幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★関わりが苦しみ

<<   作成日時 : 2011/05/23 06:30   >>

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ブッダの言葉
関わりから愛着が生まれる。愛着から苦しみが生まれる。

関わりの短所を見る聖者は犀の角のごとく孤独で歩む。
       「スッタニパータ」36


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これは誰にでもできることではないと、誇らかに、高らかに謳っています。

明確に一人でいます。

なぜかというと、関わりというのは、それによって、ありとあらゆる問題が起きるからです。

関わりからは、幸福は生まれません。
ですから、何にも関わりを持たず、依存は持ちません。

もう完全に「独立」です。




★いつでも、「もっと欲しい」

次に紹介する原文は、とても感動的です。
心、身体が震えるほどの詩です。

 しかし残念なことに、私の能力で日本語に訳した途端、意味が全部死んでしまいます。


我々にとっては、何回読んでも同じ感動、インパクトが心に残ります。

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ブッダの言葉

お世話しきれない出家さえもいる。
また、在家もそうである。

他人のことに興味を持つことをやめて、聖者は犀の角のごとく孤独で歩む

                   「スッタニパータ」43


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いくら丁重にいろいろと面倒をみてあげても、まだ何か文句を言う、
他人のことに興味を持つというのは、

あの人と仲良くしたい、あの人と話をしたい、そういった話です。


あっ、あの人カッコいいから、携帯電話の番号を知りたい、というのは、
他人のことに興味を持つということです。

だらしない、情けない、寂しがり屋の依存型ということです。
どんな生命に対しても別に興味はないという心境に至ると、
ものすごく自由を感じるのです。


在家はもちろん、出家した人でさえも欲が満たされず、要求ばかりである。
たとえば、バラモン人にいくらお布施しても足りない。

お釈迦様のように、鉢に1食分のお布施を頂いたら、もう結構です。
ということはありませんでした。

その当時は、仏教だけでなく、いろいろな人が出家していました。

しかし、この連中は出家しているにもかかわらず、
限りない欲を捨てていません。

出家でさえそうなのですから、在家はもう言うまでもないでしょう。

旦那さんが奥さんを喜ばせよう、親が子供を喜ばせようと、いくらがんばってみても、
文句を言われてしまいます。

それならば、心を独立させなさい。

そちらに幸福があります、という話です。<P230〜P232>


★それでも生命は心配

ここまでは世間から離れている孤独を謳っていますが、世間に対して何か恨みを
もって逃げているわけではありません。
聖者は生命のことを心配するのです。
画像


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ブッダの言葉


慈しみ、平等心、いたわり、共に喜ぶという気持ちを持って心を
解放している。

一切の世界となんの対立もない聖者は犀の角のごとく孤独で歩む。

                「スッタニパータ」73

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★世間の素顔

世間とはどんなものかを、お釈迦様は次のようにおっしゃっています。

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ブッダの言葉

親しくしてくれる動機は利益である。

利益を求めない朋友は稀である。

自我主義の人々は不純です。聖者は犀の角のごとく孤独で歩む。

     「スッタニパータ」75

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この一言で、世の中のことを伝えています。
みな、互いの利益のために仲良くしているだけだと、

それは果たして「仲が良い」といえるのか。

それはまた、利害関係で、戦いの泥沼で争い合っている依存症人間からの
脱出でもあります。
反社会主義を語っているわけではありません。

人間には理解できなかった、絶対的な自由の立場から語っています。
これは、依存症を完全に治した、完全たる自由を得た聖者の勝利宣言です。


聖者は生命のことを本当に心配して助けることもありますが、
社会から微塵の見返りも期待していませんし、必要としていません。


お釈迦様は生命に対して、揺らぎの無い慈悲喜捨があります。<P234〜P236>

「自立への道」A・スマナサーラ長老著書

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
あん さん
いつもありがとうございます。

平成22年12月12日
三田精舎でのスマナサーラ長老のご法話の一節

その経典は日本では人気ありますけど、私から見ればすごく誤解しやすい経典なんですね。誤解っていうのは、こういう誤解なんですね。やっぱり、独りぼっちの人間があの経典読むと、「お、よっし、分かった。俺もこのとおりにやってやるぞ」と思っちゃうんです。「俺が犀の角のように独りで生活するんだ」と。(中略)だから、「俺は独りぼっちでいいや」と調子に乗るための経典ではありません、あれが。あの経典、なに語っているのかというと、完全に心清らかにした人、一切の煩悩断った人が、自ずから独立だよと。それは、文学的に美しく謳っているんです。「どうだい」と。この、自ずから独立するということも、獲得する独立は違うんです。束縛はないんです。(中略)「できることならどうだい」という、なんとなくそんな感じの経典なんです。だから、あれは解脱者がいかに一般社会から違うのか、ということを謳ってるところで。真似する必要もないし、真似しようとする必要もさえもないんです。あれはお説教ではありません。
こやま
2011/05/23 21:11
歩く瞑想一時間したんですけど
結構キツくないですか?自分だけ?
足を痛くなってもうガタガタです。
スローモーションは筋肉使いますし。
( ̄^ ̄)ゞ
2011/05/24 00:57
こやま様

長老の解説を紹介して頂き
ありがとうございました。
大変勉強になりますね。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2011/05/24 06:23
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