幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★感謝して生きる(1)

<<   作成日時 : 2011/08/02 07:54   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 6

仏教では、一般人には、徹底的に感謝ということを教えているのです。

感謝しなくてはけしからん。

理由は、命はけっして、独立単独で何一つも成り立たないのです。


我々は呼吸しています。空気が汚れたらどうします? 
空気中に、香りもない匂いもない毒が回ってきたらどうします?
死んじゃうでしょう。

だから、みんなで一生懸命「空気を汚染しないようにしましょう」

「ありがとう」と思わなくては、話しにならないでしょう。

だから、我々は生まれる時は寄生します。
女性の体に。女性の体から生まれたわけではないのです。

女性の体は、卵子は外へ捨てるのです。
男性の精子も外に捨てるのです。

捨てたもの二つ合わせたところで、
それから強引に、寄生するのですね。

それで、寄生された肉体は、
「あっち行け、あっち行け」という感じになるのです。

体に蚊がとまったら何をするのですか。
とにかく叩いてしまうでしょう。


だから、母体の中に寄生したとたん、
体が追い出そうと結構攻撃します。だから、女性たちは気づかずに。
どれぐらい流産しているのかというと、もう結構な数なのです。


その中でひとつの細胞が、頑固にしがみついて、
母体にいるのですね。
そこで、体はあらゆる攻撃をするのですけれど、
調子が悪くなるわ、吐き気が出るわ、食欲がなくなるといったふうに。
いろいろ調子が悪くなり、お医者さんに行ってみたら、

「あなたは妊娠しているんだよ」と言われる。
言われたとたん、「なんてありがたいことでしょう」「なんておめでたいことか」と思ってしまう。

それから新たな愛情が母親に生まれるのです。
まあ、その瞬間からは流産するおそれがほとんど消えます。

調子が悪くなると、すぐにお医者さんに相談して、
なんとしてでも子供を守ってほしい、ということになるのですね。

だから、生きているでしょう。感謝しなくてはね。

画像


それだけじゃないでしょう。どれほど子どもの為に苦労するのかというと。
母の躾けがなかったら、我々は単純に原始人でしょう。

言葉の使い方、挨拶の仕方やら、お箸の取り方、何も知らなかったでしょう。
なんでもかんでも、教えて、教えて、なんとか人間にしてくれるのですね。

それだけじゃなくて、誰でも助けて合って生きているのだから、

そんなのは感謝しろと言うまでもないでしょう。
感謝したのだからといって、どうってこともないのです。



逆に、感謝しない人間というのは、もう生きる価値もないのです。
もう、借りばかりですね。


だから、感謝するということは当たり前のことです。

見るもの見るもの、触れるもの触れるもの、

自分に協力してくれているはずなのです。



電車に乗ったら、どれほどの人々が仕事をして、
考えて頑張っているのでしょう。
駅のホーム一つをとってみても、
微妙に計算してあり、足を上げる必要もないでしょう。


ホームと電車の隙間があることも、きのう電車の広告読んでみたら、
そこをなんとか解決しましょうと、いま一生懸命頑張っているのだ、という広告がありました。

どうして隙間が開くのかというと、やっぱりホームが曲がっているのですね。
ホームが曲がっているのは、そちらの線路に合わせておこるなにかの問題でしょう。

だから、ホームが曲がっていると、どうしても角度のところに隙間が出てくるのですね。
馬鹿どもはそこへ落ちるのです。


その時、思ったのは、やっぱり人々はホーム作るときでも、どれほど神経を使うのか。
だから、歳取ってくるとそれが分かるのでしょう。

もしホームが下で電車の床が上だったら、
あなたたちなら別に「どうってことはない」とそう考えてしまうと。

のぼれない人たちは大変ですよ。
そういう小さな、「どうってことないんだ」
という気持ちの中でも、人を助けてあげる気持ちがあれば、

事故を起こさせない、問題起をこらないようにする気持ちが入ってくるでしょう。



そこで、年寄りか誰かが、あの車椅子でホームから落ちて死んでしまったのです。
事故を起してしまったのです。ホームにはスロープがありますね。

雨が降りますから水たまりになったら人々が困るでしょう。
ですから、水がちゃんと外へ出るように、スロープを作りますね。

これに、頭の悪い人々が、車椅子で年寄りを連れてきて、
そのまま置いて、ジュースかなんか買おうとする。
車椅子がダラダララーといって、線路に落ちました。

どれほど危険なことでしょうか。それで、みんなが騒いで、
「それはなんとかしてください」と言っても、なんともできませんよ。

ホームは、フラットに作ることができるならばフラットに作るのです。
どうしてもこの際は、こういうふうに勾配をつけて
斜面にしなくちゃいけないのだということで、そうしてあるのですね。

それで、この間また、電車の広告をいろいろ見ていましたら、
ホームでの車椅子の止め方というのが書いてあるのですね。
そこまで言う必要があるのかと私は思いました。



だから、人間のこのバカらしさによって、
事故起こしてしまうのに、それでも社会が一生懸命、
この馬鹿を守ってやろうと、すごいお金を掛けています。

恐らく皆さまは、広告も読んでないと思います。
私は片っ端から読みますけれど。
私はそういう小さなところは、随分調べて勉強します。

ほかの人は別にどうって事はないと思っていますけれどね。
いかに安全で怪我しないで、死なないでいようと、
人間がうまく生活できるようにするのかということです。

おととい、夜2時まで仕事をして、2時半3時ぐらいに、一応部屋に戻りました。
当然、道路には人がほとんどいない時です。
信号渡っていると、そこでずうっと工事やっていたのです。

信号のこちら側でやっていて、すごくうるさかったのです。
甲州街道でした。あれはかなり幅広い道路でしょう。


それで、全部工事終わってきれいにアスファルトもつけてありますね。
そこをちょっと行ったら、もう私のアパートです。
アスファルトを曲がっていくと、


びっくりしました。全部タイルで張ってあるのですね。
そこで思ったのは、タイルを張ってあるところも
工事やるようになっちゃうと、どうなるのかと。

あのタイル全部外さなくてはいけないでしょう。
またもと通り全部をタイル付けなくてはいけないでしょう。

でも、面白いことに、あのタイルを全部貼ってあるところは、
工事がないのですね。

でも、あるはずでしょう。パワーラインやら、
電話やら光のラインやら、水道下水道あれこれとあるはずでしょう。

その設計をするときはそこを考えているのです。


そこら辺ではそういうトラブルが起こらないようにしましょう、と。
だから、微妙なところは、微妙でないところなど
どれほど真剣に考えているのかということでしょう。

これは、私たちの安全のためでしょう。
私たちが気持ちよく生活ができるようにしましょう、ということです。

タイルというのは、あれ結構硬くてレンガみたいな感じですね。
それを外したりまた入れたりすると、もうガタガタになると、
とても気持ちが悪いんですよ。

タイルの間にちょこっと雑草が伸びてきてしまうとそれも気持ち悪いんですね。
そういうところまで考えているのですね。
 
だからそれをボケーッとして、知らんふりをして、
文句ばっかり言って、あれが悪いこれが悪いとか言うのは、
これって人間かと思いますよ。



だから、感謝するのは当たり前のことであって、
それを感謝する人間だからといって威張るなよいいたいのです。



「おれは呼吸しているんだよ」
「どうだい偉いでしょう」ということと同じなのです。
「私は呼吸しているのですよ。
あなたは知っている?」とかね。

馬鹿じゃないのですかね。
当たり前のことです。
だから、感謝するということは当たり前のことだから、

あえて言うはめになると、人間がどれほど間違っているのかと、
極悪人かということなのです。

だから、感謝そのものによって、
なにか「ご褒美ちょうだい」とか、思ったら、これはけしからんでしょう。

「あなたって本当にいい人間ですね。よく感謝しますね」とかね。
そういうことは期待しない方がいいのです。




インド文化、我々の文化では「ありがとう、ありがとう」とは言わないのです。
これは日本人が随分誤解するし、気持ち悪がっちゃうのですね。

感謝のひとかけらもないこの国の人々にそんなことを言われる筋合いはないと、思いますよ。

親が子供を殺すわ、誰とも仲良くすることができないわ、
中国とトラブっちゃうわ、
北朝鮮とトラブっちゃうわ、ロシアとトラブっちゃうわ、
周りの国々は誰一人も仲間がいないでしょう。

「東西南北全部敵に回している人々が、余計なこと言うなよ」と
言いたいところなんですけれど。

みなさん「ありがとう。ありがとう」と言いますが、
インド文化の人々は、ちょっと形式的に口で誤魔化すということはしないのですね。
「ありがとう」と言ったとたん、

人がやってあげたことは「チャラにした」という意味になるのですね。

「『ありがとう』と言ったのだから。はい、チャラ」

これは永久的にチャラにはならないのだということです。
我々はずうっと互いに助け合って生きているのだよ。

だから、私に誰かがご飯作ってくれたなら、
「ありがとうね。ほんとにごちそうさまでした」と言って帰っちゃうと、チャラでしょう。


そうではなくて、私は人に、「食べさせてもらった。
一日育ててくれた」だから、自分もこれからそういう場面に出るたびに、
「あんた、ご飯食べていってください」
(食べさせてくれた)あの人にお返しするわけじゃなくて。

自分も同じ生き方をするのです。


いつだって、誰かが困っているときは、
「ああ、いいよ。ご飯食べていってください」と言う。



だから、その伝統というか、それを私も続けてやっていますよ」と。
それが我々のインド文化的な感謝なのです。 だから、チャラにするなよと。

ですから、「ありがととうございます」と言うこと自体が行儀悪いのですね。
育ちが悪いのです。怒られます。


これで、日本人が勘違いするのですけれどね。
全部かたちで決めようと思うのだから、中身なくてね。
「お辞儀の角度は何度ですか」とか。人に礼をしなさい。

お辞儀は何度でもいいのだから。
「目上の人に対する尊敬の念を抱きなさい」と我々は言うのです。



そういうところですね。ときどき日本の学者さんもね、
「なんで『ありがとう』という言葉を使わないのか」とかね。
「まあインド人というのは相当乱暴や」とかね。そんなこと言っても、

日本よりはどれぐらい歴史が古いのですか。
と言いたいのです。
記録された歴史もないし、せいぜい二千年もないでしょう。
ちゃんとした歴史っていうのは千年程度でしょう。
それで、(インドは)仏教のできあがった国でしょう。

仏教にかなう宗教、哲学というのは、

いまだに人類の中で現れてないでしょう。
だから、そう簡単ではないのです。<つづく>


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成22年11月3日
兵庫県三田市マーヤーデーヴィー精舎での
A・スマナサーラ長老ご法話より抜粋致します


テキスト作成:小山忠久さん
編集:水川芳子

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
外国を知りませんが、日本は確かに形式的、社交辞令的、表面的ですよね。国のために働こう、みんなのためになることをしよう、という人は身近ではあまり見ませんし。豊かボケなのか、欲を追い求めることしかしてないと思います。テレビもNHK以外法律で規制しちゃったほうがいいと思います。
とうま
2011/08/02 08:22
スマナサーラ長老の生のお言葉に近い表現で、いつも以上に伝わるものがありました。
テキスト作成・編集、ありがとうございます。
続きも楽しみです
358
2011/08/02 08:38
こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております(^^)

長老のお話で、物事の捉え方の文化的違いを、よく教えてもらっております。

わたしの場合、『平等』『公平』に観ることへのヒントにもなってます。。

今日も素晴らしい法話の掲載、ありがとうございます♪
kaan
2011/08/02 13:03
多くのお方は、善い行為をしているということを、皆に見せつけ、見習いなさいよ、といいたいのです。

気を使わせない、気の使い方を知らないのです。

相手は何も気づかなくとも、助けてあげればよいのです。当たり前のことなのです。

自分が何か手助けをしてあげたから、あなた今いられるのですよという、必要もないのに、わざわざ、誰のおかげで生きていられるのですかと、洗脳しているのが今の社会です、父親、社長さん、総理大臣、皆そのような態度です。

人の役に立つのは、当たり前の、自然の、当然のことで、それをかさにかけるなど、馬鹿の骨頂のすることなのですが、

ならば、自立するしかみちはないのですが、

それも皆しなく、頼る心ばかりが多いのが、、、
才木広之y
2011/08/02 22:27
才木さま

お智慧を頂きありがとうございます。
おっしゃられる事、わかるつもりでおります。

修業の出来ていない私などは、日々が勉強でございます。世の中にはとてつもなく小さい悪から大きい悪、決して正しい道を歩もうとも 生きている限りその困難に立ち向かわねばなりません。私はそれすら心穏やかで乗り越えてはおりません。
もし、自分が地獄の中で生活するならば、やっぱり私は正しくいられない自分であります。
このような私は、生きとし生きるものすべてを愛し幸せを願う。まだその程度なのです。

このような私にお付き合い頂きありがとうございました。

才木さまが充実した日々を送られますようお祈りいたします。
静安
2011/08/03 00:06
ゆめをみました。年老いた母にあいたいとおもい
ひっしに街を歩くと 道路が浸水して、、。
目がさめて このつづきは正気か現実なのかと、、。
かがわ
2011/08/03 05:04
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