幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★見栄を張っていないと不安

<<   作成日時 : 2011/01/28 06:38   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 20

”空っぽの自分”を自覚して、謙虚になること
つまり中身がないのです。
そういう人に限って、世間の目、
社会の評価が、とても気になる。
だから、見栄を張って威嚇しないと、不安になるのです。


とても息苦しい、窮屈な人生ですね。
大衆なんて、それほど当てにならないのに、本当にバカバカしい。

見栄を張るということは、常に「演じる世界、虚構の姿」で生きることでしょう。
ですから、いろいろなカラクリが必要になってくる。
疲れますよ、役者さん以外は。

役者さんは、自分の仕事だから真剣です。
演じることに大きな力を消耗するだけ。
最終的には、自分を見失ってしまいます。


小さな動物は、威嚇するとき、体を膨らませたり、
危険な毒があるようにトゲを見せたり、そらなりに頑張っているでしょう。


内心ではとても緊張し、ドキドキしながら。
本当に力のある動物は、そういう威嚇はやりません。
悠然と構えています。


画像


自分は人間でしょう。
見栄なんて張る必要はないのです。
今すぐ、「中身が空っぽの自分」を自覚しましょう。



本当の見栄というか、本物のプライドとは「謙虚」であることです。

だから、正々堂々と謙虚な自分でいられるよう、
ひたすら心を充実させていくのです。

「怒り」、「怨み」、「憎しみ」などの暗い感情を持たないように心を磨き、
悩むことなく、明るく生きるのです。
人の役に立つことも実行してください。



中身のある人は、決して見せびらかさない。
クールだから、カッコいいのですよ。


悪い例かもしれませんが、ある若者がみんなに
「知っていますか?私は東大に受かりました」とうるさく触れ回ると、
本人に能力がないことが見えてしまうでしょう。
自分自身が合格したことに驚き、自慢しているのだから、当然バカにされます。

本当に勉強がよくできて、何のことなく軽々と合格した人は、
「まあ、別に大したことではないですよ」という程度です。
中身のあるなしは、そいういうケースでも見えてきます。



見栄を張っている人の立ち居振る舞いは、
客観的に見ると、気持ち悪いです。
ですから、評価されるどころか、軽視されて、嫌がられます。

おかしなことに、周囲にバレているのに、演じている本人だけは、
いつまでも演技し続けるのです。




「悩まない力」A・スマナサーラ長老著書より

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
 私は、高校自体、部活動に熱中していて、学業がおろそかになっていました。

 それで、言いわけですが、受験勉強を始めるのが非常に遅くて、ある程度受験勉強を始めたのが高校3年生の6月頃、本格的に始めたのが、高校3年生の12月中ごろでした。

 その12月の中頃だったのですが、模擬試験を受けて、世界史で、偏差値32くらいの恐ろしい低位置につけたのです。後ろから数えて100番内くらいだったように思います。とにかく最低ラインでした。
 公立高校では、県内で著名な進学校でしたので、学校内では無敵の世界史馬鹿となるでしょう。
 
 ちなみに、私の在籍した高校の、私の学年世代は、特に優秀な世代で、東京大学の理Vに3人合格し、理Vだけでみると、全国でも10番内に入っていました。
 
 全国的には、あまり知られていない高校だと思いますが、有名人が何人か出ていますので、一部有名なところがあります。
 
 話を戻すと、私は、世界史を徹底して勉強することになりました。
 で、高校の授業が終わった後、及び、冬休み中は、自習用に教室が開放されていたので(もちろん時間制限はあり)、そこで勉強することも多かったです。
 
 友人もおり、世界史一人で勉強するのもつまらないと思ったので、世界史勉強している一人の友人に、お互いに、自分が使っている世界史の本の○○頁〜△△頁まで読んで、問題を50問ずつ出し合い、得点を競うという方式で勉強することになりました。
ヴィーナス
2011/01/28 07:07
善友、でしょうどちらかが。

皆さんのお一人で、あんさんを、善友と思っていらっしゃるか

それとも

あんさんに、善友になってほしくて、コメントしてるか

どちらかでしょう

そのためには、善友になってもらいたくて、よく見られるように、いいことばかり書く人もあれば

いろいろ作戦をこのおかしな頭で、考え、周囲にばれているのも気づかず、演じ続けている人もいます

私たちの、おかしな頭で、考えるよりも、お経、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想のほうが、格段に頭をさえさしてくれます。

では悲しいかな、精進の場である、仕事場へと言ってきます

皆さまそれぞれに、それぞれの仕事(自分の果たすべき役割など)お金に関係なく、あります。それは、こころをいかにお互いに清らかにしていけるかというのも、一つのお仕事ですね、

生きとし生けるものは、幸せでありますように。



才木広之
2011/01/28 07:34
 (続き1)

 それで、結論から、書くと、大体、2週間〜1カ月くらいで、世界史は、常時、偏差値70くらいのレベルになったと思います。

 御存じない方もおられるでしょうが、偏差値といっても予備校で色々です。一応、平均的な偏差値と思われる河合塾における偏差値でその程度のレベルに達したと思います。
ヴィーナス
2011/01/28 07:47
私の悩み苦しみが無くなりますように。

私の親しい人々の悩み苦しみが無くなりますように。
私の嫌いな人々の悩み苦しみが無くなりますように。
私のことを嫌っている人々の悩み苦しみが無くなりますように。

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/01/28 08:33
おはようございます。

本当に出来る人は苦労も自慢もないですね。

高校時代の友人で、殆ど受験勉強しないで東大に入り、ごく普通な感じで、現在東大教授をやってるのがいます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/28 08:45
 (続き2)

 それで、今コメントしているのは、一つには、そろそろ諦めモードに入っている受験生の人もいるのではないかと思い、私のような例もあるということを示しています。

 もう一つには、先に述べました友人の話があるからです。それは後ほど述べます。

 世界史の勉強をしている間は、他の科目の勉強は全くしなかったか、ほとんどしていなかったと思います。つまり、他の科目は全て「捨てました」。

 勉強に当たっては、どうしたら効率よく記憶に残るかというのを心理学系の本を読んで研究しました。

 それで、例えば、エビングハウスの忘却曲線というのがあるのですね。その曲線によると、最初は9時間経ったところで復習し、2日経ったところで復習するのがよいということを解説者の人が書いていました。
 それで、そのとおりしてみたのですが、9時間だと覚えた記憶が干渉するような形になって、今いち、定着がしっかりしないし、時間もかかるので、2日経ったところでの復習をするようにしました。

 (ちなみに、無意味記憶よりも有意味記憶の方が、記憶の定着率が高いのですが、その場合でも、エビングハウスの忘却曲線のように2日目までに急速に記憶は失われていき、その後の記憶はあまり失われないということになっていたグラフもみました。
 無意味記憶というのは、意味のないランダムな数字などを棒暗記するような記憶だと思います。
 有意味記憶というのは、理解して覚えるするような記憶だと思います。)。
ヴィーナス
2011/01/28 09:30
 (続き3)

 それから、○○の法則という名前はついていませんでしたが、「復習が5回目以上になったところで急速に記憶の定着率が高まる」というグラフもみました。

 例えば、復習3回目、4回目の記憶の定着率が40%くらいだとすると、5回目の記憶の定着率はいきなり80%くらいに跳ね上がるわけです。

 (この%の数字は、正確なものではありません。グラフの正確な数字は記憶に残っていないからです。定着率が急に高くなるということの理解の便宜としてお示ししました)

 それで、復習は5回以上したと思います。実際、私の感覚としても、世界史のような暗記がかなりのウェートを占める科目では5回以上復習したあたりで、急速に記憶の定着率が高まったと思います。

 有意味記憶の場合は、最初から、記憶の定着率が高いということもあると思います。

 高いのですが、先のデータによると、その場合でも記憶が失われる場合には、やはり2日目までに失われる割合が高いということですね。心理学者のデータによると。

 なお、心理学者のデータがどれほど正しいか、今でもこのデータが通用しているのかは定かではありません。一応、正しいとして話を進めています。しかし、鵜呑みにしないことも必要と思います。
ヴィーナス
2011/01/28 09:38
 (続き4)

 それで、2日後に復習するというのは、例えば、今日1月28日に世界史の参考書を1頁〜40頁まで覚えようとして読んだとすると、1月30日に、また、世界史の参考書を1頁〜40頁まで覚えようとして読むということです。
 1月31日ではありません。30日です。
 忘れかかったころに復習するということだと思います。

 大体、私の経験上、2日後の1回目の復習は、最初に読んだ時の半分の時間がかかります。
 次の2回目の復習は、1回目の復習の半分の時間がかかります。
 さらに次の3回目の復習は、2回目の復習の半分の時間がかかります。…以下、同じ。
 そうすると、復習のトータルには、最初に勉強した時間と同じ時間がかかることになります。勉強時間のトータルとしては、最初の勉強時間×2です。
 これは私の法則です。復習の仕方に工夫をすることによって、復習時間の短縮は可能かもしれません。
 ちなみに、これは公比「二分の一」の等比数列の和ですね。

 それと、心理学者の言う「復習5回以上で記憶の定着率が高まる」という場合の復習は、最初に勉強した分は含んでいなかったと記憶しています。
 上の例では最初に参考書を読んだ後、2日目に復習をするわけですが、その2日目が1回目の復習となります。

 なお、エビングハウスの忘却曲線を解説していた方によると、2日目に復習をすれば、次は、1カ月後に復習するくらいでよいという記述になっていたと思いますが、今は直前期なので、2日目に復習して、ある程度日にちが経ったところで、3回目の復習をし、ある程度日にちが経ったところで、4回目の復習をし、…以下同じという方法によることになると思います。
ヴィーナス
2011/01/28 11:16
 (続き5)

 それで、今述べているのは、世界史のような比較的単純な科目です(世界史を馬鹿にしているわけではありません。専門にやろうとすると大変な科目だと思います。)。
 
 単純な科目ではなくて、その他の科目だったら、その人その人に応じて、成績が伸びない理由を検討する必要も高まると思います。
 
 例えば、英語だったら、返り読みして文章を読んでいる人も多いと思います。それで、時間がかかりすぎたりして問題を解く時間がなくなっている人も多いと思います。
 私の時代にはそういう人が多かったです。
  
 また、英語の問題とはいっても、長文読解問題(今そのような問題が入試にあるかどうかは知りませんが)などは、私は、半分以上、いわば国語の問題であると思った方がよいのではないかと気づいたことがあります。
 
 英語を話せなくても、英語の偏差値が70以上の人というのは、少なくとも無意識にこのことに気づいていると思います。
 
 要は、英語と特別視しないで、国語の場合と同じく、文章の意味内容、言いたいことが何なのかを捉えることが大切であるということです。
 そして、ひいては、出題意図に答えることが大切であるということです。
 ですが、大体英語を不得意としている人は、英語を何か特別な科目としてしまっているように思います。
 (ちなみに、今書いているのは受験勉強の話です。実際に英語を話そうとする場合はまた別論です。)。

 それから、論述にはまた別な能力が必要だと思います。論述力が高まると、その論述を意識して記憶したりして、思考が凝縮したりする力もつくと思います。すると、記憶力が高まったりすることもあると思います。
 
 しかし、この論述力が弱い場合には、この点を鍛える必要がある人もいると思います。
ヴィーナス
2011/01/28 12:54
 (続き6)
 
 最初のコメントで、「私の在籍した高校の、私の学年世代は、特に優秀な世代で、東京大学の理Vに3人合格し、理Vだけでみると、全国でも10番内に入っていました。」と書きました。

 何でこういうことが起こったかというと、私の地方の塾の先生が、医師になることを強く勧めておられたからだと思います。

 その当時、私の高校の卒業生で、その塾に通っていた人の多くは、有名大学の医学部に進みました。

 防衛医大にも当時8人くらい合格したと思います。それも凄いことだと聞いたことがあります。

 中には、東京大学の理Tを蹴って、防衛医大に進学した人もいます。

 その塾で、周りから、最も天才とうたわれ、ノーベル賞をとるならばこいつと言われていた人物は、東京大学は受験せず、京都大学の医学部に進んだように記憶しています。

 私の地方は、一応都会に位置すると思うのですが、地理的な関係で、有名私立中学・高校に通うにはかなり交通が不便なところにあります。
 なので、公立高校にも関わらず、凄く頭がよい人物が残っていたりしました。

 また、自由な校風で、変わった人が出るのですね。
ヴィーナス
2011/01/28 15:00
このページ色々と勉強になりますね。

http://homepage3.nifty.com/sukha/
慈悲と智慧
2011/01/28 18:10
 慈悲と智慧様。

 玉石混交という感じがします。観る眼が必要なように思います。
ヴィーナス
2011/01/28 18:27
ヴィーナス様

観る眼は必要なのかも知れませんね。
慈悲と智慧
2011/01/28 19:00
悪い例かもしれませんが、ある若者がみんなに
「知っていますか?私は東大に受かりました」とうるさく触れ回ると、
本人に能力がないことが見えてしまうでしょう。
自分自身が合格したことに驚き、自慢しているのだから、当然バカにされます。

という引用の文章ですが

当たり前にクールに伝達事項として、「知っていますか?私は東大に受かりました」と触れまわることはあると思います。

以下は受ける側の主観でしかありません

「うるさく触れ回ると」、という部分

「自分自身が合格したことに驚き、自慢しているのだから、当然バカにされます」という部分です。

私は誰かが、自慢しようとして「知っていますか?私は東大に受かりました」と聞いたら、かわいくて、かわいくて仕方ありませんよ。よかったね。といったあげますよ

悪い例なら、書かなければよいと思います。


スマナサーラ長老も人間ですから、完ぺきではないから当然です。ただそれでも慈しみを持ってお話になられるスマナサーラ長老は、大好きです。

一冊読めば、きちっと納得してすっきり、眠れるのですが、一部の引用は、いいのですが、一部だけ読まれるのは、どうかと思います。

ここにきて立ち読みするなら、一冊買って読まれることを願います。

生きとし生けるものは幸せでありますように
才木広之
2011/01/28 19:46
東大に受かったということに関して、差別的な発言だというのです

誰でもはいれる大学だったら、触れまわっても、自慢ととられない、といった感じに思えます

それどころか、幼稚園に入ったよ、と言っても自慢ともいえますよ

なんで、東大に入ったと、触れまわったら、自慢という発言をするんですかね。

東大と言う、発言が呼ぶんです

どっかに入学したといって、自慢して回ったって、その受け取りようは、いろいろでしょう。自慢してるんだと思って、嫌がる人もいれば、よかったよかった、と、かわいくなる人もいるでしょう。

ようするに言いたいのは、東大出の人が、東大に入ったよと触れまわったら、自慢してると、とられる。

なんてことを、思わすような書き方は、いけないといいたいのです

確かに、努力した人、謙虚にならざるを得ないところはあります

何をしゃべっても、「偉そうに」といった受け取りようをされる方が多いですから、勉強すれば、勉強するほど、謙虚にならなければ、自慢しているようにとられるのですから、本当にここに、よく勉強をされた方には、礼拝いたします。

私などは、何も勉強してないから、いくら書いても、「偉そうに」ととられないだけで

勉強された人ほど、何を発言されても「偉そうに」という風にとられやすい、といったことを書きました。

とにかく、一冊お読みください

そして、スマナサーラという、人物に一度お会いされることを願います。

スマナサーラ長老より一億倍ぐらいの欠点のある人間より、

生きとし生けるものは、幸せでありますように
才木広之
2011/01/28 20:06
(続き7)

 上記した心理学の立場は、どちらかというと学習の量に着目するアプローチです。

 しかし、最近は、心理学にも認知心理学という分野があり、学習の質に着目するようになってきていると思います。

 ただ、こちらのアプローチは、受験間際の人には、即効性がないように思います。本格的に勉強するような場合には役に立つアプローチだと思います。

 例えば、認知心理学者の書いた本として「勉強法が変わる本」(岩波ジュニア新書、市川伸一著)があります。

 しかし、学者の言うことは鵜呑みにしないということも大切だと思います。
 心理学の流れからいってもこうした変化があるわけですから。

 高校生くらいだと、人にもよりますが、かなり素直な人が多く、それは善いことですが、素直が行き過ぎて、情報の影響をまともに受けやすいという馬鹿正直な人も多いと思います。
 
 なので、データに基づいて理性的に判断する、ということを大切にして頂きたいと思います。
 
 今回、スマナサーラ長老の勉強法はあえて紹介しませんでした。

 スマナサーラ長老は、勉強法について話される場合でも、俗世間レベルの話と同レベルではない、はるかに高レベルな解脱に導く話が説法の中に含まれている可能性が極めて高いからです。
ヴィーナス
2011/01/29 00:19
 (補足1)

 補足します。

 私の個人的考えですが、数学は、現在まっさらな状態の場合、2週間とかの短期間で、偏差値が70以上になるというのは、前世までに能力を鍛えてあって、その業が今世で発動しているとか、よっぽどの場合でないと著しく難しいと思います。

 真剣に集中して3カ月くらいは必要と思います。

 数学者の藤原正彦先生は、このように仰っています(この方の父親は作家の新田次郎さんで、母親も作家の藤原ていさんです)。

 数学書を読むのは苦労である。小説のように寝転がって読む訳にはいかない。
 机上に書物を開き、横にノートペンを用意しなければ進めない。
 計算などの面倒を省いて進むと、必ず途中で分からなくなる。
 
 初めて学ぶ内容の場合は、一時間に一ページも進めばよし、としなければならない。

 日本語で書かれているにもかかわらず、これほど手間のかかるものは数学書以外にないだろう。
 数学書を読もうと思う者は、この事実をまず頭に入れてから取りかからねばならない。

 これが周知の事実とは言えないので、数学科の新入生には毎年、「数学書は牛歩で読み進む以外にない」と注意することにしている。

 小説のような勢いで進んだため中途で挫折、となっては困るし、のろのろとしか進めないのは自分の能力不足、と悲観してはなおさら困るからである。

 どんな天才でもゆっくりとしか読めない。

(続く)
ヴィーナス
2011/01/29 13:21
(補足2)(続き)

 なぜそんなに時間がかかるのか。

 第一は抽象性のためである。…中略…

 第二は、著者である数学者達の美意識である。…中略…数学を創り上げた時には、実例の泥沼の中を這いずり回っていたのに、それをおくびにも出さない。気取るのである。
 美しく完成した家を見せんがため、工事現場や舞台裏を見せないから、理論のありがたみが分からない。どの数学書もとりすまして見える。

 第三は、数学者のコンプレックスである。

 一を聞いて十を知るのが格好よいことであり、十を聞いて十を知るのは凡庸の証し、との思い込みが強い。

 数学者の中には、一を聞いて十を知る人が少数だが実際にいるから、大半の数学者はこれらの人々にコンプレックスを抱いている。
 一を聞いて十を知ることと独創性とはさほど関係がないと分っていても、やはり現実にそんな人間と話していると、圧倒されがちである。
 
 そこで、十を知らしめるのに十を語っては自分が凡庸と思われてしまうとばかり、三しか語ろうとしないのである。
 (一部引用終わり。「古風堂々数学者」所収『美しくなければ数学ではない』115頁以下、新潮文庫)
ヴィーナス
2011/01/29 13:27
 これは本題ではありませんが。2011/01/28 15:00の私のコメントですが、「ノーベル賞」と、「変わった人」=「変人」がヒントです。
 
 分かった人はコメント書かずに心の内に留めておいて頂ければと思います。
ヴィーナス
2011/02/01 23:55
 もう少しヒントを出します。

 「ノーベル賞」は「ノーベル賞」をとった人という意味です。この人は同時に「変人」を自称しています。
 
 また、その「変人」の他にもう一人「変人」がおります。一般にはこちらが有名です。

 さらに、ヒントを追加するならば、「オリンピック・ゴールドメダリスト」です。これも人です。
 谷亮子さんはヤワラちゃんと呼ばれますが、漫画「YAWARA!」の主人公やわらちゃんからとったわけです。その漫画のやわらちゃんの苗字は、この人、由来です。 
ヴィーナス
2011/02/02 10:15
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