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zoom RSS ★仏教のしきたりも悟りのためではない

<<   作成日時 : 2011/02/22 06:41   >>

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 仏教のしきたりがいろいろ決められているのは、悟るためというより
は、社会人として行儀よくするためのものです。


そういうものは、守らなくても悟りの障害にはなりません。
だからと言って、自分の部屋もお寺もまったく掃除しようとしないで、
食べた食器などもそのままにしておいて、歯も磨かないで髪も伸び放題で
修行しようとしても、

それもまた悟ることはできないのです。


なぜかと言うと、怠け者だからです。


日常の社会生活でそれくらいこともやりたくない人が、
自分の心に爆弾を仕掛けるくらいの強い精神的なショックを受ける
修行には励めません。

ですから仏教では、まず厳しく、

「そういう怠けの性格を戒律の世界、行の世界で、
直しておきなさい。それから瞑想修行に入りなさい」

ということになっています。

瞑想修行に入る前に、飲み水を汲んでおいて、洗い水も汲んでおいて、
部屋の掃除もして、共同スペースもきれいにしておいて、
お坊さんたちに必要なものは全部用意しておいて、それから修行に入る。

いくら瞑想することが一番尊いといっても、
日常の仕事を疎かにしていると、性格ができていないということになるんです。

もともと性格ができていない人には、尊い道にチャレンジして結果を出すことは
不可能ですから、

「まず性格を直すために、きちんと作務をしておきなさい。
どうせ必要なことだから」と、いろいろな戒律が決めてあるのです。
それと戒禁取とはわけが違うのです。


ですから仏教では、「いくら戒律を守っても、しきたりを守っても、
それは悟れない」と平気で言います。

画像

「それなら戒律を犯しても構わないのか」というと、
断言的にそれは違います。


簡単な戒律くらい守る精神的な力のない人が、心にある欲と怒りを制御できない人が、
瞑想修行をすることはできません。


人格完成に達することはできません。



戒律は仏道に入った人の最初のレッスンなのです。
それに合格したら、心を制御するレッスンがあります。

それに合格すると、心を統一してみるというレッスンです。

それから、ありのままにものごとを観察するという
覚者として卒業するためのレッスン(ヴィパッサナー実践)があります。



ですから、何かしらの戒律を守ること、
何かしらの行にしがみついていることが解脱する道ではありません。
心の煩悩を絶って解脱に達するです。


戒律、道徳、しきたり、習慣、行などは、心の汚れを
なくすための支えになるならば、かならずおこなうべきです。



戒を守っても心がいっこうに清らかにならないならば、
性格が直っていかないならば、
その戒は無意味です。


守る必要はありません。
戒律が有意義か無意味かは、心がきれいになるかならないかによるものです。
心の成長を目指してそれをチェックしながら守る戒律は有意義なのです。
戒禁取にはならないのです。

<P54〜P55>




ブッダの実践心理学第6巻 縁起の分析
A・スマナサーラ長老・藤本晃 著書

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