幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆あなたの友人は賢者か愚者か【前編】

<<   作成日時 : 2011/01/25 06:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 14

愚か者と歩む者は、長い間、憂(うれ)い悲しむ。
愚か者たちとつるむのは、
仇敵と一緒にいるように苦しい。
智慧ある人とともにいることは、
親せきとともにいるような安らぎである。
(二〇七)

画像


友だちを作るということは、若い人がよく考えることです。

友だちとはどこかで自分と気持ちが通じ合っている人を意味します。
互いに気持ちが通じ合えば一緒にいて楽しいし、話が合うのも
楽しいものです。

いろいろ合致するものがあるという存在が友達です。
その関係はお互いの人生にも大きな影響を与えます。

自分がどんな人間になるかということは、友だちがどんな人々かと
いうことで大きく左右されるからです。

自分の人生は友達によって決まります。
これは生命としてどうしても避けられないことです。

私は独立している、私はだれの影響も受けない、ということは心理学的に
観て成り立ちません。

私たち一人ひとりのこころは、単独で機能するものではないからです。
あらゆる情報によって、周りの環境によって、自分のこころは変化します。

だからこそ、自分のこころを取り巻く環境を整えることは重要なのです。

つまり、「だれと仲良くすべきか」という問題は、人生の最大の関心事として
真剣に考えた方がいいのです。

ブッダの教えは皆さんが友だち選びをするためにとても役立つと思います。

ブッダによれば「愚か者」を友だちとしたら、その人生は失敗なのです。

愚か者とは、頭が悪い、道徳がない、罪を犯す、判断力のない人々のことです。

もし、そういう人々が友だちだったら人生は最悪です。

次から次へと問題が生じます。
しかも自分はそこから逃げられず、そんな悪環境の渦に陥ってしまいます。
話すときでも、そういう愚か者の話に合わせなければならない。

もし勉強が得意で、物事をよく理解できる能力が自分にあったとしても、
頭の悪いグループにいたら、その能力を切り捨てて「ないこと」にしないと
仲間に入れない。

だから、悪い仲間と付き合うと、どんどん人格がだめになってしまいます。

その人は大変な苦しみを受けて、長い間悩む羽目になるのです。

気が合うから、好きなものや趣味が同じだから、クラスが同じだから、
といった基準で愚か者と付き合ってしまったら、人生をまるごと捨てる羽目にも
なりかねません。



では、失敗しないためにはどうすればいいのいでしょう。

ブッダの答えはこうです



「友だちを作るならば、自分よりも性格が素晴らしい人、智慧がある人、
理解能力のある人、道徳を守っている人、自分より優れている人を
友だちにしなさい」。



要するに自分より優れた人々の輪に入り込んで生活すればいいのです。
そのグループに入ることで、自分の人格は簡単に向上してしまいます。

しかし、その場合「ねえ、仲間に入れてよ」と気安く声をかけても簡単には
仲間になれません。

同じブランドの服を着たり、同じ遊びをしたりしても、人格者と友だちになることは
できません。

・・・・・・つづく・・・・・・


原訳「法句経(ダンマパダ)」 一日一悟 A・スマナサーラ 著 P.76〜79

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます

私は今日の文章を読ませていただいて、このようにも、感じました。

過去に生きてきた、私が、つきあった人々、

それによって、今の自分があるとも思います。

お経、各冥想は朝五時〜に変更しました。

生きとし生けるものは、幸せでありますように。
才木広之
2011/01/25 06:50
おはようございます

皆と仲良くしなければならないと漠然と考えていましたが、それは「生命のネットワークの一部である自分は、周囲とはバランスを持って、相手を尊重して、上手く付き合う」ということで、深く付き合う親友は、「自分はやがてその人のようになる」訳ですから、選択は大切なんですね
TOPに張ってくださっている根本仏教講義『幸福の道は友情で完成する』も併せて観るとよく理解できました。

ありがとうございました

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2011/01/25 07:05
今日のお話、とてもよくわかりました。キチンと努力をしている人、自分もあぁいう人になりたいなぁと目標に出来る人を友としたいですね。決めた事は守ること、これが人格を向上させる事だと、新年の法要でスマナサーラ長老も仰っていましたね。
かずみ
2011/01/25 08:18
仏教は誰のせいににもしない

自己責任で生きる事ですね

やるべき事はやり通す
強い意志を持つべきです

生きとし生けるものが幸せでありますように

あん
2011/01/25 08:19
人を選ぶ時
流されないように
自己管理しながら

観察能力、判断すべき能力を養う事は
言うまでもないです

判断を過ったら
すぐに修正する勇気も必要ですね

あん
2011/01/25 08:34
おはようございます。

昨日は、スマナサーラ長老と香山リカさんの対談が丸善本店であり、参加しました。

対談の中で、スマナサーラ長老が「自我がないから、自己制御が大切」ということを繰り返し、強調されていたと思います。

香山さんが一方的に質問ばかりされて、対談としてはとてもユニークなものだったと思いました。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/25 09:33
付き合う人を選んでも、自分のこころの中で敵を作らないことが大事だと思います。

敵を作らないとは、相手にしなくても叱っても慈しみの念を向けることだけはやめない。

たとえ、事件を犯した犯罪者に対しても賛成はしないけど、慈しみの念は向けることはやめない。

このブログのコメント欄を見ても、公共のマナーも守らないのに、人のためといいながらこころの騙し機能をフル活用して自我を発散する人もいます。

でもそんな人にも慈しみの念を向けることを欠かすべきではないのだと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/01/25 10:18
こんにちは、今の自分に感謝できます

法句経、一日一話に出会えたからです

ろくでもない、とんでもない、私ですが

それでも、この御本に出会えた時は、生きていてよかったと、思いました。

ですから、皆に感謝を出来ます。

生きとし生けるものは、幸せでありますように。
才木広之
2011/01/25 12:29
再びすみませんが、投稿をお許しください

申し訳ありません

何でもかんでも、たばこのせいに私はしてます

たばこを、止めれないような、弱い人間だから、と

自分をわざと、醜くしてます。

たばこのことは放っておきます

それよりも善を行う努力をしているところです。

たばこのことよりも、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想を続けられるか、時間通り守れるか、こちらを本題といたします。

本当に吸うことが良くないと、気づいたなら、たばこは吸わないはずですから。

発言したことを、お許しください
才木広之
2011/01/25 12:43
心のだまし機能も、何もかも、見破って、泣いて、今までの行為を、恥じることになろうかとも思いますが

慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想は、時間通りに行います。

駄目なら、協会から、さらばじゃ。

よく覚えておいてください、私の言葉を

慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想を、やると決めました

やらなければ、精舎には足を運ばないことにしました

それと、たばこも今後吸えば、精舎には、足を運ばないことに決めました

誰がどう言おうと、破れば、もう精舎にはいきません

私のことに関しては、自分の心のことに関しては、以後書かないことにも決めました。

伝わるはずがないのですから、、、

客観的なことは私自身のことでも書きますが

才木広之
2011/01/25 12:56
私が、こう思う、といったことは、書かないことにしました

そういったことが私自身の落ち度により、今後あれば、どうぞ注意してください、その都度あらためますし、謝ります。


たばこ、慈悲の冥想、ヴィパッサナーの以上の発言を破れば、精舎にはまいりません。ブログにも投稿しません

日本テーラワーダ仏教協会と縁を切ります

会員も止めます。

破れば、、生きていく価値は、私にとってはなく、

死ねばいいんです。生きる上では、私は守ります

破れば生きていません、生きる価値が、私にとってなくなるのですから、当然のことです。

もうこれ以上は、いろいろと自分のことで書きませんので、安心してください

けど僕は、みんなのそれぞれのいろんなあなたや、あなたの、お一人、お一人の、その方の思いや、言葉は聞いてみたいとも思っています。

お一人お一人には、それぞれに、家族や、親しい人々や、生きとし生けるもの我関係してます。ですからお一人お一人を決してじゃけにすることなく、真剣にお付き合いをしなければいけないと思っています

才木広之
2011/01/25 12:57
仏教の言う、実践して結果を出すとは、何かを得ることではなくて、何対しても心が動じなくなることであるというのことをスマナサーラ長老はおっしゃっています。私達は、常に何かを得たくてたまらない。だからなかなか修行が進まないのでしょう。

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
慈悲と知慧
2011/01/25 17:07
私たちたばこを吸う人は、麻薬中毒です

いくら大好きなものでも、一日二日は、なくても平気です。何のことはありません。

たばこは、今日は吸わないでおこう、と思っても、無理です

多くの方は、たばこに頭をのっとられています。たばこに頭をのっとられているのだからその頭でいくら考えても、止めれません。

私の周りの多くのお方は、自分で、自分をだますという方法で、止められていると、私は判断してます。

たばこにだまされている頭を、もう一回だまして、なんとか止めてるようです。

たばこをやめたほうがいいと、自分で自分を洗脳されているように、私は判断しています。

麻薬中毒ですから、死ぬ気でやらないと、駄目だと思ってます。ちなみに前に買ったたばこは、今持ち歩いてます。

たばこに火をつけて、私の口に無理やりに、くわえさせようとする人があっても、私は絶対に吸いません。

何かをやり遂げる時には、慈悲と智慧さまのように、ごちゃごちゃ思考せずに、止めると決めたら、止める。そう言うことも、時と場合によっては、必要です

所詮たばこに乗っ取られた頭で、思考すれば、罠にはまりますからね

ズバリ見抜いた、ヴィーナスさんの言葉が、結構頭にこびりついてますが、「こころのだまし機能」ですね

しかし、いけません、あくまで私は、まだたばこに頭をのっとられているのですから、思考すること自体が、危険です。罠にはめられぬよう、お経、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想あるのみ
才木広之
2011/01/25 18:54
たばこ、お酒に関して、私事での発言はこれで終わります

お酒は、善友ワンギーサ様のおかげで、止めれました

たばこは、善友あんさんのおかげと、358さんのおかげで止めれました

私にとっての善友が、ワンギーサ様であり、あんさんであり、358さんです

それぞれに、それぞれ違う善友がいらっしゃると思います。

自分の父親、母親は、善友であります

しかし私の父が、母が、あなたの善友になるかはわかりません

またあなたの善友が、あなたの父、母であっても、そのあなたの父、母が、私にとって善友になるかはわかりません

ワンギーサ様にしても、あんさんにしても、会って心が少しでも素直に開けたからこそ、私にとっての、善友になってくれたのだと思います。358さんは、誰か存じ上げませんがあの日精舎に来られていた方で、嫌いな人はいなかったので、その中のお一人が358さんと言うことで、私にとっての善友であります。

素直に心を開くことは、大いに仏教に対しては必要なことだと、自分自身に対して、体験をいたしました。

どうぞ勇気を振り絞り、自我を捨てて、仏教にぶち当たってください。きっと助けてくれる人がいます、導いてくれる人がいます

泳げなくても、プールに飛び込めば、自分なりに頑張っていれば、泳ぎ方を教えてくれる人が、一人くらいは現れます。泳げなくとも、分からなくとも、仏教と言うプールにどうぞ飛び込んでください、きっと泳ぎ方、生き方を案内してくれる方が、現れます。

ブッダの教えは、法と、僧、があって初めて、聞けます

確かに必ず善友は必要です。
才木広之
2011/01/25 19:29
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