幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆せいぜい今日一日の命

<<   作成日時 : 2011/10/16 21:55   >>

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お釈迦さまは、「奪ってでも、人を殺してでも、金持ちに
なりなさい」などとはおっしゃいません。
そうではなく、お釈迦さまは人生について、
ずばり本当のことをおっしゃいます。



「人生はせいぜい、六十年とか八十年とか、そんなものでしょう」と
われわれの寿命は数えられる程度の短いものです。

六十年とか八十年とか、あるいはもっと短い人生で終わって
しまうこともあります。

あっという間です。


「だから、いい加減落ち着いて、平和で穏やかに、楽しく生活
してみなさいよ」ということなのです。

われわれの命は短い。

そのうえ、いつ死ぬかもわかりません。


「人生八十年」とか「いまは長寿社会で九十歳まで生きて
いられるぞ」と言っても、この私が何歳まで生きられるか、
それはわからないのです。

「人生九十年」というのはいいのですが、自分が九十歳まで
いられるかどうか、四十歳あたりでくたびれてしまうかどうかは、
だれにもわからないのです。

元気で百歳まで生きていたいという気持ちはあっても、
そのとおりなるかどうかはわかりません。

人の希望となんの関係もなく突然亡くなってしまうことは、
よくあることです。

画像


とても悲しい事件がありました。

父親の友だちが小さな男の子二人を誘拐(ゆうかい)して、
そのうえ殺してしまったのです。


だれの子どもでも、子どもというのは、とてもかわいい。

それなのに、突然、殺されてしまったのです。



その子ども二人は、元気で立派な大人になってやるぞと
思っていたでしょうし、親もそういう気持ちでいたことは
確かでしょう。

しかし、信頼していた友人に誘拐されて殺される。



大人同士のことなら、腹が立ってけんかして、つい殺し合いに
なったといっても、一応理解はできます。

けっして正しいやりかたではありませんけど
「ああ、あの二人はおたがいにぜんぜん折れないんだから。
けんかをするとエスカレートして、とうとうあんなことになったのだ」
と理解ぐらいはできます。



でも、大人がなんの抵抗もできない小さな子どもを殺すのは、
どんな気分なのでしょうか?

どのような怒り憎しみが現れたら、そんな残酷な犯罪ができると
いうのでしょうか?



それは理解できないのです。



しかも、その殺人を犯したその人も、子をもつ親でした。

人間というものは、それほど信頼できないのです。



長生きしたくても、毎日顔を合わせている知人に殺される
可能性もあるのです。


他人に殺されることは稀(まれ)かもしれませんが、

自分ひとりがいつ死ぬかわからない。




「私は元気だ、元気だ」と言っていても、なにかの病気にかかる
可能性はあります。

なにか事故を起こす可能性はあります。



ですから、一番確かでしっかりした生き方は、
「まあ、今日一日生きていられれば、せいぜい今日だけ生きて
いられれば、いいんじゃないかなぁ」
という生き方なのです。



「幸せを呼ぶ呪文P.13〜16」
アルボムッレ・スマナサーラ長老著書


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