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zoom RSS ★不安がどれほど心を傷つけているか

<<   作成日時 : 2011/04/11 21:54   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 1

同じように、私たちの身体もまたまったく頼りにならないのです。
いくら運動をして食べ物に気をつけて規則正しい生活をしていても、
いつ死んでしまうのか自分でも分からないでしょう。

ある日突然自分自身の細胞が自分に逆らってくることさえあるのです。

たいていの人のDNAのなかには、ガンになるようなプログラムのミスが
あると聞きました。
自分の細胞のなかにそういう欠陥があるならば、
もうどこにも逃げることはできません。

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自分自身の身体さえ頼れないのですから、
人間はその一生を何かに頼るという生き方だけはしては
ならないのです。
何にも頼ってはいけません。

頼れば頼るほど失望の繰り返しとなり、
最後は挫折感に見舞われる羽目になるのです。

そういう何かに頼ったりせず、何にも頼らない強い心をつくることが
仏教でいう解脱なのです。


しかし残念ながら、人間の心は弱虫です。
すごく弱い。
いつでも大変なのです。

人はその不安から何とか抜け出したくて、ものに頼ろうとします。

そして懸命にいろいろなものを集める。
でもいくら集めても、結局「私のもの」では
ないことに皆さん気が付かないのです。


おかしいと言えばおかしいことですが、結局「私のもの」ではありません。
この世には本当に自分の自由になるものなどありません。


 ものだけではなく、人は生きることさえ自分の自由にできません。
皆さんご大層に私が、私がなどと言っていますが、
ほんとうに好きなように自由に生きている人がいるでしょうか。

誰ひとり自由に生きている人などいません。


いつの間にか誰かが決めた生き方に従っているだけです。
決められた時間に寝て、決められた時間に起きて、
決められたときに決められたように食べているだけでしょう。

それを偉そうに自由だ、幸福だなどと言っていますが、
いったいどこがそんなに自由でしょうか。
ほんとうに自由であるならば、食べることくらいは自分の好きなように
食べればいいのに、食べる時間も食べ方もぜんぶ決められている
やり方に従っています。


結局は不安なのです。
決められた方法で食べないと、
叱られたり、変な目でじろじろ見られたりするのではないかと
心配して、びくびくしながら生きているのです。

自分のアパートがあって、これは私の部屋だ、私の城だから
私の自由だといっても、少し大きな音で音楽でも聴いたら
すぐに隣りの人が文句を言ってきます。

大家さんに、出て行けと言われてしまいます。
私のものだ、私の自由だといっても結局その程度です。


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では自分の考えや知識は「私のもの」だから自由だろうと反論する人が
いるかも知れません。

しかしそうでしょうか?
何でもかんでも自由に考えて発言していくと、また誰かに批判
されたり攻撃されたりします。
発言内容によっては社会から追い出されて
どこかに逃げなければならなくなってしまいます。


また自分の知識は「私のもの」だと思っていても、
その知識は毎日減っているのです。
毎日毎日知識を積み重ねていっていることが事実であるならば、
皆さんは途轍もない偉い知識人になっているはずなのに、
ぜんぜんそんな人間はいない。



結局人間はどんなに勉強したところで大同小異、
たいして変わるものではありません。



なぜかと言えば、いろいろ勉強をして頭に詰め込んでも、同時に知識は
どんどん消えていっているのです。

だからもし毎日勉強することをやめたら、
どんどん知識がなくなってしまって、何も知らないバカになってしまう。


それを防ぐことはできません。
人間の頭は知識がどんどん抜けていってしまうように
できているのです。


その中で私たちは「私」という概念をつくって、
「私がここにいる」「この私を守るためにはいろいろなものが必要だ」
といって、必死で苦労してがんばっている。

でもそうやって一生懸命にがんばっても、いろいろ苦労するだけで
結局何ということもなく死んでしまうのです。

これは非常に残酷な事実で、私たちにとって気分のいい話ではないのですが、
元来ほんとうの話というのはおもしろくないものなのです。


気分が良くなるおもしろいお話は、
たいていは嘘のお話とおもって間違いありません。



お釈迦様は、頭を洗って世界を新しい目で見てください。

ありのままを見て下さい、頼ることができないものに
頼ってはいけません。


執着してはいけませんと仰言っているのです。

ものがたとえ頼りになったとしても、
それは束の間のことです。




水を飲むときに紙コップが役に立つからといって、
紙コップをカバンに入れて持ち歩く人はいません。

もしもそういう役に立つものをすべて持ち歩いていたら、
ゴミだらけのなかで生活しなければならなくなります。

また電車でいろいろな所に行けるから電車は頼りになるといっても、
電車に住むわけにはいかないし、
どこかへ行くときにちょっと頼りになるだけです。



ちょっと役に立てばそれで終わりです。
すべての《もの》はそれだけの価値にしか過ぎません。


ですからものに頼ることをやめて、ものから離れることを学ばなくてはいけません。


<P59〜P64>「自分につよくなる」A・スマナサーラ長老著書より

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
生きとし生けるものが安穏で幸せでありますように。
慈悲と智慧
URL
2011/04/12 19:02
★不安がどれほど心を傷つけているか 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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