を上げてください」

とおっしゃられます。その時僕は手を上げます

もう四回ぐらい、あちこちで受けさせてもらいました

あくまで初心者として、初めて受けるつもりで、いつも初心者指導を受けます。ですから、私はいつでも初心者指導を受けれます。いいでしょ
才木広之
2011/01/20 19:01
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