★たとえ小さな悪であっても

★ナ チャ クッダン サマーチャーレー
Na ca khuddam samacare

まず、クッダ(khudda)は直訳すると「小さい、つまらない、
たいした事はない」という意味です。


どんなパーリー語にも幾つか意味がありますが、
クッダも同じ「小さい」という意味もありますし、
「あまり評価できない」「悪い」という意味もあります。

その二つをつなげて、普通は大したことはないと思う出来事、

微かな悪いことでも、
ナ サマーチャレー(na samacare)やるなかれ。

たとえ小さなつまらない悪事でもやるなかれ」と。


決して自分に甘えてはいけないという意味です。
すごい人格を期待しているのです。


我々の場合は大胆な犯罪はしませんが、
小さな悪事は起きてから寝る時まで繰り返しています。



毎日の生き方を観察してみれば、我々の人生とは、

感情のままに危険な生き方をしていることにはならないでしょうか。



だから、しっかり良いことをしたいと思うならば、

銀行強盗や人殺しや麻薬売買といった大胆なイメージを
する必要はありません。

人はだいたい、大げさにイメージを抱いて善人ぶってしまう。

「何故あの人はあんなことをするのか、
この世の中は本当に良くないなぁ」とか偉そうな態度を取ってしまう。

画像


そんなことを言えた義理はないと思います。
たしかに重大な罪は犯してないかも知れませんが、


そんな例をモデルにしたら、人間は清らかにならないのです。

だから仏教は、特にお釈迦様はうるさいですよ。




『盗むなかれ』と言うならば、他人のものは、たとえ糸一本でも
盗んではならないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【ブッダの慈しみは愛を超える】
アルボムッレ・スマナサーラ大長老著書より抜粋