◆◆「敵をつくらない人間の真の生きかた」【後編】

そう考えると、自分一人の存在というものが、この社会、この国、
またこの世界の人々にそれぞれ係わっていることが分かってきます。

人類の関係が敵とかライバルとか言うもので成り立っているの
ではなく、すべて兄弟であるという発想はこういう事実から
生まれてくるのです。


それを競争こそ自分の人生を豊かにする源であるといったのでは、
人間本来が歩むべき真実の道に余りにも遠い存在となってしまいます。

そう考えるより、

いまこうして自分が生きていられるその支えとなって
くれている人に対して自分が何をしてあげられるか、

その恩恵を自分の出来る範囲のなかでお返しする、
その生き方のほうが、
実行するにしてもはるかに楽で、易しいことですし、


第一実行した自分も、恩恵を受けた相手もそれぞれに心が
豊かになり、そこには怨みも悔しさも、また奢りという感情も
表出してきません。



そういう生き方のなかにこそ、人間一人一人の生き方の意義が
見いだせるのです。

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私自身は、生きるために自分の持つ能力と才能を駆使し、
それをまた十分に生かす方法を知っていますが、その方法を誰かを
倒すためとか、誰かと闘うためになどには決して使いません。

もし、私の周囲で誰かが私を追い抜いていったのなら、それはその
追い抜いていった人のほうが少なくとも私より能力や才能に恵まれて
いたのであり、あるいはこれから成そうとしている事柄に対して、
私の力よりもその人の力のほうが必要とされていたか、
相応しいのだと、むしろ私はその人に激励の拍手を送ることと思います。



それが、その人と私がそれぞれに相応しい立場に置かれた自然な
かたちだと考えられるからです。それはそれでありがたいことでは
ないですか。


その人も私も、べつに競争したわけでなく、従ってお互いに勝った
わけでも、敗れたわけでもありません。



いづれのときか、立場が変わるときもあるでしょうし、あるいはそういう
変化が起こらないかもしれませんが、それでいいではないですか。

また、私に競争を挑んでくる人もいるでしょう。



でも、
私自身がその人のことを競争相手と見ないかぎり、私にとって
何の苦にもなりません。

お互いが同じ土俵の上にいるならば、
より才能の豊かなほうが優先されるでしょうし、

べつの道を歩むなら、
それはそれで何の関わりを持だない存在となります。


いづれにせよ、そういう気持でいれば、競争の相手という概念が
生じない世界になります。


 この世の中で、自分という人間の資質が十二分に発揮される位置に
自分が置かれることこそ幸せへの道にちがいありませんが、その方法とし
て競争という手段を行じることは、誤りです。



この世の中で、自分に係わってくれている人のことを念じ、

そのなかで日々努力精進していく過程に、

真の生きる意味を見いだすことができるのです。




●自分のことを、考えてみましょう。

私への恩恵をお返しするために何が出来ますか?
私でなければならないこととは何ですか?
私にしか出来ないこととは何ですか?
「私でよければぜひやらせてください」と言えることは何ですか?
「私にもやらせてください」と言えるものは何ですか?



パティパダーNo.1 (1995年3月創刊号)巻頭法話より
A・スマナサーラ長老

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