幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★感謝して生きる(2)

<<   作成日時 : 2011/08/03 07:02   >>

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インド文化と音楽は一緒に発達したものです。
それでテレビ番組で音楽コンテストがあったのです。
この番組に出る人々というのは、ものすごい能力なんです。

それで審査する人々も、話しにならないとんでもない連中なのです。
そこでじっと見ていて、一人一人が自分のセクション歌ったら、
この審査の人々がいろいろ言うんですね。

ある若者が歌った歌を、審査員の人が別な調子で歌ったんですね。
歌ったとたん、その若者もすぐその通りに歌ってみる。


そしたら審査員も、いきなりキーをガクンと上げて別なスタイルで歌っちゃったんです。
そうしたら、この若者もそうやって歌ったんですね。

また、これは無理やと、また別なスタイル出しちゃったんです。

それもやって、「はい。まあそういうふうに、あなたしっかりと歌いなさい。
ただ歌っただけではだめや」と言ったんですね。

まあ、優勝はしなかったんですけど。

しかし、それを先生は教えたでしょう。
わずかなもう30秒か40秒の間で教えたのです。



では、これで若者は「はい、さようなら」と出ていけばいいでしょう。
それはないのです。


サッとその先生のところに行って、足をチャッとタッチして、
頭下げて、それでバシッと立ち上がって、
もう若者らしくまた繰り返しちゃって出ていくのですね。


だから、そこは他の文化の人には読めないのです。




私もやっぱり、「いい子だなあ、こいつは」と。
すごく有名な人に、ちょっとひと言葉アドバイスもらっただけで。

無茶苦茶感謝しているのです。
しかし、ひと言も「ありがとう」はないのです。




なんか、ケンカみたいに、先生が違う調子で歌ったら、
負けるものかというように若者もやる。
ではまた、「じゃあこれはどうかい」と。

「じゃあこれもやるぞ」と。お互いになんかもう、やり合っているように見えるでしょう。
それで、出ていく場合は、極限的な礼をして出ていくのです。


やっぱりそういう各文化というのは、
それぞれ違いますね。

だから、文化比較はあまりよくないのです。

日本には日本なりの価値観があって、
ヨーロッパにはヨーロッパなりの価値観があって、
それぞれの比較はできません。感謝ということは、また別なもので、
感謝するのは当たり前で、しないのは極悪行為だということです。


画像


それから仏教の話しです。
「生きることはなんなのか」と言えば、

生まれることも苦であって、
生きることも苦であって、
老いることも、病気になることも、
仕事をすることも、なんでもかんでも苦の連続です。


それで、最後に死ぬことも苦なのですね。

だから、「長生きしたいな」というのは、「長く苦しみたいな」という意味なのですね。


「人生は成功する」といっても、
成功というのはないんです。

無茶苦茶苦しみが増えるだけ。
じゃあ、自分が会社をひとつ設立しました。

これを発展させて十社になったとします。
苦しみが十倍に上がっただけなのです。
倒産する確率は十倍高くなっただけです。

そういった危険性、責任感は増えます。
それは、自分の庭で畑作って食べることとは違います。

そちらは倒産ということはないのですけれど、畑に虫が入る可能性はあります。



だから、自分の庭で畑作ったならば、同時に虫を呼んだことにもなります。
そこで、虫を殺そうといろいろ薬を掛けると、
自分も同時に毒に感染することにもなります。


だから、どちらにしたっても駄目でしょうね。

じゃあ、やっぱり殺虫剤かけないでいると、
これはと思ったら虫が食べていくのですね。
「これ、困っちゃった」と。
「私に食べるものないのだから、やっぱり殺虫剤かけるぞ」と言ったら、
あなたも殺虫剤食いなさいということになる。

でも倒産ほどの危険はないでしょう。


その人がちょっとした店を始めたら、より危険なのです。
店が会社になったら、より危険なのです。

それが客観的な現実的な人生なのです。

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もっと瞑想してみると、
感覚そのものは「苦」以外なんでもないのだと分かるはずなんです。


苦しみがあるのだから生きているのです。
お腹が空くことは苦しいのだからご飯食べているのです。

坐っていると苦しいのだから立つんです。
立ったら苦しいのだから、

何もしないでいると苦しいのだから、

運動などなどをするのです。

呼吸も苦しみがあるのだから呼吸しているのです。


だから、苦しみのおかげで生きているのです。
苦しみがなかったら人は死んじゃいます。



苦しみがなかったら仕事もしないし、
結婚もしないし、子育てもしないし。料理もしないのです。

畑も作らないのです。川に堤防も作りませんよ。
苦しみがなかったら。耐震性の家も作りませんよ。


だから、全て苦しみが作らせているのです。<つづく>

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平成22年11月3日
兵庫県三田市マーヤーデーヴィー精舎での
A・スマナサーラ長老ご法話より抜粋致します

テキスト作成:小山忠久さん
編集:水川芳子

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
息するのが、楽な行為なら、息をするのを忘れてしまいます。楽とは、感覚がないというか、感覚に気づいてない状態といか、でしょうか。

以上のことは、お酒とか、麻薬でごまかすといったことにあてはまると思います。

しかし、どんな時でも、何時でも、気づかなくとも息をしているのは、苦があるからだと思うのです。

お酒をしようが、麻薬をしようが、その時でも息をする苦はあるのです。楽を得ようとするときは、必ず大きな苦を自分に与えて、その少し前にあった少しばかり小さい苦に気づかなくしているのですが、

楽を求めようとすると、苦が増大していくわけです。

では、逆に、苦を捜し求めて、最小の苦を見つけるとどういった心持になるのでしょうね
才木広之
2011/08/03 12:28
ゆのみ茶わんにひとにぎりの土をいれて アサガオのタネを1粒だけ植えました。腕がかゆいので みると1ミリほどの虫がうごめいていました。虫をころす行為とアサガオを育てる行為を差し引きしたらと、かんがえています。
かがわ
2011/08/04 06:34
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