幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ■「観察」と「興味」と「幸福」

<<   作成日時 : 2011/02/06 05:44   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 20

たとえば、ジャガイモの皮をむくとします。

 この場合は、超スローモーションでなく、ふつうでいいのです。

でも、焦る必要はない。焦ったら、指まで切れてしまいますから。


ジャガイモの皮をむくという場合には、
それなりに決まったスピードがあるのです。

その決まったスピードで、ゆっくりと

「むきます、むきます、むきます」と、実況中継しながら皮をむく。

皮をむいている途中で、ジャガイモの形やら、皮の状態やら、そういったもの
を観察しながら、感じながら、むきます。

 ことばは、

「むきます、むきます、むきます」だけで十分です。

ただ観察しながら、ジャガイモをむいてみる。
そうすると、なにか自分には勉強になるのですよ。

なにか、知的能力が増すのです。

次に、もうひとつジャガイモを取って、

  「同じことだ」

と思ったら、もうだめです。つまらなくなります。同じことではないのです。

 
次のジャガイモは、まるっきり別な、前のジャガイモとはまったく違うものなのですよ。

もしも2番目のジャガイモにも、同じように新鮮な気持ちで、

すごく興味をもって、ていねいにむいてみると、

いろいろな発見が出てくるのですよ。

 

次から次へと発見する。その過程でもって、

智慧が開発されるのです。


わざわざ、なにかを発見しようとする必要はないのです。
そういうことで、この実践というのは、

眠っていたこころがかなり冴えてきて、
活発になってきて、なんでも興味深く感じるようになって、
おもしろくなってくる、という結果になるのです。

画像


どんどん興味というものが現れてくること、

それこそ人間にとっては幸せなのですよ。

興味が絶えないということが、幸せなのです。



幸せというものは、そういうものです。

別に、ほかのなにかがあるわけではないのです。


「つまらない」と思ったら、苦しいのですよ。


  「おもしろい」という興味が出てきたら、楽しいのです。




どんなものでも、重労働でも、「ああおもしろい」と感じられるならば、

そこに幸福感が生まれてくる。

  「ああつまらない、やりたくない」という気持ちでやると、そこにすごい不幸感が生まれてくる。


だから、幸福か不幸かということは、簡単に決められます。

あなたに日々起こるできごとについて、興味があるかないか、

ただそれだけです。



たとえホームレスになって、ゴミ捨て場で生活していても、
その本人にその場所が興味の山になったならば、おもしろいことがいっぱいあるならば、
その人はぜんぜん、不幸など感じません。


 実際に生活しているのは、健康にもよくないゴミの山の側かもしれません。
ものすごく、ひどい匂いがするところかもしれません。

 でも、匂いがしても、

「まったく同じ匂いではないのだ。いろいろな匂いがある。
まあ、この匂い、あの匂い」と、そうやって観察すると、

そこにその本人にはすごい興味が湧いてくるのです。
それで、その人は幸せを感じるのです。

 つねに興味のある生き方は、幸せな生き方です。

幸せというのは、生きるものすべてに実現可能なものでなければ意味がないのです。


「ライバルのいない世界」
ブッダの実践方法 A・スマナサーラ長老著書<P83〜92>


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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
 ブログ本文記事の「ライバルのいない世界 ブッダの実践方法」(国書刊行会)では59頁以下で、ヴィパッサナーについての記述があり、ヴィパッサナーの3条件に沿ってスマナサーラ長老は説法されています。

 3つの条件というのは、@スローモーション、A生放送で実況中継、B感じること、です(同書79頁)。

 今日のブログ本文記事は、Bについてスマナサーラ長老が述べておられることです。

 昨日、私は、パターン化には注意する必要があると述べました。
 しかし、譬えですが、詰将棋において駒の動きなどのルールを覚え、そのとおりにしないと王様を詰ますことはできないように、このヴィパッサナー3条件は、そのとおりにしないと悟ることはできないと思います。

 ですから、あえて言えば、「制約の中の自由」だと思います。

 例えば、どういうふうに自由なのかというと、私の体験で言えば、痛みを感じたときに、集中力が出ている時には、その痛みを感じた瞬間の次の瞬間の痛みを「感じる」ことができるように観察してみたりします。

 できるだけ、時間的間隔を狭めていって、(譬えですが)極限的に短い次の瞬間の痛みを感じるように努力してみたりします。

 ヴィパッサナーにおいては、こういう自由な工夫というものが随所にできると思います。

 そこに、パターン化、マニュアル化しない智慧の開発、集中力の養成というものもあるように思います。

 スマナサーラ長老が瞑想のマニュアル化、システム化を戒めたものとしては、「罪と罰の法則」(協会発行)79頁以下があります。

 なお、瞑想指導をしているわけではありません。あくまで一般論として瞑想の『システム化』を批判する趣旨です。
ヴィーナス
2011/02/06 06:55
私の体験からですが
感覚の差を発見するのは、
真摯な心構えであり、集中力であるように思います。

新しい発見は正しく自己開発ですね。
生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2011/02/06 07:25
観察を趣味にするのが一番良さそうですね^^

人のあら捜しでなくって自己観察。
自分の目の前の「今ここ」の事象観察。
その時の自己のこころの観察

暇さえあればそればかりやっている・・・
うん、これは良い^^

ありがとうございます

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2011/02/06 07:37
瞑想中、サティが、なんていうか、自動モードみたいな感じになって、自分でもビックリするほど高速化になることがあります。ビックリして、瞑想中断してしまうんですが(笑)。

ぱんさん、今日は少しマシですか?暖かくして下さいね。
かずみ
2011/02/06 08:03
おはようございます。

ジャガイモの皮むきは、長老の御家芸というのか、よく出されますね。

痛みに集中して「ある発見」をしたところ、翌日の瞑想会で、その内容を指摘され驚いたことがあります。ちゃんとやれば、それに応じた結果が現れるということのようです。

何もない。ということがあるならば、瞑想の基本に戻ってみるのがいいのかもしれません。

ただ、これは瞑想指導ではなく、あくまでも参考意見です。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/02/06 08:13
かずみさん

今日は少しマシです。

お医者さんと薬局の方々にいただいた薬を飲み、
土曜日は病気を治すために静かにしていました。
今日も、そうします。

心配してくださりありがとうございました。
ぱん
2011/02/06 08:21
ライバルのいない世界の引用ありがとうございます。
最近、サンガからサンガ選書から長老の自立に関する本が出ました。一見するとニートやひきこもりの人が読むもので自分には関係ないと思う方も結構いるかもしれませんが、そうではありません。いわゆる【刺激依存性からの自立】について書いてあります。
やめられない、悪習慣がある人にはぴったりの本です。
この本を読めば、興味を持つ対象を間違えると大変なことになるということが良く分かると思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/02/06 09:21
(続き1) 
 
 昨日、詰将棋で、正解手順、変化手順の他、駒をなくしたときに生ずる余詰の手順まで、私は読むという話を書きました。

 しかし、なかなか詰まないことがあります。そういうときは、盲点に入っている可能性があるので、時間を置いてから解きます。正解手順に辿り着くのに何日もかかったということもあります。
 
 世界的な数学者の岡潔という方は、確か伊藤宗看の「将棋無双」(別名「詰むや詰まざるや」)だったと思いますが、一題解くのに2週間かけたという話もあったと思います。

 それで、正解手順、変化手順は、答えがありますから、出題者に間違いがない限り、必ず解くことができます。

 しかし、駒をなくした場合に生ずる余詰は、ほとんどの場合解くことができますが、解けないこともあります。

 なぜ、解けないかというと、―それは私の能力不足の可能性もありますが、そうでないとすると―、違う目的があるからです。

 例えば、私の経験上は、その駒を置いてあると、そちらに別の詰み手順があるように見えたりすることがあります。つまり、偽装工作です。

 それから、私は、余詰だけではなく、例えば、どうしてこの駒は「角」であって、「銀」ではいけないんだろう?、ということを疑問に思い、「角」を「銀」に置きかえて、読んでみたりします(「角」も「銀」も真後ろには下がることはできない点では共通しています)。
 
 すると、問題を作成したプロ棋士は、ここに「角」の働きを効かせたかったのだな、ということが分ったりします。

 色々自由に工夫することで、パターン化、システム化せず、智慧が育つように思います。

 なお、以上は文字通りの意味もありますが、本意は、譬え(あるいは、なぞなぞ)です。 
ヴィーナス
2011/02/06 09:32
ヴィーナスさん

詳しい話は忘れましたが、米長さんは、羽生さんに、今日ヴィーナスさんの話に出てくる『詰むや詰まざるや』を、参考書に勉強してゆくことが、プロ棋士になる上で重要なのだと、若き日の羽生さんに教えたそうです。どんな本なのか、詰め将棋などやったことがない私にはわかりませんが、その本に向き合う中で、プロ棋士の主要タイトルを全部取るような偉業を達成する実力がついたのでしょうか。

私は小学生の頃はよく将棋をしましたが、本を読んで勉強はしませんでした。実戦のみです。そこが小学生の私の限界でした。私も、先生とか、『詰むや詰まざるや』に取り組んでいたら、もっと伸びていたのでしょう。将棋は大学時代に、後輩に負かされて以来、対局した覚えはありません。

そして、最近書きましたが、米長VS中原を2007年に見たのです。米長さんは現役引退しているはずですから、真剣勝負という感じではなかったんですが、ネットを通しての対局でした。米長さんは将棋会館にいて、中原さんは自宅かどこかでネットを使って対局するというものでした。その日、米長さんは和服というんでしょうか、紋付羽織を着ていて正装でした。何か、私に対して「スーツ着て来い」というようなことを、名指しではありませんが、言われたような気もします。

なお、米長VS中原は、中原さんが勝ったと思います。米長さんは、話とか説明とかしていて、それで制限時間が削られていったと思います。一方、中原さんは、人前にも姿を見せず、将棋盤のみに集中していたのでしょう。制限時間も米長さんよりも残していました。私はこの対局は、二人の棋風がよく現れていたのではないか。現役時代も、米長さんは将棋以外のことに時間をとられていて、中原さんは将棋に集中していた。それが将棋の結果としては、中原さんのほうが結果を残していることの原因ではないかなど、考えました。
ぱん
2011/02/06 12:31
慈悲と智慧さん。

本の紹介有難うございます。

著書名は何というのでしょうか?

自宅近くの書店のコピュータは、新刊本を著者名で検索しても出てきませんが、著書名だと出てきます。

もし、ご存知でしたら教えて頂くと助かります。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/02/06 13:10
 ぱんさん。

 米長棋士が解くことを勧めている「将棋無双(詰むや詰まざるや)」及び「将棋図巧」には、何百手詰なんていうのが続々と出てきて、611手詰の長編も入っており、将棋無双に至っては、詰まないものもあるというとんでもない作品で、相当に将棋の才能がないと取り組めないと思います。

 また、才能だけでは無理で、別の詰将棋で鍛えてから出ないと取り組めないと思います。
 
 解答を見てしまうならば別ですが、米長棋士は解答を一切見ないで解かれたわけですから。

 米長棋士の凄かったところは、将棋の超一流になる勉強法を言語化して、一般に公開されたことだと思います。それは今なお、米長棋士だけではないかと私は思います。
 
 それは2つ。
 その一つは、江戸時代の伊藤宗看・看寿兄弟の「将棋無双(「詰むや詰まざるや」)」と「将棋図巧」を、解答を決して見ないで自力で解くこと。
 もう一つは、新聞の将棋欄を観てその局面で次の一手を自力で考える。
 その次の一手についても、私が米長棋士の本を読んだ限りでは、次の日の新聞で、プロが指している手と一致しているかどうかが大切なのではなく、あくまで自力で手を読み切るということが大切であるという趣旨だと思います。

 東大法学部に入るような勉強法は、アマ初段になる勉強法と喝破しておられます。
 「現代日本のエリートコースの代表というと、依然として東大法学部を卒業して大蔵省か日銀ということになっていますが、この勉強の仕方というのは、実は、まさにアマ初段を目指す勉強法とそっくりなのです。
 プロの手筋を覚え、定跡を覚え、それを活用する。既存の知識を暗記するのがいかに上手いか、それだけで人生が決まっていくわけです。」(「碁敵が泣いて口惜しがる本」祥伝社80頁)
ヴィーナス
2011/02/06 13:31
 直前のコメントの続きですが、私は、米長棋士の仰るとおりだと思っています。
 今、プロ棋士にも簡単な詰将棋を沢山解いてパターンを覚えるということを勧めておられる方もいらっしゃいます。
 それは、まさに受験勉強の弊害で、アマ初段、東大法学部を目指すような勉強法だと思います(実際そのことが分って勧めておられるプロもおられるように思います)。
 
 しかし、米長棋士の述べること(「尋」)を文字どおりに受け取って、一般の人が、「将棋無双」(「詰むや詰まざるや」)なんかにいきなり挑戦したら、牙が折れてしまうと思います。

 なので、自分の力を最大限発揮して自力で解ける詰将棋を買って、答えを見ないで解くということを勧めています。それが「伺」で米長棋士の述べることを把握していることになると思います。

 特に、妄想をせず、智慧を開発するということを目的に
するならば、パターン化、システム化は避けるべきだと思います。

 そうでないと、スマナサーラ長老がhttp://www.j-theravada.net/dhamma/oriori8.htmlで将棋を智慧のきいたこととして紹介しておられる趣旨にも合致しないと思います。 
 
 なお、ここでいう米長棋士の譬え(なぞなぞ)は、@大山・升田時代→A中原・米長時代→B谷川時代→C羽生時代における「米長」の意味とは違います。
ヴィーナス
2011/02/06 13:45
ヴィーナスさん

米長さんがいかにレベルが高いことを仰っているのか、詰め将棋をなさるヴィーナスさんのおかげで見えました。最近、「凡事徹底」という言葉が気に入っていまして、凡人は凡事不徹底であり、非凡な人は凡事徹底だと思っているのですが、詰め将棋というものも、そこら辺で売っている詰め将棋すら、私は真面目に取り組んだことはありません。米長さんのような高みを目指しているような人は、そこらで売っている詰め将棋を卒業して、江戸時代に作られたような古典的な詰め将棋にまで挑戦する。私も、詰め将棋は数回は解いたことありますが、米長さんほど徹底的に詰め将棋の世界に深入りできなかったことが、私が平凡なところで終わってしまった理由であるような気がしました。

さて、仏道修行については、私は平凡なところで終わってはいけないと思います。そのためには、実況中継を徹底的に行わなければならないと思います。先月と今月のパティパダーで、アチャン・チャーさんが、空っぽ経典の長老という連載をなさっています。昨日、今月号のアチャンチャーの連載を読み、やはり、有名な坊さんは、ヴィパッサナー瞑想をしっかりと実行してきたんだろうなと、思いました。

詰め将棋でもヴィパッサナー瞑想でも、大志がないと、なかなか取り組み続けることは難しいと思います。瞑想でも、まだまだ低レベルですが、とにかく、空っぽ経典の長老とお釈迦様に言われて、奮起した初期仏教の時代のお坊さんのように、私もいつか、本気で実況中継に朝から晩まで七日間取り組む時が来るんだろうなと思います。

今日の法話は、ジャガイモをむくことの実況中継について説明されていますが、とにかく地道に、日常生活の中で、実況中継に取り組んでゆきたいと思います。
ぱん
2011/02/06 17:10
ぱんさんの心がけ、特に「実況中継」という点を重視されてるのを見習いたいと思いました。

そういえば、ふと思い出したのですが、昨年ワンギーサさんが帰国されました。

その直後、ゴータミーの事務局で、スリランカの話しを伺ったり、瞑想や仏教談義をしたのを覚えてます。

瞑想の話になって、私が「やはり実況中継が大切ですね」というと、ワンギーサさんが「うーん、そうとも言えないんじゃ」というようなことをおっしゃっられるので、「いや、やはり実況中継ですよ」と話してきました。

まあ、人生色々です。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/02/06 20:14
(続き2) 米長棋士は、仏教道徳的に観てどうかなと思うこともありますが(当然預流果以上の賢者ではありません)、とても鋭い知恵、洞察力も持っておられると思います。その知恵・洞察力が伺える仏教についての話を引用します。
 ちなみに、対談相手は、歴史上最強の棋士と評価する人も多い羽生善治です。

 なお、ワンギーサさま個人を批判する趣旨ではなく、一般論として、出家・在家を問わず、賢者以外のアマチュア初段で特に瞑想指導をしている人を批判しています。 
 
(引用開始)

米長 …仏教において何が最善かと言ったら、それはお釈迦さまの教えでしょう。僕にはわからないことも多いけれど、その言葉や行動がたぶん真理なんでしょう。

 しかし、途中に位置している者は、大したことはないんです。トップまではいっていない。

 将棋で言えば、初心者である自分がいて、定跡も何もわからないから、アマチュア初段に教わっているという状況なんだけれど……。

 普通ならそのことに気がつきそうなものなんです。

 ところが、アマチュア初段が神様のふりをしていて、しかも初心者がこれを絶対だと思ってしまう。

 うんと下から見ればアマチュア初段も名人も同じように仰ぎ見る存在で、初心者には区別がつかないんだろうけど、上から見れば一目瞭然、その差は歴然です。

 やはり、頂上を見極めようという強い思いがないと、その程度のものに全財産あるいは自分の全人格、全生涯を賭ける、捨てる、そんな馬鹿なことをしてしまうわけです。

羽生名人 たしかに、同じアマチュア初段の人から見れば、ちょっとインチキくさいなというのはわかるけど、初心者にはそれがすごく高いように見えますからね。
(続く)
ヴィーナス
2011/02/06 20:34
(続き3)
 
米長 うん、高いように見える。高いように見えるんだけど、しかし所詮そこまでだと見切らないといけない。

 今、子どもたちは暮らしの大半を学校の勉強と塾に通って過ごしています。
 そうすると人格形成が行われるときに、塾の先生と学校の先生から入る知識がほとんどです。
 それで出来上がっていくわけだ、人間が。それが決定的に問題です。必ず弊害が出るわけです。…中略…

 本当の本物というのは全然違うところにあるんだ、とわかっていればいい。自分があまりにも弱いから、せいぜい初段くらいの人に教わるために塾に通っているというだけのことです。…中略…

羽生名人 …今の時代は、生きていくことに関する最低限の保障はされているけれど、どんな分野でも仲介業者が無数に存在するようになりました。
 
 真理というか、頂上の見えにくい時代だと思います。
 
 子どもたちは小さいときから、ずっと仲介業者に振り回されるような生活を強いられているんではないでしょうか。…中略…

米長 だから、意識して頂上を見なければいけません。…中略…
 今、学校の教育でいちばん欠けていることは何かといったら、トップを目指すということではないかと思うんです。つまり、将棋なら名人です。…中略…

 それは将棋だとわかりやすい。アマチュア初段と羽生名人とどっちが強いのか、そんな馬鹿なことを言う人はいない。自分はアマチュア三段の先生に教わっている。自分の先生より羽生先生のほうがうんと強い、これは誰でもわかっているはずです。

 だから将棋の世界はきちんとなっている。
(続く)
ヴィーナス
2011/02/06 20:49
わたしの自分自身の戒律は、一日一コメントです。

ですから大変貴重な、コメントなので、結構考えてしまいます。

今まではそのつど、「そのままの思い」を伝えることに従事してきましたが、これからは自分のルールにのとってコメントです。

いったん外に出れば、交通ルールというものがあります

ですから案外楽に、あまり他なおことを気にすることなく、ルールを守って、いれば、必ず、ルールに守られる自分(心安穏とし、わたしはルールを守っているんだと、)そういった気持で、いられます。

このブログには、ルールがない、では自分で戒めを作るしかない、わたしの場合の戒めは、一日一コメントです
いっぱい思うままに書くこともできず、またコメントを休むこともできません。けれど、今は、一日一コメント、楽しみにしてこうしてか書かせていただいてます。

慈悲と智慧さん、紹介の御本は、気づきは、一回限り、ですね。二度とないということですね。気づいていなかったからこそ、本を読んで気づきました、理屈では確かにすべて一回限り、二度と同じ気づきはないんですが、それが解れば生きていても楽しいでしょうね。お経で真摯な気持ちになり、自然と背筋が伸び、慈悲の冥想で、落ち着き、いよいよヴィパッサナ―冥想ですが、すでにこのぐらいになると怠けたくて仕方なくなります。訓練訓練。毎日続けるぞーっと。母親の見舞いイチゴ「おいしいと」言っていただけました。生命のネットワークの実践ですね。
才木広之
2011/02/06 20:51
(続き4)

 ところが、一般社会はそうではないんですね。特に宗教の世界は全然駄目なわけです。

 町道場クラスの人が、自分がいちばん偉いという顔をしている。
 町道場の人が何をやっているかと言えば、羽生名人の書いた本を読んで教えているだけでしょう。
 
 つまり、お釈迦さまの本、お経を持ってきて朗読してるだけです。読み方が上手か下手か、それだけなんだ、本当は。

羽生名人 それがわかっていない人たちが幻想の世界にのめり込んでしまう。

(引用終わり。「人生惚れてこそ」クレスト社29頁以下)
ヴィーナス
2011/02/06 20:55
才木さん。

楽しんで(あくまで仏教的に)修業してこれからも精進なさってくださいね。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2011/02/07 00:06
新さん

「実況中継」の大切さは、最近、ワンギーサさんからメールで瞑想指導を受けるようになって教わったものです。
ぱん
2011/02/07 03:28
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