幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆◆あなたの友人は賢者か愚者か【後編】

<<   作成日時 : 2011/01/26 06:41   >>

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同じブランドの服を着たり、同じ遊びをしたりしても、人格者と友だちに
なることはできません。
もし人格者のグループに入りたいと思うならば、性格のだらしない
自分の方からお願いして、仲間に入れてもらう必要があります。

画像


人格のできた人々にとっては自分などはまだまだ未熟な人間で、
迷惑な存在でしかありませんから、当然、こちらが頭を下げて、
遠慮がちに裏口から入らなければならないわけです。

彼らは「友だちが欲しい」と探し回っているわけではありませんし、
「自分を拝んでくれる信者さんが欲しい」と仲間を勧誘している
わけではありません。

だから、こちらから身を低くして入り込まなければならないのです。
そうすれば「環境の力」によってたちまち立派な人間に育ちます。

「こいつは本気なのか、冷やかしで来ているだけなのか」と、
ちょっとした試練を与えられるかもしれません。

その上で「そう簡単にはめげないな。こいつは本気だな」とかわかったら、
もう放っておいてくれるのです。

放っておかれるだけで充分です。

人格者の中にいれば、それだけで成長しますから。

そこでブッダは、智慧ある人と一緒にいることは自分の家にいるような
もの、自分の親せきと一緒にいるようなもので、気楽で楽しいのだ、と
述べられているのです。

人格者のグループが自分の周りにいない場合はどうすればいいので
しょうか。

ブッダは別の経典で
「どうしても仲間がいなければ、独りでいてください」と答えています。

尊敬する友だちがいないならば、独りでいるしかないのだ」と。

そのときは友だち関係の中で成長することはできない代わりに、
墜落することもありません。しかし、不安に思わないでください。


「ブッダが最高の善友です」
「私がいなくても、私が説いた法があなた方の
指導者になる」とブッダは言われているのですから。


私たちを導くために常に偉大なる善友(ブッダ)がそばに
いてくださるのです。


仏教の世界では、
「友人関係、人間関係は、最大限気をつけるべきことだ」
と、説かれています。

ふつうは、「気に入ったから友だちになりたい」と思いがちですが、
「その衝動に従うことはやめなさい」とブッダは言われています。

だから、いい友だちを見つけるためには、「好き」「嫌い」という基準を
なくすことが不可欠な条件なのです。

「好き」と「嫌い」という感情には、生き方の幅を狭くする働きがあるからです。

日本では会社内の狭い人間関係にしがみついたり、学校のクラスメイトを
いつまでも大事にしたりする例がよくみられます。

これも人間としての能力開発を妨げる大きな要因の一つです。

なれあいの関係になり、自分の世界を狭めてしまうからです。

学校や職場の人間関係を否定しているわけではありません。

一緒に勉強したり仕事をしたり生活をしたりすると、兄弟みたいな親密な
関係ができあがります。


しかし、自分の人格を向上させたい、人生を成功させたい、負けたくない、
と願うならば、自分が仰ぎ見られるような人格者のグループと仲良くなる
ための努力をするべきです。



それにはなれあいの狭い人間関係を超えていく勇気をもたなければ
ならないのです。


とにかく立派な人間になりたければ、いい友だちを作らなければなりません。

友だちといっても、相手を気に入るか気に入らないか、「好き」か「嫌い」か
ではなくて、相手の性格や人格が自分より優れているか否かを基準と
すべきなのです。


おもしろいことに、性格や人格が優れている相手というのは、
たいてい自分の気に入らない面々です。


決まって「第一印象は大嫌い」という連中なのです。

だから、どうしてもハンディというか、相手と自分の間に壁を感じると
思います。

しかし、こちらがプライドを捨てて近づいていけば、そういう人ほど
「じゃあ、これはこうすればいいよ」と言って的確に物事を教えてくれるのです。



原訳「法句経(ダンマパダ)」 一日一悟 A・スマナサーラ 著 P.79〜81

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コメント(17件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。

お釈迦さまが完璧すぎて、ついていけない、と思うことがありますが、そこは、焦らず、粘り強くの精神でいきたいと思います。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/26 08:30
私の悩み苦しみが無くなりますように。

私の親しい人々の悩み苦しみが無くなりますように。
私の嫌いな人々の悩み苦しみが無くなりますように。
私のことを嫌っている人々の悩み苦しみが無くなりますように。

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/01/26 14:12
諸悪莫作 衆善奉行

生きとし生けるものが幸せでありますように
かずみ
2011/01/26 14:21
 私が、ぱんさんのブログにコメントしたものですが、引用します。

 五祖、大満弘忍(だいまんこうにん=曹洞宗での読み方)禅師には、神秀上座と呼ばれる誰もが五祖の「伝承者」と目する人物がおりました。

 しかし、神秀上座よりも優れた偈文を書いた人物が慧能禅師でした。

 ただ、慧能禅師は、単なる寺で雑用をしていたにすぎず、出家としてエリートである神秀上座とは全く立場が違いました

 それで、五祖大満弘忍禅師は、慧能禅師を伝承者とすることに決めたのですが、みんなから袋叩きにならないようにこっそりと伝承者である慧能禅師を逃がしたのでした。

(引用終わり)

 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201012/article_14.html
ヴィーナス
2011/01/26 16:13
 なお、この「伝承者」であられる慧能禅師は、寺男であったというお話もあります。
 
 が、協会の寺男であるnaagitaさんが「伝承者」であるという意味では書いておりません。
 
 違う人を想定しています。
ヴィーナス
2011/01/26 16:21
慈悲と智慧さまへ。

慈悲の冥想を、よくお書きになられておられます。

前にも少し触れましたが、物事には順序かあります。

掃除のことで、前に書いたことですが、

もう少し詳しく、わかりやすく書いてみますの、読んでいただけたらと思います。

自分が、一番よくつかわせて頂いてるところが、自分の部屋です。ですからまず第一に、自分の部屋ぐらいは自分で掃除するべきです。

次によくつかわせて頂いてるのが、自分の家です。ほかの方も使いますが、自分も使わせて頂いてるのですから、掃除すべきところです。

その次によくつかわせて頂いてるところが、近所の道などです、他にも多くのお方が、使っていますが、自分もよくつかわせて頂いてます。

一番によくつかわせて頂いてるところを、まず掃除するべきです。

才木広之
2011/01/26 23:20
生きとし生けるもの、の一部分のをそれぞれに分けて考えると、無数になります

その一部分のかたまりが、自分です。

宇宙は、生きとし生けるもの、の持ち分です

誰か個人のものではありません

ですから、自分がよく使わせて頂いてるのが、自分の部屋です。そこを掃除するのが、よいと思います

才木広之
2011/01/26 23:21
それでは慈悲の冥想について、お話します

生きとし生けるものの、一部分が、今のあなたです。

生きとし生けるものの、一部分の心が、あなたの心です。

であるならば、一番よくつかわせて頂いてる、あなたの心、その心に、慈悲喜捨の心をまず向けるべきです

よく自分に厳しく、他人に甘いとか

自分に甘く、他人に厳しいとか、評価している人がいます。

そんなものに洗脳されては、駄目です。

まず一番よくつかわせて頂いてる、自分に、慈悲喜捨の心を向けるのです

そして、親しい人【付き合いのある人】

そして、すべてを総称した言い方の、生きとし生けるもの

に、慈悲喜捨の心を向けるのです

才木広之
2011/01/26 23:22
もう少し慈悲と智慧さまには、お伝えします。

ブッダの言葉を、自分が聞くのではなくて

できれば、自分に対して、自分がブッダの言葉を、投げかけてほしいのです

ブッダはよく励ましの感情で、私たちに、言葉を投げかけてくれます

「ブッダが私たちに励ましの言葉を、投げかけてくれているんだ」ととらえ「自分が頑張らなければいけないんだ」ということも非常に大切ですが。少し進んで、そう感じたブッダの言葉を自分が受けて、今度は、自分が、自分に対して、励ましの言葉を、かけてあげるのです。

まず慈悲喜捨の冥想で、自分で自分を励ましてあげるのです

生きとし生ける物の一部分のあなた、一番よくつかわせて頂いてる自分のこころ、そこにまず慈悲喜捨の心を注いであげるのが、まず第一です、その次が、親しい人々、そして生きとし生けるものです

自分の部屋を掃除したら、自然界の一部分を掃除したのと同じことです

一番よくつかわせて頂いてる、自分の部屋をまず掃除するのが手順です

あなたに慈悲喜捨の心を向けたなら、生きとし生けるものの一部分に慈悲喜捨の心を向けたのと同じです。

一番よくつかわせて頂いてる、自分に慈悲喜捨の心を向けるのが手順です。

私は四つ約束を破りました

一つ目は、たばこを吸いました

二つ目は、投稿しました

三つ目は、協会会員をやめませんでした

四つ目は、死にませんでした

信用してくれたに謝ります。

ごめん。



生きとし生けるものは、幸せでありますように
才木広之
2011/01/26 23:22
才木さん大丈夫?結構ヤバい
なお
2011/01/27 00:01
なおさんへ

あんさんのブログにて、失礼します

私は大丈夫です

私は自我が強いと思われているみたいですが、自我が強ければ、とても、このように、本名で、自分の心を投稿できません。

ですので、大丈夫です。

みんな、あれこれ書かないだけで、こころの中は、大変なんです。ただ私は平気で、書くだけで、

だから大丈夫
才木広之
2011/01/27 00:18
なおさんへ。

少しコメントしますね

自分が「こうしよう」と決めることがありますね

次の瞬間には、「やっぱりやめた」と決めますね

その繰り返しでよね。

自分の心の成長になることで、「こうしよう」と決めたとしますね。

けどそうは簡単にはいきませんね。生きていれば、「やっぱり今は出来ないとか」いろいろあります。

自分が、善いことで「こうしよう」と決めたら、その後はどうするのがよいのでしょうかね。

私はこう思います。以下

「決めたんだから守る」では無理

「自分に厳しくする」これも無理

【自分で自分を励ます】これしかないよね

 おやすみ〜


才木広之
2011/01/27 00:30
誰も真剣に自分のことを励ましてはくれないんだ

欲とか、怒りとか、いろんな感情があるだけで、

けどね、せめて、自分で自分を励ますことが出来たなら、結構いいと思います。

それが出来たら、人のことも、励ますことが出来るんではないかなーと思うんです。

幸せでありますように、と自分のことを励ますことが出来る心が生まれたなら

人に対しても、幸せでありますようにと励ますこともできるようになる気がするし、

虫や、動物に対したって、幸せでありますようにと励ますことが出来るんじゃなかろうか、なんてね。

なおさんの、一言で、私は元気いっぱいになったのである。
才木広之
2011/01/27 00:38
生きとし生けるものが安穏でやすらぎに満たされますように。
慈悲と知慧
2011/01/27 00:46
自分では気づいてないと思うんだけど、自我がかなり強い人いますよ。

人の名前は、公表するでしょ

自分の名前は、公表しないでしょ

それは自分の、名前だからです

そこに自分が、あるからです

人の名前の場合は、そこに自分が、はないから、いくらでも人のことはかける訳です

自我がなければ、ニックネームをわざわざ書く必要もなく、そのまま、自分の名前で行けば、ややこしくないんです

わざわざニックネームをつけようと思うこと自体、自我の表れなのです

自我が生まれないようにと、ニックネームで投稿するのだと、自分を納得させている方が多いと思いますが

自我がなければ、そんなこと考えず、普通に自分の名前を書きますよ。

ですから、社長連中は、結構自我が少ないですよ

いえ、自我が持てない、と言ったほうが正しいでしょうね

なぜだか分りますか。だっていろんな方と接していると、みんな評価がバラバラだから、自分って何、、、って感じですから

自分で自ら、お客様の声を聞き、接し、してる人は、自我が少ないですよ。そのような社長さんは、一生懸命に役に立とうと思いしている方だから、余計に、人それぞれで、良かれと思ったことが、相手にとっては悪かったりという体験をしたり、もうそれぞれ、相手のお方によって、違うのだと重々知ってますから、自我を持つことが(自分が良かれと思ってすることが)相手のお方にとっては嫌みだったり、嫌われたり、迷惑だったりすることが結構ありますから、自我が邪魔なんですね

だから親しくなるしか方法がないんです。商売というのは、かなしい行いともいえます。まー善い時もあるからやっていけるのだとも思いますが。

とにかく自我は商売には、邪魔ですね。
才木広之
2011/01/27 01:05
表に出るときに

女性で化粧をして、自分の素顔を隠す人があるでしょう

仕事上の礼儀として、職場では仕方ないかもしれませんが

仕事でなく、お出かけして、お店に言ったりするのに、どうして化粧で素顔を隠さなければいけないんでしょうね。

やっぱり自我の表れだと思います

化粧されていない人は、自我が少ないと私は評価しますよ

それとも、自我を抑えるために本来の顔を隠すのでしょうかね。私はそのままの素顔で歩いてる方を見受けても、自我がこの人は強いなーと感じませんけどねー

化粧して素顔隠してる人のほうが、自我が強いなーと評価しますよ

だから、本名で私はそのまま投稿しますが、自我が少ないのですよ

本名をわざわざ替えようと思う時点で、もう自我の表れです

ですから、あんさんなんかは、自我がかなり薄いと思います、顔写真を載せられております。化粧がないともっといいと思います。
才木広之
2011/01/27 01:15
 
 才木さんのコメントで、埋もれてしまっていますが、上に、禅宗の五祖大満弘忍禅師と、六祖慧能禅師のことについてコメントしました。

 私のコメントの力点は、お師匠様は、みんなから袋叩きにあわないように「伝承者」を逃がすことがある、それは現代日本社会でも同じことが起こり得ると思う、ということでした。
 
 そして、その「伝承者」は多くの方が、「伝承者」と思っている神秀上座のようなお坊様とは限らないということでした。だからこそ、袋叩きという事態も起きうるわけです。

 しかし、このお話は必ずしもその点をメインテーマとしているわけではないと思います。

 「本来無一物」という重要な点についての説法がメインテーマのようにも思われます。

 上記コメントは、私がスマナサーラ長老から拝聴した説法の直接の記憶に基づいて構成していますが、正確性を期するために宝泉寺の住職様の論稿を文章表現としてかなり取り入れさせて頂いています。
 しかし、力点を置いているテーマが違いますので、住職様の論稿を上には、引用しておりませんでした。

 住職様の論稿はこちらになります。
http://www.kyt-net.jp/~housenji/bukkyou/bukkyou-10.html 

 本来無一物についての、スマナサーラ長老の目が覚める説法が紹介されています。
ヴィーナス
2011/01/27 09:33
◆◆あなたの友人は賢者か愚者か【後編】 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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