幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★好きを追って、不幸にたどり着く

<<   作成日時 : 2012/11/29 10:26   >>

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「好き」なことだけをやって生きていられるならば、
それは最高に幸せだ、恵まれていることだ、と一般的に誰もが考えるのです。

好きではないことをやらなくてはならないときは、苦しみと不幸を感じる。

たとえば、自分の仕事があまり好きではないとする。
そうなると、仕事をするのは苦しいのです。

自分にはツキがないと思ってしまいます。
ストレスが溜まって仕事の能率も下がるだけではなく、
ついには健康まで損なうことになる。


 人間関係の場合も同じで、好きな人々とだけ付き合っていられれば
どれほど楽かと思ったりするのです。

この問題の原因は、簡単なものです。

自分が、周囲の人間のことを好きではないからです。
自分と関わりのある人々が、皆好きな人ばかりなら、楽しくてたまらないと思います。

そのような理想的な関係があれば、
何の問題も起こらないだろうと想像してしまうのです。

 しかし、人が好きなことだけをして、
好きな人とだけ付き合って生活できる状況は、夢のまた夢の話です。

もしも好きなものに囲まれて生きられたとしても、
今度は自分がそれらに依存してしまって離れられなくなる。

よって、自分の自由が失われてしまう。
自分が支配者の態度をとって、好きなものを管理しようとすると、
好きなものから嫌われる。裏切られる。
好きなものがスキをみて逃げ去ってしまう。

では支配者の立場をとらないならうまくいくかというと、
そうでもありません。

好きなもののご機嫌を取って、様子をチェックしながら
生きていかなくてはならないのです。

どんな頼みもきいてあげなくてはならなくなる。
それでは自分が奴隷そのものになってしまう。

好きでないことを行うことも苦しいし、
好きなことを行って生きていることも、悩み、苦しみ、不安を引き起こす、
不幸な事態になります。
それは、諸刃の剣なのです。

 
この問題を仏教はどのように解決するのでしょうか。
そもそも、「好き」「嫌い」と感じるところに問題があります。



人はあるものが好きで、あるものが嫌い。
これがなぜなのかは誰にもわからないのです。
だからどうしようもないと思っているのです。

好き嫌いは、生まれる以前からも刷り込まれているのではないかと思っている。
そのように言われてしまうと、もうお手上げ状態です。

 好きでないことをして生きることは、明らかに不幸で苦しいのです。
好きなことだけをして生きられるとしても、最初は楽しみがあっても
ついには依存症になります。自由が失われます。


好きなことを守る苦しみと、
逃げられたらどうしようという不安の苦しみがついてきます。
理由無き恐怖感で悩まされることもあります。


要するに、嫌なことをして生きていても、
好きなことをできたとしても、到着するところは「苦」なのです。

 

人生そのものはジレンマだらけです。
人生に関わるどんな問題でも解決した途端に、別な問題が顔を出します。


あちらを立てればこちらが立たず「板ばさみ」ということです。
仏教はこのジレンマを解くのは得意なのです。


 
問題はどこにあるのか。
「好き」と「嫌い」というところにあるのです。

人は、自分は何が好きで何が嫌いかをそれなりに知ってはいるが、
その理由まではわからない。刷り込みだからしょうがないと思っている。

であるならば、人生は「苦」の結果になることも絶対的で避けられない。
好きというのは、理性的なものではなく、感情的なものです。

「好き」という感情がある人に、必ず「嫌い」という感情もあります。
理性のない感情に、燃料を供給すればするほど燃え続けて、苦しみが増える。
 

人に定まった好き嫌いがあるというより、生きているものは皆、
それぞれ自分特有の性格を持っていると思えば良いのです。

まったく性格が同じ人は二人といません。
皆それぞれに違います。

画像

ということは、完璧に好きになれる人は、一人もいないということです。


ものの場合も、自分がやりたいことの場合も同じです。

完璧に好きということはないのです。
「これさえあれば、これさえできれば何も要りません」
とまともには言えないのです。

ですから、「好き」を追うことも「嫌い」を避けることも、
なんの意味ももたないのです。



また人の好き嫌いや性格は、一定して不変のものではない。

日々変わっていくものです。そうなると、追うものも避けるものも、
日々変わってしまうのです。

一生、不満と不安を経験しながら、
追われるような生き方をすることになるのです。

 
人は好き嫌いを判断基準にしないで、幸福に生きるために必要か、
そうでないかを基準にしたほうが良い。
これがこのジレンマの答えなのです。

実用主義(プラグマティズム)的に生きるべきなのです。
好きか嫌いかは関係ないのです。




 人間関係の場合は、実用主義的なアプローチも少々違います。
親しくつきあう人を選ぶときは、互いの性格がマッチするかしないかが
大事なポイントです。
強引に相手を自分の性格に合わせると、
摩擦が生じて人間関係が崩れます。

一般的な人間関係の場合は、必要があるかないかだけの基準で充分です。

必要でもないのに気に入らない人とつきあうのは、良くないのです。
人間関係は「必要」という範囲で切れば、互いの自由を保てます。



 「好き」という感情に対するブッダの教えを、
人は理解しようとしないのです。

欲に溺れて苦難に満ちた、困難な生き方をしているのです。
「好きなものがあって、好きなことをして何が悪い」と反論するのです。
 

ブッダは好きなものを止めなさいとも、
嫌なことをやりなさいとも言わないのです。
その反対も、言わないのです。


好きなものも嫌なものも、追求すると結局は同じ結果・苦難になると、
事実を語るのです。


好き嫌いに惹かれることで、
人の精神が病むことになるのです。
人格の向上は全くありえないのです。
精神的進歩も人格の向上もなく、解脱もできなくなるのです。
心が全く成長しないような生き方を、選んではいけないのです。



ただ生きていれば良い、というわけではないのです。
日々成長する生き方を、好き嫌いに関係なく選ばなくてはならないのです。
それは、実用主義、効率主義とも言える生き方でしょう。

好き嫌いに足を引っ張られることを、
仏教用語では「束縛(煩悩)」と称するのです。

好きなものがある、好きな人がいると思っている間は、
また、嫌いなものがある、嫌いな人がいると思っている間は、
人の心は煩悩に汚れているのです。


心が束縛されているのです。
好き嫌いを乗り越えたところで初めて、煩悩から心が解放されるのです。

http://www.j-theravada.net/howa/howa120.html
(↑ここから引用致しました)



No.120 (2005年 2月)

〜実用主義者は好き嫌いに悩まない〜
好きを追って、不幸にたどり着く
 Suffering is the goal of attachment
A・スマナサーラ長老

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