幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★ものごとはすべて経験で覚えよ

<<   作成日時 : 2011/01/29 06:19   >>

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では、知識を得る方法についてお話ししたいと思います。
これからお話しするのは、どうすれば簡単に、苦労することなく
多くの知識を得ることができるか、という方法です。


ちょっと冗談ぽく言えば、怠けながら勉強できる方法なのです。

知識とは概念であることを先ほどお話ししました。
頭のなかに概念を積み重ねることが知識である。


では、その概念とは何かということを考えてみましょう。
概念には、論理的概念と経験的概念の2種類があります。


論理的概念とはものごとの配列。
どのようにものごとは存在するか、
どのようにしてものごとは現れるのかという説明です。

たとえば、皆さんはどのような仕組みで
ウラニウムが核分裂するのかということをご存知でしょう。


いわゆる核爆発ですが、皆さんはその核爆発を経験したことがありません。
ただ頭の論理として、数式などで理解しているだけです。
それで、なんとなく知っているような気がしています。

あるいは、水素原子2+酸素原子1で水の分子ができているということをご存知ですね。

でもそんなことは黒板上の単なる遊びなのです。
ものごとの配列を頭で考えているだけです。

そういうのが論理的概念の世界なのです。


それに対して経験的概念とは、

文字通り自分の経験によって学んだ知識です。科学にも実験があります。
あの実験は経験です。

科学はそのほとんどが論理であって、空想の世界が多くを占めています。
多くの人は科学とは事実の世界だと思っていますが、
実際は頭のなかだけの論理が多いのです。
でも、おもちゃ遊びのようなちょっとした実験をよくしています。


実験で理解すれば、とてもよく覚えられます。
そこは科学の経験の部分です。

論理と経験という二つの概念のうち、学びやすいのは経験的概念です。

その上に経験によって得た知識は一度学ぶと二度と忘れません。
ですから、知識を苦労もせずにかんたんに得たいならば、
経験に学べばいいのです。


自分の経験を通して勉強したことや学んだ知識は知恵に通じるものですが、
そのことは後で詳しく説明します。

画像


ではどのようにすれば自分の経験として
勉強することができるのでしょうか。



ふつう私たちは「学ぶ」ということを、学校の講義や本から言葉によって得ています。
概念を言葉として頭に入れているのです。



つまり、内容そのことよりも言葉を優先させているということになります。


そして勉強とは言葉を覚えることだと思って、
そのことに必死になっています。
授業中にノートを一生懸命取ったり、講義を録音したりさえします。

それは言葉を優先させているからです。
この講義は録音しているから後で聞けばいいと思って、
あまり熱心に聞かなかったりするでしょう。
それはとてもまずいやり方です。



私が講演をするときは、確かに言葉で講演するのですが、
口で喋ると同時に言葉ではないところで多くのことを伝えているのです。

そのことは、直接講演を聞いている人なら感じているはずです。
後から録音したテープを聞いてみてください。
言葉は同じでもまったく違うと思います。

私は自分の講演の録音テープを聞くと、
おかしなことに気持ちが悪くなってしまいます。


言外のことを伝えるために、論理構成は二の次にしてお話ししているので、テープだけで
聞いていると理路整然としていないのです。

とくに、私の話は大学の講義ではなくて説法ばかりなので、
論理より経験や理解を念頭に置いてお話ししています。

でも、ナマで講演を聞いていただければ、私がきちんと伝わるように
お話ししていることがわかって頂けると思います。


私は皆さんの心に向けて喋っています。
ですから、言葉以外にもいろいろなことを伝えようと努めていて、
聞いておられる方たちにもそのことが頭の中にしっかりと入るはずなのです。


言葉とはなんでしょうか。
考えてみると、言葉というものも経験からつくられたものなのです。
何かを経験して、それを言い表す方法、手段として名前をつける。
それを言葉と言っています。

人によって経験されていない言葉は一語としてありません。

そういう言葉はつくることが出来ないのです。
ですから人の話を聞いていると、言葉のなかに必ず経験があります。


その言葉に接した自分のほうも、その経験を感じてみるといいのです。



「今日は寒いですね」という一言にも、
そこにはその言葉を発した人の経験というものが
必ず含まれています。

「寒いですね」というのは当然その言葉を発した人の経験ですし、
「きょうは」というなかにも経験があります。

言われたらこちらも、瞬時にそれを自分も経験してみる。

そうするとその言葉は覚えてしまって忘れません。

言葉だけで聞くと、すぐに忘れてしまいます。





「頭が突然するどくなる瞑想法」P23〜P26
A・スマナサーラ長老

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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
(続き8)

 私は、高校3年時の12月中ごろに世界史の偏差値が32くらいだったのを、2週間から1カ月で常時70くらいのレベルにしたと思うということを昨日コメントしました。
 そして、昨日は、諦めモードに入っている受験生の方に役に立つように意識して、そのやり方を書きました。
 
 計算して頂ければ分りますが、例えば、360頁の世界史の教科書を1日40頁マスターすると、9日かかります。
 昨日、私の法則として述べましたとおり、復習時間を含めたトータルの勉強時間は、最初の勉強時間×2ですから、トータルの勉強時間は9日×2で18日となります。

 なので、私が、「嘘はついていない」ということが数字の上からも何となく推測できるのではないかと思います。

 ところで、私は、単に世界史の参考書を読んだのではありませんでした。昨日の文章を引用します。

 「友人もおり、世界史一人で勉強するのもつまらないと思ったので、世界史勉強している一人の友人に、お互いに、自分が使っている世界史の本の○○頁〜△△頁まで読んで、問題を50問ずつ出し合い、得点を競うという方式で勉強することになりました。」(引用終わり)

 この友人についての話を書きたいと思います。

 この友人はどんな感じかというと、スポーツ万能(万能というのも全国レベルで通用するような身体能力あり)、容姿端麗、身長も高くスタイル抜群、頭脳明晰、人柄良くて人気者、といった感じです。

 マイケルジャクソンのようなスタイルで、スラっとした、しなやかで機敏な身体であり、ジャーニーズにいてもおかしくないようなルックスと明るさを持っています。
ヴィーナス
2011/01/29 07:31
スマナサーラ長老の言葉を、管理人様がこうして引用し公開すること自体で、確かにもうすでに少し、主観を感じます。

どうせなら、きちっと一冊最初から最後まで、書いていくのが、筋だとは思います。

でなければ、また苦のマスコミ的になり、私の思うスマナサーラというものを皆さまに植え付けるからです

政治家の多くが、テレビで、一部引用されていますが、必ずそこに主観が入り、「私が想像し思う政治家」というものをテレビに流す結果になります

母親がおいしいものを子供に食べさせようと考えます、それでも結果として、自分がまずいと思うものは決して作らないのです。子供がもうちょとコイ目がいいといっても、その濃い目を食べて自分hがまずいと感じたら、どうしても知らず知らずのうちに、また前の味に戻ってしまうのです。それが母親としては、一生懸命に、子供においしいものを食べさせようとした結果の出来事です

スマナサーラ長老の説法のここがいいよ、と伝えようとすると、どうしても自分がいいと思う部分が多くなり、主観的な伝え方に自然となるといいたいのです

ですから生で聞くしかないですね、スマナサーラ長老の説法はね。

生きとし生けるものは、幸せでありますように。
才木広之
2011/01/29 07:38
(続き9)

 それで、その友人は、ファッションセンスとかも抜群なのですね。決して高価な服を着ているわけではないのですが、センスがあって、何着てもかっこよく観えます。
 
 ある時、クラス間対抗かなんかで、ソフトボールをしていたのです。私のクラスは硬式軟式野球部が集まっていたのですが、その野球部の人々のプレーなどより、はるかに凄いプレーをその友人は魅せました。

 そんなボールまで捕っちゃうの?というようなプレーで、彼はセンターを守っていたのですが、そこまでボールが捕れるとなると、およそセンターとライト・レフトの間ではヒットはなかろうと思わせるプレーでした。

 イチローが一人ソフトボールに交じってスーパープレーを魅せたという感じです。

 実際、彼は、陸上が専門で(特に短距離。しかし、中長距離も速い)、足だけならばあのイチローにも匹敵するのではないかと思いますので、そのプレーはイチローに匹敵するものだったかもしれません。

 彼は、孤高さとか、身体の動きとか、イチローに似た感じの部分もあります。
ヴィーナス
2011/01/29 07:50
おはようございます。

なるほど!スマナサーラ長老の著書を読む時も、自分自身の経験と照らし合わせて、自分の問題として読むと確かに違いますね。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/29 08:37
(続き10)

 私が大学受験をしていた頃は、まだあまり推薦入試というものがありませんでした。詳しくはありませんが、今は、自薦の推薦入学というのは増えているのではないでしょうか?

 その推薦入学が、一般的ではなかった時代に、某超有名大学(偏差値極めて高い)から、彼に推薦入学の話が来ました。
 彼のプライバシーの問題もありますので、大学名は控えますが、早稲田大学ではありません。

 その推薦入学も、彼の希望を調べたのでしょうか?、法学部の推薦入学でした。しかも、自薦ではなく、大学側からの申し入れです。

 それで、普通なら、喜んでこの申し入れを受けるところです。

 しかし、彼は、この申し入れを断りました。蹴ったのです。

 当時、私は、彼の気持ちが全く理解できませんでした。

 しかもです。

 彼は、何と、この某超有名大学の同学部(つまり、法学部)に、一般入試でチャレンジして、一発で合格し、そこに入学しました。

 かっこいいのですが、常識で考えれば、大学側からの推薦を断ったのももったいないですし、そんなに偏差値が高い大学に一般入試で確実に受かる保障はないのですから、当時の私には、彼の気持ちが全く理解できなかったのです。 
ヴィーナス
2011/01/29 09:14
ここにコメントされる方に私は、書いてるのではないのです

ここにコメントされている方々は、もう自己責任で、ブッダのことを学ぶことになっている方ばかりです

なんとなく寄って、見て帰られた方には、「あーよかった」と思われ本を全部読んでみたい気になる方もおられるでしょう

しかし、一番に危惧するのは、「なーんだ、大したことないな、この本は」、と読まない人になることです

せっかくもしかすれば、これだけ著者が、多く出され、目にする機会があるのに、目にしても、「あの本か読まないでおこう」とこの一部引用の、言葉だけを見て、思われることが、私の危惧するところであります。

ほんのご紹介なら、ご紹介で、いいと思いますが、内容の引用は、かなりの注意が必要です

僕は、「はじめに」、とか「終わりに」、という本の中の内容、巻頭、巻末の文章は、なくてはならないものだと感じています

そこが大切だと思います
才木広之
2011/01/29 13:21
私が幸せでありますように。

私の親しい人々が幸せでありますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

私が嫌いな人々が幸せでありますように。

私のことを嫌っている人々が幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/01/29 13:50
(続き11)

 聡明な人は、もうお気づきと思いますが、彼の驚くべきところはもう一つあります。

 それは偏差値30台前半の私を相手に、毎日50問の世界史Q&Aを最直前期にしたということです。

 やって頂ければ分りますが、結構時間を使います。分からないところは確かめたり対話したりしますから。

 推薦蹴っているのですから、それだけ真剣だったはずで普通の人だったら焦りとかが出ると思います。

 また、このQ&Aをやるメリットは私には多大にありますが、彼にあったのでしょうか?

 一般に、成績差、実力差があまりに有る場合には、成績が上の人、実力が上の人は、一緒に勉強をしていたりすると、足を引っ張られて、勉強が進まなくなったりすることが多いと思います。

 だから、彼にはメリットがあるどころか、デメリットの方が大きかったように思います。

 私の記憶では、私は、彼がそんなにできるということを知らないで、Q&Aの話を持ちかけていたのです。彼は自分の実力を自慢したりしませんから、偏差値とか全く知らなかったと思います。
 
 また、超有名大学(極めて偏差値高い)からの法学部の推薦の持ちかけを断ったという話も、その時は知らず、その年の受験が終わった後に、別の友達から聞いたように記憶しています。
 多分、この話も彼が自慢したりすることはなく、例えば、同じ部活をしている人には、分ってしまう話でしょうから、そのあたりから、だんだんとその話が伝わっていったのではないかとも思います。
 (ですが、私が知る限り、彼自身が自慢したりすることはなかったので、同学年の人でも、この話を知らない人は多いと思います)。
ヴィーナス
2011/01/29 14:59
(続き12)

 人に教えることで記憶の定着を図るということは、彼のメリットとして一つ考えられることです。

 しかし、もう既に、相当に勉強が進んでいて重要部分については記憶が既に定着しているような状況だったと思いますので、この教えることによるメリットというのもほとんどなかったように思います。

(重箱の隅を突くような問題については多少意味はあったかもしれませんが微々たるものだと思います。リスクの方が大きすぎます)。

 だから、考えられるのは、彼は、テーラワーダ仏教徒でも何でもありませんが、既に慈悲喜捨の慈悲喜が自然に出るような優れた人物だったのだと思います。
 
 友人に対して幸せを願う気持ち、困っている友人を助ける気持ち、友人の合格を祝福し喜ぼうという気持ち、そういう気持ちが自然に出る性格なのだと思います。

 推薦を蹴ったのも、彼にとっては、難関大学への合格というのは第2次的な目的なのでしょう。
 おそらく、自分の人格を高める、自分に挑戦する、そこにチャレンジしていたのだと思います。

 スマナサーラ長老が、しばしば、二因と三因のお話をされます(質問がしばしばあるからです)。
 二因は、不貪・不瞋の二つが心に入って生まれる場合、三因は、不貪・不瞋ばかりでなく、「不痴」も心に入って生まれる場合と私はスマナサーラ長老の説法から理解しています。

 そして、この前、二因と三因について説法された際には、不貪・不瞋には強弱があるという趣旨のことを仰っておられたと思います。

 そこからすると、『不痴』の場合だけ別扱いとする理由はありませんから、おそらく、『不痴』の場合にも強弱があるのだと思います。

 私は、彼を思い出す度に、彼こそ生まれながらに、『不痴』が強の人物、『智慧』が強い人物ではないかと考えます。
ヴィーナス
2011/01/29 16:23
(続き13)

 高校3年生の時、文化祭がありました。クラスで演劇をすることになったのですが、事もあろうに、クラスのみんなは私を主役に選びました。
 私は、配役を決める時に、欠席していたので、欠席判決でした。

 しかし、私は、ある大会の強化メンバーのようなものに選ばれて、文化祭の主役をやれるほど時間がない可能性も出てきました。

 それで、何日か経ったら主役が代わっていたのですね。

 元々、欠席判決で決められていたことで、憮然としていた気持ちもあったので、代わって当然くらいの気持ちでいたようにも思います。欠席するのがいけないのですが。

 また、代わった主役が、彼だったのですね。

 それで、私からすれば、どう観ても、彼の方が華がある、私が彼に勝てるといったら身長くらい、しかも0.5センチ高いくらいだったので、もう適役だという気持ちでいました。

 実際、彼が主役をやるのは、適役で、文化祭は大成功だったと思います。

 しかし、後日、― これも受験が終わってからだったかもしれないのですが ―、その主役は、彼が私が強化メンバーのようなものに選ばれたことを知って、私のことを思ってわざわざ代わってくれたことを知ったのです。

 その時はさすがにびっくりしました。

 この点にも、慈、悲、喜の気持ちが現れており、彼が、生まれながらに、『不痴』が強い、『智慧』が強い、三因であることが伺われるように思います。
ヴィーナス
2011/01/29 19:14
高校時代っていいですね。

子供から大人への過渡期の時期を共にする。

いろんな人の感動的な話はやはり高校時代が多いですね。命懸けで友人を助けたり、とか。色々知ってます。

私も高校3年の時、不登校になった友人を助けたことがあります。助けた。というと違和感がありますが。

担任の先生から「お前行って説得してこい」と言われて、ひそかに取った行動が家出大作戦。

電車を適当に乗り継いで、東北方面へ。途中、路上生活したり、雑草を食べたりと、スリル満点の旅?でしたが、友人をそそのかした甲斐があり、無事に勉学に復帰し、北海道大学に入学しました。その後大学院へ進み、現在は大手製薬会社のヨーロッパ支社に勤務してます。

高校時代って、そんないい時期だと思います。誰でも友情が最も重要な時期だと思います。

色々と感動的な話も他の高校から聞きましたが、話が長くなりますので。。

二因、三因については、スマナサーラ長老のような賢者でないと識別できない。と私は考えてます。

2011/01/29 19:23
よし書くぞー。

思い切って自分の思うことを。

スマナサーラ長老が、私たちにしゃべりかけてくださる

そのスマナサーラ長老そのものに自分がなればいいんです

私は決して聞き逃してはいけない言葉を聞くときは、カラオケとおんなじような感じで、言葉を、追っかけて、自分で頭の中でしゃべります。そしたら絶対に聞き逃しません。聞けてないところは、自分が復唱できないのですから、絶対に聞き直します、「えっつ、今のところ聞こえなかったんですけど」と絶対になります。

また理解できないと、これも必ず聞き直せます。

どうぞやってみてください、絶対に聞き逃せませんから

また、本を読まれるときは、小説を読むような感じで読めばいいのです。もうしゃべりかけてきてくれますから、スマナサーラ長老がね。

だから小説を読むような感じで、読めばいいのです。

才木広之
2011/01/29 19:51
小説のように、自分が主人公になって読めば、

自分ではその時は気づいていなくとも、必ずや思わぬ自分に出くわします

本の中の内容を、思わず人に、投げかけている自分がいるんです。「あれ、僕がこんなこと人に対して言った」という感じになります、超まじめなことを、言ってる自分がいるんです。それが思わず出た言葉だから、自分でもびっくりするような感じになるのです

やくざ映画を見た後に、自分では気づいてないんだけど、やくざの主人公みたいにして、出てくる人がいるでしょう、本人は、何にも気づいてないんだけど、やくざ映画の主人公になってるんですね

小説は二回、三回と読んでいくと新たな発見があって面白いですね。

まったく同じような感じで読めばいいと思いますよ、

奥がとても深いのですよ、全ての言葉にたいしてね、

だけども、一通り読まないと、その面白みは出ないのです

やはり前後関係がありますから、

ワンギーサさんのダンマパダでも同じで、前後関係は結構あります、

前の詩で疑問が出ては、その疑問にこたえるかのように次の詩が来るといった感じで、ぐるぐるぐるぐる、回るような感じがあります

どこから読んでも、全部読めばつながるとは思いますが

一筋縄ではいかないのが仏教でもありますし

逃げ道が決してないのが仏教でもありますし

結局、仏教を学ぶ上では、お経、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想は、必修条件ですね。
才木広之
2011/01/29 20:07
(続き14)

 私が、慈悲の瞑想をします。その時に、友人を思い浮かべることがあります。

 それで、少し私に眠気があるような時に、先に述べました強い「不痴」、強い「智慧」の三因と思われる友人のことを思い浮かべて、慈悲の瞑想、特に「喜」の瞑想をすると、これまでのところ、非常に高い確率で、眠気がなくなります。

 これは私の経験上、私が賢者と思っているテーラワーダのお坊様については例がありますが(例えばスダンマ長老)、在家の人では、今のところ彼だけです。

 ちなみに、在家と書きましたが、先に述べましたとおり、彼はテーラワーダ仏教徒ではありません。私が知る限り。

 この点からも、彼は強い「不痴」、強い「智慧」の三因だと推測しています。
 つまり、そのような強い善心のエネルギーを持っているから、私の眠気が吹き飛ぶのだと思います。

 ※ あんさま。直前のコメント、(続き14)を冒頭に入れるのを忘れました。そのままでも結構ですが、削除されても構いません。
ヴィーナス
2011/01/29 20:24
相手にしないことに決めてから、

妙にお互いを認め合った。

という感じがしてきています。

これは過去にも経験がある、

仕事場にて、相手にしないぞと決めてから、妙にお互いがスムーズに仕事をできるようになった

たまに話しても、その環境が壊れないように、気を使いあってる感じさえする

それとたばこの仕組み分かりました

ニコチンが切れると、私の脳に、大変だニコチンが切れるぞと指令がいくようです

習慣になっていつもニコチンが体にあるもので、いつもあるものがなくなったということで、大変なこと事態だということで、体から、脳へと指令がいくようです。ニコチンが切れるから、補給する必要があるぞ。いつもあるものが、なくなりかけているぞと、指令がいくようです、その指令を放っておくと、それこそ緊急事態で、イライラしたり、怒りとなって表れるようです、下手をすると、盗んででも、手に入れろ、と言わんばかりに、緊急事態と判断するみたいです。本とこの頭はおかしい頭です。体のいいなりになっているのですから。

吸い始めも、かなり苦労して、吸い始めました。その時は、反対の緊急事態が起きていたのでしょうね、けど辛抱して吸い続けた結果、いつも体の中にニコチンがあるので、必要なものと、体が判断し、今度はニコチンが切れると緊急事態を出してるようです。たばこを吸えるように辛抱してたばこを吸い続けたのだから、今度はたばこを辞めようと思えば辛抱してたばこをやめようという意志を持ち続けなければいけない羽目になっているようです。

自分でまいた種は、自分で刈り取るしかないですね、随分と成長してしまったから、刈り取るのも一苦労です

根元まで、掘り返すのにも、結構深いですけど、頑張ります。
才木広之
2011/01/29 20:43
そろそろいつもの時間ですから、このあたりで

相手にしないと決めた、あなたへ言葉を贈ります


















 
















    【頑張って生きていこうね】
才木広之
2011/01/29 20:50
ヴィーナス様

なかなか興味深いお話でした。
ところでライバルのいない世界―ブッダの実践方法という長老の本はもうお読みになったでしょうか?私は、最初この本の良さがよく分かりませんでしたが(スマナサーラ長老の本自体がが悪いという意味でなくて、ページも薄いし、字も大きい割に値段がするのでわざわざ買う必要ないと思っていました)最近お寺で見た時、実は結構良いこと書いてあるのではと思いました。特に最後の方の観察についての記述が良かったです。
慈悲と智慧
2011/01/29 21:16
 慈悲と智慧さま。その本は、読んだことあります。ただ、全部眼を通したか、ピンポイントで読んだかは忘れました。

 最近、譬えで思うのは、皆それぞれに挑戦すべき山があって、その山をそれぞれが登る、登ったときが阿羅漢果の悟りであるというのが適切ではないかということです。

 慈悲と智慧さまは、慈悲と智慧山を登る、私は、ヴィーナス山を登る、あんさまは、あん山を登るといった具合です。
 そして、山を登り切れば阿羅漢果の悟りです。

 その山の勾配は、前世までに積んだ業の内で、今世で発動している業によって異なると思います。

 勾配がきつい方もいらっしゃるでしょうし、勾配が緩やかな方もいらっしゃるでしょう。
 
 しかし、それぞれがそれぞれの山を登らなくてはならない。

 (山の話を書いていますが、打ち切ったマッターホルンのところで書こうと思っていたテーマとは異なります。)
ヴィーナス
2011/01/30 00:40
なるほど、それぞれ山ですね。

生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2011/01/30 09:52
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