幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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<<   作成日時 : 2011/07/22 07:03   >>

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「知る」という行為は、
一回知ったら終わり、ということにはなりません。


仏教では、生きるということは

「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)」の
六つの感覚器官〔六根(ろっこん)〕で

「色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)」
という六つの情報〔六境(ろっきょう)〕を認識することだとしています。

とても難しい定義ですが、まずはこのことを頭に置いてください。

これら六根と六境は閉じた関係にあります。

画像



それは、眼に触れるデータは決まっているし、耳に触れるデータも
舌に触れるデータも決まっているということです。


人生は、それぞれの感覚器官によって、自分の身に起こることや
自分をとりまく物質からデータをとり入れる行為のくり返しなのです。



ただ、感覚器官それぞれが得るデータが決まっているとはいえ、
それらをぶつ切りのまま受けとっていては、有意義な人生を
送ることはできません。


賢い人は、とり入れたデータを総合的に判断し、砂金のように
埋もれている真理をみつけだしてすくいあげ、自分の人生に
生かしていきます。


私たちが日々得るデータは玉石混淆(ぎょくせきこんこう)であり、
質の悪いデータで満足して知った気になるのは愚かなことです。


生きる指針となる真理は、そう簡単に見つかるものではないのです。





「こころを清らかにすることば」
アルボムッレ・スマナサーラ長老著書



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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
 スマナサーラ長老が、「こうもりは音を聴いているのではなく、見ている。すると、音というものは見えるものなのか、聴くものなのか、結局は。」というようなことを仰られた記憶があります。

 この生の説法は、「無常の見方」(サンガ)32頁に編集されたものが少し記述として残っています。

 しかし、よりはっきり残っているのは、http://www.geocities.jp/dhammini131/howa44.htmlのDhamminiさまによる録音データ起こしです。

 「無常の見方」では、「音というのは、見えるものなのか聴くものなのか、結局は」という肝心かなめの部分がおそらく編集者によりカットされているのです。

 なお、編集に関連して、ぱんさんのブログに3つコメントしており、これも関心ある方はお読み頂ければと思います。http://alcedo-atthis.at.webry.info/201106/article_1.html
ぶんぶん
2011/07/22 20:27
続き) 「音というのは、見えるものなのか聴くものなのか、結局は」というのは、「音は見えるものでも聴くものでもない、心の眼で観るものである」ということだと思います。

 それを言外で伝えておられると思います。だから、肝心かなめの部分なのです。

 仏教では地水火風のエネルギーということが言われます。

 これはこの当時この表現方法しかなかったからで、占いやギリシャ哲学などと同列に置くと、仏教をその程度のレベルと捉えていることになり、仏教を誹謗・侮辱することになると思います。

 スマナサーラ長老が地水火風で仰っておられるのは、素粒子レベルで猛烈なスピードで変化するデータと理解されます。例えば、ブッダの実践心理学1(サンガ)99頁以下をお読み頂ければと思います。101頁に出てくるクォークは素粒子です。

 で、この素粒子レベルの音を心と区別して観るのが、ヴィパッサナーの最初の智慧の段階である名色分離智慧と思います。

 これは、パティパダー仏暦2551/西暦2008年3月号31頁以下のスマナサーラ長老の説法をお読み頂ければと思います。

 お釈迦様の説法を収めたパーリ経典の沙門果経に名色分離智慧が出てきて、そのお釈迦様の名色分離智慧についての説法の中に地水火風が出てきます。

 ということは、ここでいうルーパ(色)は、素粒子レベルの物質を意味していると理解されます。

 中部経典99「スバ経」において、お釈迦様はuttari manussa dhammaということを仰っておられます。人間の次元を超越した真理という意味です。仏教の一大特色だと思います。
ぶんぶん
2011/07/22 20:51
 沙門果経でお釈迦様は「四大要素」と仰っておられ、これをスマナサーラ長老は、上記パティパダー仏暦2551/西暦2008年3月号31頁において、「いわゆる」地水火風と説明されておられます。
 地水火風が素粒子レベルの物質であることはそこには書かれていませんが、ブッダの実践心理学1には説かれているわけです。

 四大要素は「いわゆる」地水火風とスマナサーラ長老は仰っておられますから、一般的に仏教で使われる地水火風という意味で、ここだけ素粒子レベルの物質ではない特別な意味を持っているわけではないと思います。

 それから、当時は、素粒子という言葉はないわけです。そのような状況の中で、お釈迦様は、糸の譬えをされています(同パティパダー33頁)。

 糸は、波うっていて、短く切れば、素粒子のように見えるのではないでしょうか?ここにもお釈迦様が素粒子を観ていた一つの証拠があると思います。

 スマナサーラ長老は、この喩えについて、「この人は我々の認識能力とは桁外れのレベルで物事を観察して、身体とこころのことを、はっきりと区別して知っているのです」と仰っておられます。だから、凄いレベル名色分離智慧なわけです。

 34頁に出てくるこの程度のnama-rupa(namaは心、rupaは色=物質)の区別認識は仏教の国々の人々が知っている宗教的知識の話ですね。

 これとは、別次元の超ハイレベルな智慧と理解されます。
ぶんぶん
2011/07/23 05:51
 ところで、スマナサーラ長老は、こうもりは音を目で見ると仰られ、脳で映像を作るとまで仰っておられます。http://www.geocities.jp/dhammini131/howa44.html(再掲)

 なぜ、このようなことを御存じなのでしょうか?

 特別な智慧をお持ちであることが強く推察できると思います。このようなことは科学でも語ることはできないと思います。

 もう一つ、私の上から一番目のコメントと二番目のコメントを読まれて、Dhamminiさまは、単にスマナサーラ長老の説法を、機械的に録音データから起こされただけではないか、と思われた方もおられるかもしれません。

 しかし、上のURLのスマナサーラ長老の説法をお読み頂ければ明らかですが、Dhamminiさまは、「音というものは見えるものなのか、聴くものなのか」という肝心かなめの部分を太字にした上、わざわざ着色しているのです。

 こうもりは音を見ているという部分も太字にしておられます。

 Dhamminiさまは、心の眼で素粒子レベルの物質を観たことはないと思いますが、しかし、センスは抜群だと思います。

 日本人テーラワーダ比丘(長老を含む)の中で最も預流果に近い方だと思います。
ぶんぶん
2011/07/23 06:10
ルーパを素粒子レベルで捉えるというのは
捏造の世界ではない
仏教の智慧の真髄だと思います。

確かな因果論になると思います。

鳥が察知する超音波から、
その距離感や立体感など
私たちには見えないモノが鳥たちには
解かるのだと思います。


音もしっかりとした
地水火風のルーパであるからです。

耳にイヤホンをずっとつけて
聴いていると耳の機能が壊れる
ということでも明確です。
組織が破壊されてゆくのです


「心の眼で観る」

という言葉は
単なる観察ではなくて
素粒子レベルを観察するという意味合いが
含まれているのであって
単なる捏造されたものでは
無いということを
踏まえておかないと
勘違いされる危険性もあると思いました。

それから、長老は
その場の都合により
肝心な言葉を省略されたり
曖昧にされたりといったことを
されると思います。
聞き手の理解能力に合わされている
のかも知れません。


長老に特別な能力が備わっておられる
ということが解かるのは
各自の開発が進んでこないと
解からない部分でもあると思います

仏教を知る前
水の波紋?が音によって変化するというデータがあり
不思議に思っていました。
水にクラッシク音楽やら歌やらを流して
その変化を観るのです。
素粒子が「動」であるという事実の
現れだと思い納得できます。
ダイヤモンドの素粒子も
動いているのでしたね。
あん
2011/07/23 07:26
 こうもりが超音波を見る場合もまだ主観により「捏造」されていると思います。
 スマナサーラ長老が仰っているのは、生命「共通のデータ」としての「音」です。客観です。
 これは、例えば、「迷いと確信」(サンガ)113頁以下からうかがい知ることができます。

 それから、スマナサーラ長老が、「音も仏陀の教えでは物質です。これは現代物理学でも発見していないみたいなんです。」というようなことを仰られた記憶もあります。

 現代物理学では、空気などの媒質のゆれが音とされていて、媒質が物質なのであって、音は物質とされていないと思います。

 ですから、現代物理学もまだまだブッダの教えには追い付いていません。

 やや追いついているところもあります。例えば、http://denjiha.macco.co.jp/kind/index.htmlの2つ目の表「電磁波の種類と特徴」をご覧ください。一番左に周波数の記載があって、一番右の方に主な用途としてX線やら、光学機器やら、赤外線ヒーターやら、FM放送やら、ラジオやらが出てきますね。

 ということは、現代物理学でも、見るものも聴くものも物質としては同じというレベルには到達し始めていると思います。
 
 さて、時々、スマナサーラ長老が仰っておられますが、電子顕微鏡でも原子を直接にみることはできないそうです。

 ブッダの実践心理学1(サンガ)116頁において、スマナサーラ長老は、「機械の発展のお陰で現代では原子くらいは見えるようになりましたけど、それも科学法則から推測、計算して、データを作って、画像を作るのです。その映像や写真を見て、これは原子だと私たちは決めていますが、原子そのものは電気・光の速さで絶えず動き回っているのですから、本当は粒のように目に見えるものではないのです。」

続く)
ぶんぶん
2011/07/23 08:29
 上に赤外線が出てきますが、赤外線は目でみることができないから赤「外」線なわけです。http://www.biomol.sci.toho-u.ac.jp/glossary/chem/visible_light.htmlにある画像が分りやすいと思います。
 目に見える波長(可視光線)の一番左側が赤で、一番右側が紫です。
 なので、赤の左外にある波長(赤外線)と紫の右外にある波長(赤外線)は目に見えないわけです。

 しかし、スマナサーラ長老が赤外線は身体で感じることができるというようなことを仰られた記憶もあります。

 すると、結局、眼に見えるものも、耳に聞こえるものも、身体に触れるものも、みな地水火風という素粒子レベルの物質であることが理解できると思います。舌に触れるものも、鼻に触れるものも同じでしょう。

 さて、この地水火風という素粒子レベルの物質はブッダの教えにおいては、どのように直接体験するのでしょうか?

 この点、スマナサーラ長老は、ブッダの実践心理学1(サンガ)において、「四大元素だけ直接体験できると言いましたが、実際には、地と火だけ、身体に触れることによって、直接体験できます。眼、耳、鼻、舌では何も直観できません。水と風は、身体の体験を通じて、意、つまりこころで理解します。こころで物質を理解するのですから、直接体験ではなく、厳密には推測ということになります。」と仰っておられます。

 しかし、これは皆さまにはびっくりするような話かもしれませんが(素粒子レベルの物質を地と火については身体に触れることで直接体験すると仰っておられるからです)、それでも、私は、あんさまが仰る「聞き手の理解能力に合わされている」説法だと思っています。
ぶんぶん
2011/07/23 09:11
 スマナサーラ長老が、中部経典99「スバ経」の『智慧の眼』についてのお釈迦様の説法を訳されたもの(要約)を引用します。

 スバ青年バラモン「ポッカラサーティというバラモンの有名人が、人間なのに人間を超えた智慧を体験するなんて笑っちゃいますよと言ってますよ。」
 
 お釈迦様「ポッカラサーティは、すべての沙門、バラモンのこころの働きを知っているのでしょうか?(すべての沙門バラモンのこころを読み取っているのでしょうか?)」
 
 スバ青年「いいえ。召使の女の子の心の動きさえも知りません。」 
 
 お釈迦様「今、ここに目が見えない人がいます。彼は赤色も青色も黄色も茜色も見えません。美しいものも美しくないものも見えません。太陽も月も星も見えません。
 
 彼は、こういいます。赤色も青色も黄色も茜色もありません。美しいものも美しくないものもありません。太陽も月も星もありません。
 
 そればかりでなく、彼はこういいます。赤色、青色、黄色、茜色を見る人もいません。美しいもの美しくないものを見る人もいません。太陽、月、星を見る人もいません。
 
 こういうことをいうならば、彼は正しいことを言っているのでしょうか?」
 
 スバ青年「いいえ。正しくありません。なぜなら、赤色、青色、黄色、茜色もありますし、美しいもの美しくないものもありますし、太陽も月も星もあるからです。」
 
 お釈迦様「ポッカラサーティは、智慧の眼がないんだよ。智慧の眼がないから超越した真理を体験できないんだよ。」(一部引用終わり)

 ちなみに、『智慧の眼』は片山一良先生の訳では眼になっていたと思いますが、文脈からいって、肉体の眼ではないことは明らかです。
ぶんぶん
2011/07/23 12:37
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