幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆つきあう前に人を選ぶか【前半】

<<   作成日時 : 2011/01/23 08:10   >>

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 つきあう前に人を選ぶか【前半】〜人間関係は知人と友人を選ぶことで始まる〜
健全な人間関係を築こうと思って人間が為している行動によって、
その人の自由が失われてしまい、自発的な終身刑になってしまうのだと
先月号で説明いたしました。
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社会という組織を重んじてまともな社会人として生活をしても、社会という
組織自体は、個人に対してあまりにも冷たいものです。

個人は「義務を果たしなさい」と社会から要求されるのに、役に立たなく
なる時点でものの見事に捨てられてしまうということも紹介しました。

個人は、自分のことを真剣に心配してくれる人から正しい生き方を学ぶ。

社会に対する義務をできる限り果たすが、社会に対してはそれほど
期待しない生き方をする。

それで個人は自分の自由を保ち、明るく生きていられるのです。
ここまでは、先月号の要約です。

人間は他人から何でもかんでも教えてもらう。

教えてもらわないと何もできない。

「教えてもらいなさい」というのは、人間の宿命です。

しかし、何でもいいから教えてもらうことも、人を教えてもらうことも、危険な
行為です。

誰から何を教えてもらうのかを選択しなくてはいけないのです。



それはなぜでしょう。
有効的な知識と、破壊的な知識という二つがあるからです。
 
教える側の人間も、後輩のことを心配して幸福を願う人もいれば、相手が
どうなっても構うもんかと思う人もいるのです。


この選択を間違えれば、人生は不幸になる。 
 
失敗する。

従って、仏教は信仰より信頼、崇拝より尊敬を重視します。
わかりやすくいえば、正しい人間関係です。

 善友(kalyâna mitta)に巡り会えば、人生を成功するだけではなく、
輪廻を脱出して解脱を得ることもできるのです。


善友と自分は同格の人間だと思わない方が良いのです。

自分のことを見返りを期待せず心配する。善悪を教えてくれる。

悪を止めさせて善を行わせる。人格向上に導く。

既に知っている善いことを完成させる。

知らないことを教えてくれる。それが善友というものです。

同格者ではなく、尊敬に値する人格者なのです。

なぜそのような人格者に対して友(mitta)という語を使うのでしょうか。



それは、生命は命あるものとして平等だからです。
横の関係を強調するためです。

仲間の間で必要に応じて縦の関係があっても、縦の関係は絶対的では
ないからです。

人間にとっての理想的な善友は、釈尊自身だと説かれたのです。


誰とつきあっているのかということによって、自分の人生は幸福になるか
不幸になるか決められるのです。

ですから幸福を願う人は、何よりも先に善友を探し求めた方が良いので
はないかと思います。

全ての人間とつきあう必要はありません。

全社会と関係を築く必要はありません。

それは無理に決まっている。

我々は個人的に小さな社会を築いて生活しているのです。

世界が狭いというのはネガティブ語ですが、広い世界を築くのは簡単では
ありませんし、その必要もないのです。


良くないのは、極端に狭い世界なのです。無闇に沢山の人とつきあって
広い世界を築こうとすると、結果として自分がダメになってしまうのです。


性格・生き方・好みなどが種々雑多な人間と仲良くして自分の世界を
広げるためには、よほど苦労をしなくてはいけないのです。


その能力のない人は、無理をする必要はないのです。


・・・・つづく

パティパダーNo.117 (2004年11月)
つきあう前に人を選ぶ
〜人間関係は知人と友人を選ぶことで始まる〜
 Your friend controls your happiness.
A・スマナサーラ長老


http://www.j-theravada.net/howa/howa117.html

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なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。

お釈迦様という善友がいらっしゃっる。これは素晴らしいことだと思います。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/23 08:42
 今回のブログ本文記事と矛盾するように感じられるかもしれませんが、スマナサーラ長老が縦の関係を強調されたこともあります。
 
 かやの木会館での「すべては心で決まります」という題名の説法において、スマナサーラ長老はこのように仰っています(私の法話メモより引用)。

 縦の関係

 生命は自分のことしか知らないし、外のことを知ろうとしてもそれは自分に関係ある範囲だけです。従って、自己中心的。

 ですから、縦の関係なんかは想像もつかない。

 自分が偉くて一番なら縦の関係は成り立たない。→ 謙虚、素直、前向き、柔軟性、アドバイス快く聴く、怒り・嫉妬・憎しみではなく慈しみの精神で生きるのです。
 知識的・精神的・道徳的に目上の人は、自分の低次元に落ちてくれることはありえない。(引用終わり)

 この後、私のメモには、ディーガニカーヤNO.13、マッジマニカーヤNO.47を、「ディーガNO.13、マッジマNO.47」と私が略したメモ書きが残っていますが、手元にこれらパーリ経典がありませんので、縦の関係について説かれた経典がどうかは定かではありません。

 なお、この講演はもう5年以上前の講演となります。当時は、私はメモを取っていたのですが、今はメモは取りません。どうしても紙に残しておきたい場合など例外的場合が今後ありうるかもしれませんが。
ヴィーナス
2011/01/23 10:17
私が幸せでありますように。

私の親しい人々が幸せでありますように。

私の嫌いな人々が幸せでありますように。

私のことを嫌っている人々が幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/01/23 13:31
読ませていただきました。

多くのお方に、こうして、ブッダにつながる、言葉を

見て頂くのは、いいことですね。

才木広之
2011/01/23 18:12
少し書きます

私はスマナサーラ長老の市販のご本はすべてに近いぐらい読ませていただきました

例え一日一話のようなご本でも、読みかければ一冊一気に読み切ります

そんなに時間はいらず、二時間半ぐらいで、一応は、読み切れます

そして何度も何度も、その繰り返しです

ご説法をお聞きする時でも、御本を読ませて頂く時でも

集中力をなんとか持続させ、辛抱入りますが、なんとか緊張の糸を切らさずに、聞いたり、読んだりしてます

途中では、なんでとか、ちょっと待てよ、とかいいたくもなりますが、どのご本でも頑張って最後まで一気に読み切れば最後のは、安心した自分がいます。やっぱり納得させてくれます、それがスマナサーラ長老です。最後まで辛抱して聞いた人には、ちゃんと、ご褒美があるといった感じに思います

最後までしっかり聞こうと、忍耐して聞けば、必ず得るものがあります

途中で、本を置くようでは、駄目です、ご褒美は得られません

辛抱して、最後まで、緊張の糸を切らさず、読んでくれた方には、ちゃんとご褒美があります。

それは、納得すっきり、という御褒美です。

才木広之
2011/01/23 20:45
あんさんのブログは、あくまでほんのご紹介だと思います。

本の内容についてコメントしようと思えば、私はその本を一通り読みます。結果、何にもコメントすることがなくなります

ぜひとも、皆様も、ご紹介いただいた、御本は、一通り、一気に集中力を切らさずに読まれることを、願います。

せめて前の言葉や、感じが頭に残っている間に、続けて読まれることを、願います。

必ずやすっきりと解決してくれます

読んでる途中はいろいろと自分の感情が浮かびそうになりますがそれは放っておいて、スマナサーラ長老が、しゃべりかけてくれているように感じられるところまで、集中して見られることを願います。スマナサーラ長老は、ブッダに帰依されておられますから、ブッダに行きつくはずです、頑張ろう
才木広之
2011/01/23 20:45
私は協会会員になり責任感を感じています

ぜひとも、一冊一気に読んでほしいのです

ただの本ではなく、そこには私たちのために言葉を発せられるスマナサーラ長老と言う方がおられるのです

それを最初から、最後まで聞かせて頂くのは、私たちにできる、スマナサーラ長老への最低の礼儀だと僕は思います

〜生きとし生けるものが、幸せでありますように〜


才木広之
2011/01/23 20:59
生きとし生けるものは幸せでありますように

そこにスマナサーラ長老がいらっしゃって、しゃべってくれているのと同じなのです

二時間や三時間ぐらいは、スマナサーラ長老は一気にしゃべられます

それを緊張の糸を切らさずに二、三時間、お聞きする【読む】ということは、当然の最低限の礼儀だと思います。

私の熱い思いを書きましたが、そうしてほしいという願いです。あとは皆さまの自由です

生きとし生けるものが、幸せでありますように
才木広之
2011/01/23 21:05
生きとし生けるものは幸せでありますように

嫌がられるかもしれませんが、想像で書いておきます

一冊の本である一つの内容をスマナサーラ長老が、書かれているとします

それだけだと誤解が生じかねないので、この内容も、書いておこう、そしてこの内容と、この内容と、この内容で、よし誤解が生じないはずだ、といった感じで、一冊の御本にされておられるのではないかと想像です。

それは法句経一日一話、などでも同じだと想像します

一冊お読みすれば、結局は、慈悲の冥想とヴィパッサナー冥想への筋道、というか、そこに違和感なくなどりついて頂くために、書かれておられるものも多々あると想像します

一冊読めば自然と慈悲の冥想をしてみようという気になる御本も複数あるように感じました

自然とヴィパッサナー冥想もしてみようという気になる御本も複数あるように感じています

ですから、一冊一気に読み切ってほしいと、私は、思っています。

他人のブログにお節介に言葉を書いたことを、反省いたします。このブログがあったおかげで、私はこうして言葉が書けます。このブログだからこそ信頼して言葉が書けます。

〜生きとし生けるものが、幸せでありますように〜
才木広之
2011/01/23 21:39
今日は食事のお布施と、ダンマパダ講義に参加しました。スマナサーラ長老とは三ヶ月ぶりに、ワンギーサさんとは半年振りに、会話することができました。実り多い日でした。生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
2011/01/23 22:21
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