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zoom RSS ★無我を認識する瞬間

<<   作成日時 : 2012/09/23 23:43   >>

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人間の理解とは、頭で理解することです。
もう一つ、理解の仕方があります。それは経験することです。
・・・・

物事を理解する時は経験することに勝る理解方法はないのです。

経験したことに「忘れました。間違いました。元に戻りました」
などは成り立ちません。

人間はたくさんのことを勉強しますが、年を経るとほとんど忘れます。


しかし、経験したことは簡単には忘れません。

仏教で教える「無常」の話は、知識の刺激を目指して語っているのではない。
議論するために課題を提供するのでもない。


人間の知識に新たな知識を加えるために教えているのではない。

無常・苦・無我とは、経験するものです。

実践するものです。



ですから、無常・苦・無我の話は、実践する人に対するガイドブックにすぎません。

旅行ガイドブックと旅行そのものはかなり違うでしょう。

お釈迦様が説かれた観察を実践すると、無常・苦・無我を経験できます。


観察の実践も他の実践と同じく、徐々に成長させなくてはいけません。

最初は誰でも日常的な知識能力で観察します。
徐々に集中力を上げて明細に観察するのです。

かなり高いレベルで、一切の思考妄想をストップして観察できるようになると、
無常に目覚めていきます。


その人は無執着に興味を抱くのです。
観察瞑想を実践して、集中力を上げ、因果法則が見え、
存在のからくりが現れてくると、心は無執着のほうへと赴きます。

無執着に達するのです。


現象がありのままに見えてくる時の状態を、お釈迦様は、
「patubhavanti dhamma(法があらわになる時)」と表現しています。
そこで一切の疑が消え、心は解脱に達するのだと説くのです。

画像


集中力を上げて観察すると、ありのままに現象を認識することができます。
無常を経験します。


そして実践者は、煩悩が起こらない状態を期待するようになります。
存在とは固定し止ったものではなく、川の流れのようだと観察するのです。

今までの理解と、無常を発見した時の理解は相当違います。
発見したという気持ちは巨大な力です。

「発見した」という力は、心を無執着状態に変えてしまう。
それが解脱です。


無常を発見すると、無執着の状態を期待します。
心は無執着なので、当然ながら欲も怒りも起きない心になっているのです。

欲と怒りは執着がある心に現れる現象です。
無常を発見したから、無智もない。



要するに、貪瞋痴が無い心が現れる。それが、解脱です。

無常を知る世界から、無常を経験する世界に入らなくてはいけないのです。


<P181〜P184>
無我の見方】より抜粋いたしました。
アルボムッレ・スマナサーラ大長老

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