テーマ:パティパダー

★意味のある生き方

生きることは無意味だからこそ、 私たちは「意味のある生き方」をするべきなのです。 それで守るべき項目が10項目(10善)あります。 ①殺生をしない。 ②盗まない。 ③邪な行為をしない。 身体でその3つを守る。 簡単でしょう。そんなに難しくないでしょう。 それから言葉に気をつける。 これは…
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★「心の成長」に不可欠な条件

成長には順番があるのです。 こころの成長にも順番があります。 それは当然のことです。 まず、「自我・私がいるんだ」という実感にヒビを入れないといけない。 そこからさらに冥想して、感情・煩悩が無くなっていく。 自我を破ることは、自分で踏んばってやらないといけないのです。 自我は脳がつくる錯覚です。 生存欲を維持す…
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◆いったい幸福とはなんでしょうか?(5)

☆心に「信」があれば幸福です。 これは分からないことをなんでも無批判的に信じる信仰ではありません。 仏教の信は、確信・納得という意味です。 生きるとは何かと仏説から学んで、その教えをそのとおりであると 納得できれば、「信が現れた」ということになります。 ブッダの説かれた教えに納得しなたらば、人間にとって…
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◆いったい幸福とはなんでしょうか?(4)

☆沙門・バラモンに奉仕することは幸福です。 沙門・バラモンとは、インドにいる様々な修行者のことではありません。 仏教の定義は、心を清らかにする目的で俗世間の財産をすべて 捨てて、出家になって修行する人々のことです。 この布施によって、修行者が命を繋いで修行するのです。 一般の人々にも、心清らかにするアドバイスをしてくれ…
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◆いったい幸福とはなんでしょうか?(3)

☆苦しみを無くすことが幸福です。 ブッダが説かれる「存在苦(生きることは苦である)以外にも、 色々苦しみがあります。 お腹が空いたり、猛暑なのに節電のために冷房をつけなかったり、 身体がだるくなったりすることなども苦です。 幸福ではありません。 その都度その都度、 その軽い苦しみを無くすこと、乗り越えることも幸…
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◆いったい幸福とはなんでしょうか?(2)

☆日曜必需品に対して、満足を感じられることが幸福です。 お金、家、服、食べ物、車、カバンなどの持ち物、必需品は色々です。 しかし、なかなか満足しないものです。 より良いものを望んでしまうのです。 人が死ぬまで「もっと良いものがあれば」という気分で生きているならば、 人生は不幸の一色です。 満足のパーリ語は…
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◆いったい幸福とはなんでしょうか?(1)

☆問題の発見がスタートライン 人が幸福になりたいと祈願するならば、 幸福とは何かと明確に理解しなくてはいけないのです。 その理解に達するためには、いま自分にどんな問題があるのか、 どんな悩みがあるのかと、発見しなくてはいけないのです。 人間の悩み苦しみとは、みなに平等にあります。 悩み苦しみの原因も、みなに平等な…
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○人づき合いと人間関係

たくさんの人々と付き合って生活したいと思うことは、正しくないのです。 人づきあいが苦手、ということも良くないのです。 誰とでも簡単につきあうようにすることも、良くないのです。 悪人は簡単に寄ってくるからです。 そうなると、自分も悪に染まってしまいます。 「悪人と付き合うよりは、独りで生活したほうが良い」のです。 …
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●善友

仏道の目的は完全なる自由(解脱)ですが、実践しようとすると少々、 問題が起きます。 人間は本来、執着のどん底にいるのです。 無明という暗闇のなかに彷徨っているのです。 独りで抜け出すことができるなら、誰でも本来、 解脱に達しているはずです。 しかし、自力で執着を断つことができたのはお釈迦様だけです。 …
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★どこまで努力すればいいのか

私たちが生きていく上では、どんな誘惑があるか分かりません。 調子に乗らずに努力する人には覚りに達する資格があるのです。 精神的な成長を目指す人は、「みんなやっているでしょ」 という社会の誘惑、マインドコントロールから脱出するのです。 悪を離れ、善に至るために精進するのです。 そのためには、「みんなやってる」の大合唱…
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◆冥想に「期待」は禁物

冥想とは、自分のいまの状況を破って前に進むことです。 決して、冥想に浸ることではありません。 冥想では、妄想の放し飼いは禁止です。 実況中継という鎖で、つねに自分を縛り付けてください。 「修行とは野生動物をロープで繋ぐこと」と経典にもあります。 逃げようとするこころを実況中継で止めようとするのですから、 初心者に…
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★智慧と善行為<その3>

○調和することは善行為 「生きる」ということは「行為をする」ことで、その行為は お互いにネットワークをつくって、調和し、補い合い、 協力し合って働くということが決まっています。 そうでなければ生命は壊れてしまいます。 そこで「善行為・悪行為」ということが成り立つのです。 これが最初に出した質問「善行為・悪行為は本当に…
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★智慧と善行為<その2>

○その行為は善か悪か? 次に、行為は善か悪か、ということを判断しなければなりません。 判断は簡単です。生きることを破壊する行為は悪行為です。 たとえば「生きる」というシステムの中で 一個の組織、あるいは一個の組織だけが調和を乱して 勝手に反対の行為をするとしましょう。 どうなるでしょうか? 全体が徐々に壊れ…
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★智慧と善行為<その1>

★智慧と善行為 ~調和し、補い合い、協力する~ 最初に二つ問題を出します。 一番目の問題は、善行為・悪行為と言うのは本当に 世の中にあるのでしょうか? ということです。 皆さんはおそらく考えたことがないと思います。 この答えはいったん置いといて、次の問題にうつります。 「生きる」とは、…
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▲念処経講義

◎私を知ることに智慧と言う この身・受・心・法の4つを観ると 私たちに何が分かるのでしょうか。 この身体、身体の感覚、そして心、という3つは、 私と名づけられる全てです。 その3つを観察することは、私を発見することになるのです。 主観的・偏見的な観察と違って、客観的な観察なので、 私とは何かと、ありのままの事実とし…
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○静止しつつ、流れつづける水(2)

もし今このガラスのコップが原因で苦しみが生まれて いるなら、その原因を取り除くべきです。 しかし、あらかじめ 「このガラスのコップはすでに割れている」と考察しているなら、 たとえコップが割れなかったとしても、 原因はすでにありません。 原因が無いなら、苦しみはもはや生じませんし、 苦しみは終わるのです。 …
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○静止しつつ、流れつづける水(1)

◆生きた仏教の教え アチャン・チャー 静止しつつ、流れつづける水(4) ダンマ(法)は遠く離れたところにあるのではありません。 私たちと共にあります。 ダンマは天界など高次元の神々についてのことではなく、 まさに私たちについて、たった今 私たちがやっていることについてのことです。 ご自分を観察してみてください。 …
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★やるべきこと(その5)

最後に仏教の立場から考えてみましょう。 ①やりたいこと ②やりたくない事という二つがあります。 それに ③やるべきこと、を入れなくてはならないのです。 「やるべきこと」という概念は、 人間の生き方に仏教が新たに導入するものです。 やりたいことも、やりたくないことも止めれば、 煩悩の激励で生きることにストップが…
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▲▲念処経講義から

「痛み」の正体/「痛み」が正体 身体の痛みというのはそれぐらいのことです。 気になったら痛いのであって気にならなかったら痛みはない。 そのへんは自由自在です。 身体の感覚を厳密に見てみようと集中力を育てると、 身体が全体的に痛みのかたまりのように感じる時もあります。 基本的に、細胞というのは痛みで生き…
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▲念処経講義から

<念処経とはどんな経典か> ブッダが説かれた「気づき」の実践方法 はじめに、「念処経」という経典の名前について説明します。 パーリ語ではsatiは「気づく」「何かを作る方法」「建てる方法」「やり方」という意味です。 「sati実践方法」という意味です。 これは、satiをいかに実践すればよいかという、satiそのものに…
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■智慧の扉より

お釈迦様は「一切の生命は食(滋養)によって維持されている」 と説かれました。 この言葉を中心にして、学ぶことについて説明いたします。 よくよく観察すると、箸の持ち方から宇宙船の作り方まで、 世間にある知識・能力は、たった一つ「生きる、生存する」という 目的のためにあるのです。 ですから、学ぶときは余計なことを…
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