幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ○ただ、それだけ

<<   作成日時 : 2011/06/30 13:26   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 4

あなたがそれをきちんと観察するとき、
私たちの世界は「ただそれだけ」のものとなります。
あるがままのものとして、世界が存在するということです。


私たちの人生は、はっきりと生老病死によって支配されています。
でも、それはただそれだけのことです。
偉大だとか卑小だとか、いろいろありますが、

でもそれもただそれだけのことです。
生死の輪は廻ります。

でも、ただそれだけです。

では、なぜ私たちはそれらにいまだに執着し、心を奪われ、
そこから脱することができないのでしょうか?

人生を謳歌することは、私たちにある種の喜びを与えてはくれます。
しかし、このような人生の喜びというものも、結局は、
ただそれだけのものなのです。




楽しいこと、おいしいもの、興奮するもの、心地よいものといったものは
何であれ、ただそれだけのものです。

それは限界づけられたものであり、
何か特に重要なものではありません。



ブッダはあらゆる現象は等しい価値を持っており、結局のところ、
そべてはただそれだけのものだと説きました。


すべての条件づけられた現象は無常であり、
輪廻にとらえられたものです。この現象は、かくのごとく存在しています。

画像


世の中には「徳を積んでも、宗教を学んでも、年をとれば皆と同じ」などと
言う者もいます。

この違いを理解するとき、私たちは解脱へのチャンスを得ます。




私たちの心と身体の要素を観察してみてください。
それらのものは条件づけられた現象であり、原因によって生じ、
それゆえ無常なものです。

この本質は、常に変わりません。

貴族であろうが、召使であろうが同じです。
年をとり、人生の終わりが近づいたとき、彼らは気取ったり、
仮面をかぶることによって、その真実をごまかすことができなくなります。

どこにも行けず、味覚や食感も衰えてきます。
年をとれば、視力は衰え、耳は遠くなり、身体も衰弱してきます。
そのとき、あなたは自分自身と向き合わなければならなくなるのです。




人間というものは、常に、この「ただそれだけ」という現実から
目を背けるための闘いの渦中にいます。

しかし、この現実から逃げ出す代償として、私たちはより多くの
苦しみを生み出し続けることになります。

善の為に闘い、悪のために闘い、小さいと言っては闘い、
大きいと言っては闘い、短い、長い、正しい、悪いと
言っては果敢にも闘いを続けるのです。



ブッダは真理を
説きましたが、私たちはといえば、縄でつながれておらず、
自分では薬を飲むこともできない水牛のようなものです。

ひとたびその水牛を縄でつないで身動きできないようにすれば、
薬を与えることもできるようになりますし、
逃げ出すこともありません。



それと同様に、私たちの多くは、煩悩を諦め、手放すためには、
苦(ドゥッカ)に完全に縛り付けられて、その苦しみに直面する必要があるのです。

もし、あなたが苦しんでいるというのなら、
いまだに煩悩を諦めきっていないということを意味します。

師によってダルマを説かれても、それが理解できる人はほんのわずかです。

しかし、人生は私たちのほとんどに、その最後がどうなるのかということを
確実に教えてくれるのです。


(中略)

ブッダは、私たちにまず見(ディッティ)を正すことを説きました。
私たちは苦しみの原因そのもの、人生の真の姿そのものを観察しなければなりません。


もし、あらゆる現象を「ただそれだけ」のものと見ることができるのなら、
私たちは真の八正道を見つけ出すことが出来るでしょう。


そして、条件づけられた現象のありのままの真の姿を理解しなければなりません。


そうして初めて、私たちはこの世界の中に平安を見出すことができるのです。


<P69〜P71>


「手放す生き方」アーチャン・チャー長老

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
 今回の記事、「それと同様に、私たちの多くは、煩悩を諦め、手放すためには、 苦(ドゥッカ)に完全に縛り付けられて、その苦しみに直面する必要があるのです。」の部分で、やっと「これはスマナサーラ長老の説法?」という疑問が沸き、説法している方のお名前を確認しました。

 すると、アチャン・チャー長老でした。

 私は、大乗仏教などを経由せず、ダイレクトにスマナサーラ長老の説かれる仏陀の教えに巡り合いました。
 今は、コメント欄で人と話す必要があって、大乗の本を読んだりしますが(しかし極力読まないようにします)、心理的には捨てます。
 
 スマナサーラ長老が阿羅漢聖者であることを示唆されているクリシュナムルティ尊者(大乗ではありません)と宮崎奕保禅師のご著書も、スマナサーラ長老がそのような示唆をされてから一部読んだのです。
 ただし、クリシュナムルティ尊者だけは、コメント欄で議論をするようになる前からかなり読んでいました。
 ヴィパッサナー冥想にダイレクトに役立つからです。

 しかし、スマナサーラ長老が阿羅漢聖者であることを示唆されている方々の中で、アチャン・チャー長老の本だけはあえて読まないようにしていました。
 なぜならば、スマナサーラ長老が説かれる仏陀の教えと非常に区別が難しいと思うからです。
 
 私は、純粋にスマナサーラ長老が説かれる仏陀の教えを守っていきたいと思います。
 こういう私ですから、微妙にスマナサーラ長老の仰る仏陀の教えと違うことを言う人がいれば、大体はすぐに分かると思います。多分申し訳ないけど、この点に関しては事務局長より上だと思います。事務局長は非常に博識だからです。
 ちなみに、私は、パーリ経典ですらスマナサーラ長老の説法から学ぶのが大原則です。パーリ辞書も持っていません。
ぶんぶん
2011/06/30 14:08
読んでみて、すんなりと心に、入ってきます。

自分の言葉を、多くのお方が見られる形にしたことに、すごく敬意を感じます

私は、スマナサーラ長老が一番の慈しみの心を感じられますが、

完全な慈しみの心が最終段階で、必要になります。

たとえ、ヴィパッサナー冥想の最終段階でと確信しています。

日本テーラワーダ仏教協会会員ではない、一人間の発言ですので、皆様お気になさらずに。
才木広之
2011/06/30 21:31
ぶんぶん様

この記事のぶんぶん様が指摘されている箇所についてですが、スマナサーラ長老はどのように仰っているのですか?
慈悲と知慧
2011/07/07 13:44
 慈悲と智慧様。
 
 例えば、預流果の悟りで言えば、
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/yybbs/read.cgi?list=tree&no=176&top=167
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/yybbs/read.cgi?list=tree&no=181&top=167
で私が述べたような隻手の音声の話がスマナサーラ長老が仰っていることになると思います。

 もし理解しがたいというところがありましたら、あんさまのブログは1日1回800字制限でこれ以上書けませんので、慈悲と智慧様のブログの例えば、アチャン・チャー長老の記事のhttp://ameblo.jp/jihitotie/entry-10939393073.htmlなどにコメントして頂ければと思います。
ぶんぶん
2011/07/07 15:35
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