テーマ:実践心理学

●バカの理由(2)

●無智とは「貪瞋痴」の「痴」 無智という根源的な煩悩によって生命は生まれるといいました。 煩悩について「貪・瞋・痴」という言葉がよく使われます。 煩悩、心の汚れの中でもいちばん根本的なものが、 貪(欲)瞋(怒り)痴(愚か)の三つだということで 「三毒」と呼ばれます。 仏教用語として日本でも昔からよく使っている三毒に、…
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●バカの理由(1)

●無智に気づいて智者になる ブッダの言葉を紹介します。 「無智な人が無智であることを知っているならば、 それだけでその人は智者である。 無智なのに智者であると想う(錯覚)者こそが確かに愚者である」 <法句経63> もし自分の無智に気づいていたら、もう智者なのです。 「私は無智でよくわからないな」という態度の人な…
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◎自分が自分にたいしてひどいことをする

敵同士、憎しみ合う同士がとろうとする態度よりも 恐ろしいことを、邪に育った心は、 自分に対して行うものだ。(42) 憎んでいる者同士が出合うと最悪の状態になります。 お互いに相手を容赦なく痛めつけ、倒そうとします。 「かわいそうだ」などと決して思いません。 心が汚れていると、自分が自分自身に対してもひどいことをし…
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※長栄寺法話(3)

例えば親を憎しんでいて、「そんなのどうでもいい、 私は悟っちゃえばいいんじゃないでしょうか」と。 本当に悟っちゃえばいいんですが、悟りは起きません。 あの人格が直らないと。 お釈迦様は、「そんなの丸っきり気にする必要ないんだよ」と。 「君たちは与えられた宿題だけやって下さい。 他はすべて自然法則だ」と。 …
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※長栄寺法話(2)

冥想している真面目な若者に、質問があるのかと聞いたら、 「しっかりやろうと、一応眠気が出ないように色々やっていますけど、 ついつい妄想が入っちゃって知らないうちにそうなっている。 よくないとは分かってるんですけど又戻っているんだ」と。 で、その時のその人の心、精神状態をよく見ると、 やる気が足らないだけの話。 「…
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○自然な修行

気づきを保ち、物事をその自然なままにさせておきなさい。 そうすれば、どんな環境にいようと、あなたの心は透明な 森の池のように静まっていきます。 その池には珍しい動物が水を飲みにやってきたり、 あらゆる種類のさまざまなことが生じるでしょうが、あなたは これらの現象のありのままの姿を明晰に観察します。 さまざまな、奇妙で不思議な…
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★やるべきこと(その6)

お釈迦様の時代で起きた出来事を紹介します。 バッディヤという天然林に住んでいた比丘たちのことです。 修業の目的で森に入ったのですが、草履を履かないと生活できないところでした。 それで、自分が履く草履に注意が行ってしまった。 さまざまなモノで、草履を作ることになったのです。 それだけでは止まらないで、美しく作ることにも気…
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★「やりたくない行為」とは何でしょうか?(その4)

嫌なことではないか、という答えが浮かんでいると思います。 怒りの判断ではないかと思うこともできます。 でも、シンプルではないのです。 怒りが起こると、人は行動するのです。 やりたくない、ではないのです。 人殺しをする時でも、やりたいのだから、やったのです。 欲は意欲を起す。 怒りも意欲を起す。 …
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★イチかバチかで生きる人生(その3)

煩悩・感情を繁殖させる生き方で、心は汚れているばかりです。 理性がない心でものごとを判断しても、その判断は客観的に見ると 正しいとは言えないのです。 しかし自分は、間違った判断をしたつもりはないのです。 それでも、自分の判断に世界は賛成しないのです。 自分が好きなものを嫌う人々は、いくらでもいるのです。 …
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★「やるべきことを妨げる、やりたいこと」(その1)

すでにご存知のことかも知れませんが、 私たちは世の中のことを何でも、3種類に分けてみるのです。 その3つとは、 ①好きなもの、気に入るもの ②嫌いなもの、気に入らないもの、合わないもの。 ③好きも嫌いも関係ない、普通なもの。 これは「もの」で終わらないのです。私たちがやっていることにも、 他人がやっていることに…
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■囚われたら悟りはない

 なぜ「真理はこれだ」としがみつくことは悪いのでしょうか。 何かをつかまえたら、そこで解脱できなくなるからです。 例えば、私たちは事実を当然知らないので、 「人には魂があるのだ」と思っても構いません。 しかし、そこで瞑想をして何かちょっと身体の変化を体験したところで、 「ああ、これがあの魂だ」と決め付けてしまうのな…
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◆欲漏

人が心を育てないでそのまま放っておくと、 我々は「あれも見たい」 「これも聞きたい」「あれも食べたい」などと、 やりたいことがどんどん増えるでしょう。 「やりたいことがたくさんある」「やりたいことがどんどん増える」 という場合、 本人は人生を楽しんでいるつもりなのでしょう。 しかし、活発に生きているように見…
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★破るべきは「エゴ」という錯覚

最後に我々はどうするべきか。 我々も自我を破るために努力をするべきです。 エゴを薄くするため、なくすため、他人のことを心配するなら、 それは、『大きなお世話』にはなりません。 これはエゴに刺激を与えるという見返りのためではなく、 自分のエゴを破るための行為です。 たとえばボランティア活動をする場合でも、苦しん…
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★関わりが苦しみ

ブッダの言葉 関わりから愛着が生まれる。愛着から苦しみが生まれる。 関わりの短所を見る聖者は犀の角のごとく孤独で歩む。        「スッタニパータ」36 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは誰にでもできることではないと、誇らかに、…
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★本当の幸福は心が統一されたときにだけ生まれる

ものに依存して得る楽しみは、心の刺激のみです。 この刺激も楽ではなく、本来は苦です。 現象は無常なので楽を得ても、それは一時的なものです。 また探さなくてはなりません。 それで苦から苦へと進むことになります。 また、刺激を求めれば求めるほど、 心は依存し、奴隷になり、自由がなくなります。 で…
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★無執着へ至るプロセス

少々、説明しましょう。 眼・耳・鼻・舌・身・意に入る、色・声・香・味・触・法という情報を捏造しない。 都合によって解釈したり、執着したり、怒ったりしないで観察してみる。 我々は、何か眼に入ると捏造します。見るものに怒ったり、欲張ったりしないで、 ただ単に観察してみましょう。 たとえば、眼に何が入るのか、耳に何が入るのか…
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★心の汚れを落とす

心が弱いのは心に汚れがあるから 肉体は自由になりません。 それはおわかりのことと思います。 ですから、肉体を維持するために他人に迷惑や依存を、最小限にまで減らしましょう。 肉体はそれで十分です。 自由になれるのは心です。 しかし、その心は極限に弱く、依存しています。 心にはありあまるほどの刺激があるのに、刺激に…
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★生命は痛みでつくられ、心がそれを感じる

身体に生まれる感覚は、実は痛みです。 この肉体にある感覚も、たった一つ、痛みだけです。 どこでも触ってみてください。 何が生まれるのか。 すべての感覚は痛みだけです。 痛みがないと生きていられません。 私は何もそれが悪いことだと言っているわけではありません。 たとえば、目玉をかくといい気持ちになるのだとした…
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★慈しみを生きる衝動にする

貪・瞋・痴のエネルギーを「慈しみ」のエネルギーに入れ替えてください。 他の生命に対して、平等に、区別や差別なく、慈しみのこころを向けるのです。 人のことも、ネコのことも、アリのことも、生命皆のことを平等に心配して 慈しむのです。 そうすることで、すごく清らかなエネルギーが生まれてきます。 ★役に立つ行為をする 他…
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○感情のバランス

「感情のバランス」について考えてみましょう。 悪感情のバランスは危険です。 欲、怒り、嫉妬、怠け、後悔、焦りなどの悪感情がすべて バランスよく揃っていたら危険です。 悪感情は捨ててください。 大事なのは「善感情のバランス」です。 善感情はすべて良いものですから均等に育てたほうがいいのです。 とはいっても、すべての善感情…
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○こころに善い刺激を

私たちは日常、不善感情で生きています。 これまで説明してきたように、不善感情は大変危険なもので、 自己を破壊します。 では、破壊的ではない感情はないのでしょうか? あります。 自己を成長させ、向上させる刺激が。 生命は刺激で生きていますから、なんらかの刺激が必要です。 そこで破壊的で堕落的な不善の刺激の替わ…
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○刺激こそが生きがい

心は刺激によって回転するので、良い刺激には良い反応、 悪い刺激には悪い反応が起こります。 幸福な人は快楽に、不幸な人は苦しみに執着します。なかなかやめられません。 不幸な人に説教しても直らないのは、 その人が、依存している刺激から離れたくないからです。 まわりの人が、いくら「怠けないでがんばれ」と言ったとしても、 本…
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○刺激への執着

★生きるとは刺激を受けること 生きる事に目的はないと書きました。 では、生きることの定義はなんでしょうか。 刺激を受けると生きている気がします。 これは、生きるということの、仏教科学的な、非常に厳密な定義です。 眼・耳・鼻・舌・身・意という6つ感覚器官、6根に、色・声・香・味・触・法 というデータ(6処)が触れます。…
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■うるさい人間も接し方ひとつである

心のエネルギーを外に向けるということは、 お返しはまったく期待しないということです。 見返りを求めたら、それは結局自分のための行為、内向きの行為ですから、 結局いつものふつうの行為になってしまいます。 相手のためになることを相手のためにする。 そうするとその人は自分の味方になります。 人間同士の付…
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★★勝結・・・アディモッカ adhimokkha

対象には無数の側面があります。 私たちはその中の一つの側面だけを認識しています。 ところが時々、ある対象に自分の心がくっついてしまうような ことがあります。 それが勝結(アディモッカ adhimokkha)です。 人からなにかを言われて、その言葉がずっと忘れられないことが ありますね。心にノリでつけられたような感じといい…
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★伺(ヴィチャーラ)は天才的思考

<雑心所(6種類)すべての心に生じるとは限らない心の元素> 「尋」と「伺」について、少々おもしろい話があります。 心の中で「尋」と「伺」がはたらいているということは、単純にいえば 考えていることです。 なぜ考えるのかというと、ものごとを明確に理解するためです。 我々は一日中、なんの役にも立たない無駄な思考をしている…
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