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zoom RSS ◎自分が自分にたいしてひどいことをする

<<   作成日時 : 2011/07/11 07:01   >>

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敵同士、憎しみ合う同士がとろうとする態度よりも
恐ろしいことを、邪に育った心は、
自分に対して行うものだ。(42)



憎んでいる者同士が出合うと最悪の状態になります。
お互いに相手を容赦なく痛めつけ、倒そうとします。

「かわいそうだ」などと決して思いません。
心が汚れていると、自分が自分自身に対してもひどいことをします。



それは憎む敵に対してよりも、もっとひどいことをするのです。
一歩間違えば、自分自身にたいしてもこの上ない敵に変身するからです。





あさはかな愚かな者たちは、自分自身にたいして敵のように振舞う、
悪い行いをして、苦難の結果を得る。(66)






自分が自分にたいして、仇敵のように振舞うのです。
心は、あたかも原子炉のようなものです。
よく管理すれば、よいエネルギーとして活用できます。


しかし、チェルノブイリの原発事故のように原子炉から放射能が漏れ出したら、
人間は暮らすことができません。

心も爆発すれば、自分自身にたいして破壊的な被害を与えるのです。
未熟な心は、自分にたいして敵になるのです。


その敵(心)が自分にたいして、そして他人にたいしても攻撃をしかけるのです。

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たとえば私たちの世界は、至るところで争いが起きています。
戦争は起こるし、家庭では夫婦喧嘩はあるし、子どもはいろいろ問題を起します。

この世の中にあるのは、ただただ争いばかりだと言っても過言ではありません。


争いが解決されないのは、
自分自身(の心のありよう)に気がつかないで生きているからです。


自分自身に気がつかないから、争いを引き起こし、争いの渦の中に入ってしまうのです。


私たちは、普段、自分自身に気づいていると思っていても、そうではありません。
ほとんどの行為は、無意識のうちに行われています。

歩いているときには、歩いていることに気づいていないで、
なにか別のことを考えています。
食事のときもそうです。

やっていることと、考えていることが、バラバラなのです。
「わかっちゃいるけど、やめられない」と、よく言うではありませんか。
それは、「わかったつもりで、わかっていない」のです。



「分かったつもり」と「わかっている」との区別がついていないのです。
ほんとうにわかっていたら、とっくにやめているはずです。

怒ることは悪いとわかっていても、つい怒ってしまう。

怠けることはよくないとわかっていても、つい怠けてしまう。
それが人間の弱さです。

よくないとわかっていることを、瞬時にやめられるのなら問題はそれで終わります。



しかし、そうはいかないものですから、
お釈迦様は延々と説かれているわけです。
「わかっちゃいるけど、やめられない」という状態があるから、
ゆっくりゆっくり、少しずつ、丁寧に教えておられるのです。

お釈迦様が教えられたことは、「自分の心がどのように動いているのかを
よく観察する」ということです。

心というものは、見たり、聞いたり、触ったり、味わったり、
嗅いだりすることで、いろいろな変化が起こります。


しかし、そこにはある種の法則があります。

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あらゆる問題は、「今、ここの自分自身」に気がつかないために起きているのです。

だから心を浄める道とは、「今、ここの自分自身」に気づくことなのです。
<P92〜P96>


原訳「法句経」一日一話 A・スマナサーラ長老

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
スリランカに行っていました。

現地で日本語をしゃべれるシンハラ人、スリランカナショナルガイドに出会い、日本で学んでいる仏教について報告しました。

本物の、いい仏教に出会っていると、の評価を頂きました。

スリランカでも、何も出来なくて仕方ないから、僧侶になる人がいるそうです。

欲をなくすために僧侶になる人は立派な僧侶だといっていました。

私の僧侶になることを決心したのは、欲と、怒りをすっかり無くすためでした。無明を破る必要があると思います。

ますます、僧侶になる決心が大きくなったところです。

ラタナ・サーラという方も日本語が上手だと聞きました。

スマナサーラ長老にいつか尋ねてみたいものです。
才木広之
2011/07/11 15:01
瞑想がおこっているかどうかは頭が完全に静まっているかどうかでわかります…中略…
 その静まりは眠りではありません
 とほうもなく活発で だからこそ 静まっているのです
 頭は発電機のように摩擦があると騒音をだしますが
 完璧に動いているときにはほとんど音をたてず静かになります…中略…
 中心となるようなものはなにも存在していません

(「瞑想」J.クリシュナムルティ著中川吉晴訳、星雲社)

慈悲と智慧
URL
2011/07/11 20:11
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