幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ○刺激こそが生きがい

<<   作成日時 : 2011/05/12 06:41   >>

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心は刺激によって回転するので、良い刺激には良い反応、
悪い刺激には悪い反応が起こります。
幸福な人は快楽に、不幸な人は苦しみに執着します。なかなかやめられません。

不幸な人に説教しても直らないのは、
その人が、依存している刺激から離れたくないからです。

まわりの人が、いくら「怠けないでがんばれ」と言ったとしても、
本人は怠ける刺激をやめたくはありません。

たとえば、麻薬中毒、アルコール依存症、ゲーム依存症などの場合、
そこから抜け出すのは容易なことではありません。


コンピュータゲーム、特にネットワークゲームは、
いろいろな人を対戦相手にできるので、日常生活も送れなくなるほど
のめりこんでしまう人もいるのです。

しかし、彼らはゲームから受ける刺激に依存しきっているので、
理性的に諭しても、なかなか効果がありません。





心は刺激ならなんでも良いので、手の届く刺激を受けようとします。
ちょっと手を伸ばして、遠いところにある刺激を受けようとはしません。

すぐ手に入りやすい刺激をとるので、良い人生を送れるのか悪い人生を歩むのか、
良い人間になるのか悪い人間になるのかは、わかりません。

その時の環境、その時の条件次第です。
西洋の哲学にも、環境によって悪人になったり、良い人になったり、
天才になったりするという説があります。
あまり根拠の強い話ではありませんが、データ的には間違ってはいません。

たとえば天才的な能力のある子供でも、その能力が発揮できるかどうかは親次第です。

刺激が激しいと我々は生きている実感を覚えます。


先のことよりも、とにかく、目先の刺激が大切なのです。

我々の人生は暴走するジェットコースターのようなものです。

もう刺激だけ。

先はどうなるかわかったものではありません。


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○世間の学問も刺激を求めた結果
人間は、刺激に執着するので、真理が見えません。

お釈迦様はこれを、無知、愚か者、愚者、凡夫などいろいろな言葉で説明します。

アナリヤというのもその一つです。

アナリヤとは「聖者ではない」という意味です。
「学ばない人」ということです。

逆に、アリヤとは「聖者」、「学んでいる人」のことです。


一般の人間は、たとえ大学の教授であろうとも、仏教から見れば「学ばない人」です。

ただ単に刺激を追っているだけ、
たまたま、その人にとって、その研究分野が
刺激を十分与えるからです。

昆虫を見ると楽しくてたまらない人は昆虫学者になります。
逆に、昆虫を見ると気持ちが悪くなる人は昆虫学者にはなりません。


世の中には、カラスの生態にとても詳しいちょっと変わった専門家もいます。
彼もまた、自分が興味をもったものに刺激を受けているのです。

刺激が学問的ならば学者ですみますが、その刺激が、アルコールや麻薬、
賭け事などの場合は、穏やかではありません。


「自立への道」<P161〜P163>
A・スマナサーラ長老著書

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