幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆「原因」と「結果」の法則

<<   作成日時 : 2011/07/20 06:52   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 19

行為と結果は分離不可能です。
ワンセットです。(中略)
「行為をしたが結果を断る」ことはできません。


何かを行えば、必ず結果がついてきます。

石を投げれば落下するように、行為と結果は、
どんなときも対(つい)になっており、覆すことはできません。

ですから、お酒の飲みすぎで肝臓病になったのに不運だと
嘆(なげ)いたり、やるべき仕事を怠りながら上司のグチばかり
いっていたせいで左遷されたことを恨んだりするには、筋違い
というものです。


自分が行ったことは絶対に自分に返ってくるので、悪いことを
やりたい放題の人が幸運を求めても、かなわないと決まって
いるのです。


行為の結果は「業」となり、物質ではなく人の心におよびます。

画像



たとえば、花を摘(つ)むことはいい行為でも悪い行為でも
ありませんが、花を植えた人が不快に感じれば「悪業」となります。

そして、この悪業がつらさや苦しみとなって自分に返ってくるのです。

逆に、自分に喜びや幸せが帰ってくる業もあります。


公園のベンチに座るために積もった落ち葉を払ったとしましょう。

その行為自体は、たいへんに自分に向けたものですが、
次に来た人が気持ちよく座れば、落ち葉を払った行為は
「善業(ぜんごう)」となり、喜ばしい形であなたに返ります。


悪業も善業も必ず自分に返る。

この真理を「自業自得」というのいです。





「こころを清らかにする言葉」
アルボイムッレ・スマナサーラ長老著書

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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
>>たとえば、花を摘(つ)むことはいい行為でも悪い行為でも
ありませんが、花を植えた人が不快に感じれば「悪業」となります。

この部分ですが、
花を植えた人=花を摘む人、ですか?そうでなければこの文章はちょっと矛盾していると思います。
とうま
2011/07/20 15:21
 ぱんさんのブログコメント欄に菩薩についての私見を書いています。
 http://alcedo-atthis.at.webry.info/201105/article_2.htmlの2011/07/19 12:52以降のコメントです。

 今後、続きも書く予定ですが、少しだけ要約して、紹介しますと、お釈迦様はメッテッヤ仏(弥勒仏)が正覚仏陀として現れるはずとパーリ経典の転輪王経において説いておられ、他に将来正覚仏陀として現れる人は説いておられないから、菩薩は、現在、全生命の中で、ただお一人しか存在しないということを書いています。
 
 なぜならば、菩薩は正覚仏陀になられるからこそ菩薩だからです。

 大乗仏教では菩薩行に励んでいる多数の人々を菩薩としていると思いますが、それは菩薩受験生のようなものだと思います。

 大乗仏教は、ただ御一人の菩薩と多数の菩薩受験生を同列に取り扱い、菩薩のインフレ化(インフレになると貨幣価値が下がります)を引き起こし、菩薩の価値を著しく低くし、菩薩を誹謗・侮辱していると思います。

 権力ある人が、悟っていない人を、自己の独断で(つまり、スマナサーラ長老に事前に相談して、許可を得ることなく)、瞑想指導者に立てて、伝道活動を優先するというのは、大乗仏教の発想のように思います。
 
 悟られた賢者を上に置くことなく、悟りの受験者(せいぜい見習い)が瞑想指導をすることになるからです

 (しかし、悟りの受験者が瞑想指導することを禁止するという意味ではありません。それは自由です。が、自由の範囲内でどういう行動を起こすのが善行為かという問題です。善か悪かの選択の自由があるところで善を選ぶのが善行為なのであって、自由がないところでは善が失われると思います。)
ぶんぶん
2011/07/20 19:51
とうま様
このように解釈しております。

田んぼにレンゲ草がたくさん咲いていました。
子供たちが喜んでレンゲ草をあつめて
遊びはじめて、持ち帰りました。
それを見ていた田んぼの所有者は
子供たちに役立ったので
とても嬉しい気分になりました。

この場合は何も問題は起こらないですね。

しかし、所有者が「勝手に遊んで
持って帰ってけしからん」と
怒りをもった場合は
子供たちは、悪い行為をした事になります。
後で、親が謝りに行くことになったりします。
この場合は、悪い行為になり
悪業をつんだことになると思います。

ですから
花を植えた人=花を摘む人
ではないと解釈しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぶんぶん様
スマナサーラ長老の冥想指導は
長時間に及び真摯な気迫あふれる
ものでした。
私のようなものが言う内容ではありませんが
悟りに達していないとあのような
細やかな慈愛に満ちた
指導は出来ないと確信致しました。

結果がどうでるかで
その行為が善か悪になるか
わかるのではないでしょうか。
先日ご紹介のHPは見ました。
感想はノーコメントにして
おきます。

生きとしいけるものが幸せでありますように
あん
2011/07/20 20:22
自分を育ててくれた人

その後、その自分が
育てていただいたと同じように
子供を作り、面倒を見る人。

それぞれに、その環境は異なるであろうが、何者にも依存しない生き方こそが、生きとし生けるものとしての生き方に、なるのである。

心が主であるのならば、その心さえ、直せば善いのである。

完全たる自立した方の行為は、相手にとっては善行為でも、悪行為でもないのである。なぜなら完全に自立しているからである。

育てていただいたこの私を、誰かが利用するならば、その使いようによっては、その方は善行為を行うことも出来るし、悪行為を行うことも出来るのである。
才木広之
2011/07/20 20:32
とうま様、このように解釈しました。

ずっと悪さばかりして、さんざん人に迷惑をかけた人物が、ある日何気に花を摘みました。

花を摘むことそれ自体は、別段大したことではなかったかもしれませんが、過去に犯した数々の悪行為により、花を植えた人に文句を言われるハメになりました。自分の犯した悪行為が、このような形で自分に返ってきたのでした。

とうま様の指摘は、行為の善し悪しは他人の気分だけで定まってしまうのか?ということだと解釈しております。

みんた
2011/07/20 22:48
 あんさま。あんさまが私のブログをどこまで読まれていたか分らないので、既に閉鎖した前の前のブログから一部引用します。

(引用開始)

 私は、現代版「拈華微笑」の事案において、上の階でスマナサーラ長老の強い心の波動を感じたということを書きました。

 別のところで書いたことを敷衍しながら説明しますと、私は一般の方の心の波動はまず感じません。また、一般の人が何を考えているかもわかりません。

 しかし、大賢者(大物)が心の波動を力を込めて発せられた場合には分かります。例えば、スマナサーラ長老が教室に入る前に、スマナサーラ長老を眼や耳で確認することなく、心の波動で、来られたことが分かったということを多数回経験しています。
 
 ですが、分からない場合もあるのです。それは、スマナサーラ長老が特に心の波動に、力を込めてくださったときだけに分かるという証拠になると思います。

 なぜそういうことをされるのかというと、それは私が通力を持っているなどと勘違いしないようにというご配慮と、高慢にならないようにというご配慮と、しかれども、ブッダの教えには以心伝心という奥義があるということを教える必要があるというご配慮だと思います。
 
 それから、一般の方の心の波動はまず感じないのですが、一般の人が例えば電車の横で座わり、あまりにも欲深い心の波動を発している場合には分かることもあります。
 また、冥想会などにおいて接近して近くに座った人が、苦しみに耐えながら坐禅をしていたりすると、それが心の波動で分かったということもあります。…中略…
 ですが、これも大賢者が心の波動で教えて下さった可能性も大きいです。

 大賢者の場合、遠く離れたところにおられても強い心の波動を感じることもあります。…以下略

(引用終わり)
ぶんぶん
2011/07/21 08:31
ぶんぶん様の体験に近いようなこと
あります。
先日もダンマディスカッションで同じような
ことを話しました。
ちょっと笑われましたが・・・

私は普通の人の波動は感じる人もあれば
何も感じない人もあります。
困っておられる人には何か
してあげたい気持ちになります。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2011/07/21 17:00
 あんさま。前の前のブログより引き続き引用します。

(引用開始)

 私は、正直申しますと、テーラワーダ仏教に出会ったころ、―8年半くらい前になるでしょうか―、その頃、超能力とか心の波動とか全く信じておりませんでした。

 今でも、スプーン曲げとか、壁抜けとか色々語る人がいるみたいですが、そういうのは全く信じておりません。

 ですが、スマナサーラ長老の場合は別なのです(他、私が確認した範囲で、心の波動を強めることができる聖者と思われる方々として、ニャーナーランカーラ長老、ダンミッサラ長老、スダンマ長老、インダラタナ長老がおられます)。

 それで、私は当初スマナサーラ長老といえども、心の波動は感じておりませんでした。

 明確に心の波動を感じると分かるようになったのは、ヴィパッサナーを始めて5年以上経ってからだと思います。
 はじめてスマナサーラ長老にお目にかかった初心者冥想指導(その日はダンマパダ講義もあったのですが)から起算すると、3年半以上経過してからだと思います。

 それで、これは一応参考までに書いておきますが、私は、初心者冥想指導を受けて1年半くらい経過したころ(詳細は省きますが、誤解を畏れずに言うと)、スマナサーラ長老から「修行が進んでいる。」と言われました。
 そして、少し2か月間くらい伸び悩んでいたのですが、その時スマナサーラ長老から「私が修行が進んでいると言ったら相当に進んでいるんです」と言われました。励まして下さったのだと思います。
 その頃、「阿羅漢になる資質がある」ということも言われました。

 でも、です。

 私は、その当時、スマナサーラ長老の心の波動を明確に感じることはできませんでした。

 (続く)
ぶんぶん
2011/07/21 17:11
続き) 私の場合どういうふうに心の波動を感じるかというと、幻覚の危険がないと思われる範囲で説明しますと、こういうことです(ですから全部説明しているわけではありません)。

 私には煩悩が残っております。

 そして、スマナサーラ長老が心の波動を強められたときにその清らかな心の波動が私の心に接触してその煩悩が吹き飛ぶ、あるいは、弱まるという感じです。自分では、ヴィパッサナーも何もやっていないのにです。あるいは、やっていても、例えば、直接の気づきを入れている対象とは関係ないのにです。

 私が以前別所でコメントしたことですが、皆さまが、最も理性的に判断できるのは、例えば、日頃から、「もうヴィパッサナーやら何やらやっても眠るしかない」、そういう最大限の眠気を観察しておきます。
 
 そういう状態が、スマナサーラ長老の説法の際に生じた時がチャンスです。
 
 スマナサーラ長老が心の波動で、そういう眠気を吹き飛ばしてくださることがあると思います。
 
 但し、おそらく、スマナサーラ長老を賢者として尊敬しているか、その見込みが強くある方などにしかそういうことはされないと思います。

(引用終わり)

 なお、私の方からスマナサーラ長老に瞑想の進度を伺ったことはありませんし、また、資質についても伺ったことはありません。全てスマナサーラ長老の方から仰られたことです。
ぶんぶん
2011/07/21 17:15
 ヴィパッサナー冥想指導を安易に考える人には多くの場合共通点があると思います。

 それは、言葉だけにしか目にいかないということです。頭でっかちなのです。知識重視派に多いと思いますが、実践派を標榜している人にも智慧が足りない人にはみられると思います。その人も実は知識重視派だと思います(なので、学歴コンプレックスがあったりする。単にご自分が知識を蓄えることができなかっただけ。)。

 しかし、上に述べましたことから推察して頂けますように、本物の冥想指導者というのは、言葉の外に、心の波動で伝えるものがあると思います。

 そして、その重要度の割合は、言葉を1とするならば、言葉の外の心の波動が1兆くらいとみても過言ではないと思います。それくらい言葉の外が重要だと思います。

 スマナサーラ長老は、前日か前々日のインドのグルが瞑想指導していたテレビ番組を取り上げられて、「瞑想指導ができるような全然心の波動を感じないんですけど」というようなことを仰られた記憶があります。

 つまり、スマナサーラ長老は、瞑想指導できるか否かについて、言葉の外の心の波動というものを、重視しておられることがここに観られると思います。

 言葉の外の心の波動は、瞑想指導をされる大賢者が自ら発せられ、強めたり弱めたりするばかりでなく、逆に、瞑想指導を受ける人の心の波動を大賢者が感じたりしながら行うものだと思います。

 なお、スマナサーラ長老が「他人の煩悩を(一時的に)抑えることもできますよ」と仰られた記憶もあります。 
ぶんぶん
2011/07/22 06:34
私の体験からですが
テーラワーダへ入会して間もない頃

3年程前にひとりでゴータミー精舎へ
何気にぶらっと行きました。
玄関を開けて「こんにちは」と言って入った
すぐ目の前に
スマナサーラ長老のお姿があり
出迎えてくださり(これはないでしょう
立っておられました。

私は本当にびっくりでした。
どぎまぎしながら挨拶をして
中に入った記憶があります。

7月17日の住吉の法話会のとき
冥想会が終了して、
長老が出ていかれるご様子だったので
私は、会場の拍手が鳴り止むまで
ずっと頭を垂れて廊下のすみで
ひれ伏していました。

そして拍手もなりやみ
ふと顔をあげると、
なんと長老の顔が私のすぐ上で
微笑んでおられたのです。
この時も「なぜ?私のこんなにお近くに?」
という気持ちで驚き
嬉しい気持ちになりました。

長老の波動はとてつもなく大きく
慈愛に満ちていると思います。
生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2011/07/22 07:50
あん様、みんた様ご意見受け取りました。ありがとうございます。
とうま
2011/07/23 11:16
 2つ前の記事のコメントの続きです。

 スマナサーラ長老があそこまでの推薦文を書かれたということは、瞑想指導における「心の波動」の面においては、スマナサーラ長老がしっかりと面倒を見てくださるということだと思います。
 スマナサーラ長老がお忙しいときは、心の波動で瞑想指導をすることができる他の方がしっかりと面倒を見てくださると思います。

 スマナサーラ長老が「心に距離はない」というようなことを仰られた記憶もあります。

 ヴィパッサナーは独りでするものですが、スマナサーラ長老の初心者冥想指導を受けた後は、言われたとおり瞑想指導をしている限り、こっそりスマナサーラ長老は心の波動で瞑想指導をしておられると思います。

 スマナサーラ長老が初心者冥想指導の際に、「ここで皆さまは初めてブッダの教えに巡り合った」という趣旨(細かい表現は失念。ヴィチャーラで記憶している感じです)のことを仰られたことがありますが、それはそういう心の波動による瞑想指導を受けられるようになったという深い意味があると思います。

 しかし、依存が生じたりするといけませんので、そういうことは仰らないだけだと思います。

 が、時々スマナサーラ長老は、「捨てる」「切っちゃう」ということを仰られます。

 それは、例えば、言われたとおりに瞑想実践しない人について、「心の波動による瞑想指導をぜる」、「捨てる」「切っちゃう」ということを意味していることが多々あると思います。
 これからは、その視点でもスマナサーラ長老の説法を拝聴して頂きたいと思います。

 今まで意味不明だったことが理解できることもあると思います。

続く)
ぶんぶん
2011/07/24 12:19
 ただし、スマナサーラ長老が全雄さんの件について、心の波動の面について面倒を見られるとしても、近距離で瞑想指導する場合ほどの効果は得られない可能性があります。

 スマナサーラ長老が初心者冥想指導の人数が私の目算で30人以上にもなっていたときに、「私が目の前にいるいるような感じで瞑想指導を受けてください」と後ろの人に話かけられた記憶があります。

 遠くに離れれば離れるほど、受け手の方(かた)の心がスマナサーラ長老から離れると思います。それが心の波動による瞑想指導にはマイナスに働くのだと思います。

 スマナサーラ長老の心の波動は距離と関係なく届きますが、受け手の方が受信できないということが遠距離だとありえるのだと思います。

 預流果に悟る場合、お釈迦様の方がわざわざ遠距離旅されて説法されて預流果に悟るという例がパーリ経典によく現れていると思います。スマナサーラ長老の説法でしばしば拝聴しますから。

 ところが、阿羅漢果に覚る場合、瞑想がうまくいかないで悩んでお釈迦様のところに質問に行こうとした途中で阿羅漢果に悟ったというような例をしばしばスマナサーラ長老の説法で拝聴した記憶があります。

 多分、修行が進めば進むほど、受信能力が強くなるのだと思います。

 なので、初心者冥想指導は是非ともスマナサーラ長老から直接受けられた方がよいと思います。

続く)
ぶんぶん
2011/07/24 12:24
 スマナサーラ長老は、瞑想指導における心の波動の面をして下さるとしても、言葉による瞑想指導は全雄さんが行うわけです。
 また、警策は禅宗の指導方法であって、これはスマナサーラ長老のご指導ではありません。

 警策を用いるならば、スマナサーラ長老の事前許可が必要だと思います。眠気を出させない、眠気で幻覚をみたり、魔境に陥る危険があるから、禅宗では警策を用いるのでしょうが、瞑想に当たり余計な緊張が生じたり、儀式的になって戒禁取の危険もあるような感じもするので、スマナサーラ長老の事前許可が必要と思います。

 が、そもそも、スマナサーラ長老の推薦文を公に用いて行うのですから、スマナサーラ長老が日頃仰ることと違うことを行うならば、何でも事前許可が原則だと思います。

 それから、瞑想指導を他人にされる、スマナサーラ長老の推薦文を公にして瞑想指導をされるということならば、これから少なくとも1回はスマナサーラ長老の初心者冥想指導を再度受けられた方がよいのではないかと思います。
 スマナサーラ長老の仰っておられるとおりに厳密に瞑想指導を行うためです。
 私だったら、他人に瞑想指導を行うとなったら、複数回初心者冥想指導に参加したり、スマナサーラ長老の実演DVDを見たりして、言葉の面で間違った瞑想指導をしないようにすると思います。

 厳密にいうと、言葉だけではないですよね。姿勢とか実況中継のタイミングとか色々あります。

 それから、弁護士などの専門家でも、最初のうちは、分らないことがあったら、ボス弁(ボスの弁護士)や、パートナー弁護士(経営者的弁護士)に何でも聞くわけです。

 依頼者から質問があっても、ちょっと分らないから待って下さいと待ってもらうと思います。最初はリサーチしかさせないところもあると思います。
ぶんぶん
2011/07/24 12:40
 また、スマナサーラ長老に直接質問して頂くよう誘導した方がよい場合もあると思います。

 例えば、http://blog.livedoor.jp/happyzenyu/archives/654132.html#commentsの最初のコメントにおける「足の骨とその周りについている筋肉のつき具合、股関節の動きなどがなんだかレントゲンみたいな感じで見えるような気がした」というのは、その後、何ともなかったからいいようなものの、幻覚又は魔境に入る危険も多大にあるわけです。
 
 特に、こういう幻覚の可能性があるような場合には、スマナサーラ長老に聞いて答えるのではなく、スマナサーラ長老に直に質問して頂くように誘導する方がよいと思います。

 なお、私は、一般の方から、瞑想について質問された場合、どんな場合でも「スマナサーラ長老に聴いて」と言っています。
ぶんぶん
2011/07/24 12:44
おはようございます。

あれはもう3年ほど前のことだったと思います。

ゴータミーの本堂の出入り口付近(階段側)に全雄さんがいらっしゃいました。

その時、今はお辞めになった?(最近お姿を全く拝見してないからです)ある古参の方が全雄さんに近づき、「あなたも瞑想指導するかもしれないのだから、今日のスマナサーラ長老の指導をきちんと受けて帰りなさい」と話されていたのを覚えてます。

その日は、スマナサーラ長老の初心者指導があった日でした。

全雄さんは、好人物として評判が良く、その分注目度も高くなるように思われます。

大変重大な責務だと思いますが、スマナサーラ長老の御意思を損なうことなく、無事遂行されることをお祈りしております。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/07/25 10:48
とうま様。

どういたしまして。

あくまで私見ですので、正しくはスマナサーラ長老の著書なり、説法を参考にされれば、と思います。

変に納得されない方が、実り豊かな結果になるかと思います。
みんた
2011/07/30 09:13
読みました。

2011/08/02 19:22
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