幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ●ほめられるより大切なこと・・・・

<<   作成日時 : 2010/07/18 19:02   >>

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私は仏教の概念で生きる意味を教えられていました。
ですから、勉強することで、
なにかものすごく良いことをしなくてはという気持ちはあったのです。


色々な人が色々なものを発明して、人の助けになったと聞くと、
できれば自分にも、そういう事ができればいいなあと考えるようになったのです。

お金を儲けたいという気持ちはわずかさえも無かったのです。


どうすればお金がいっぱい儲かるかなとか、
ベンツに乗れるかなあとかいう考えは全く無かったのです。

そう言うことではなく、何かものすごい発明のひとつでも出来れば
みんなが助かる、というのが子どもの頃の夢でした。

ですから、勉強するときでもとても気持ちがいいのです。

私はそれから仏教学に入りましたが、その気持ちは変わらなかったのです。

「科学を勉強するよりも、仏教を勉強する方が人の助けになる」と、
私は思ったのです。科学を勉強しても、生活で使うものや道具、
食べるものなどを作るだけで終わりますが、


仏教を勉強すれば、死んでも、それからでも人の助けになるようなことができる。


そう思うと、充実感いっぱいにバリバリ勉強できたのです。
勉強がつまらないと思ったことは、一度もありませんでした。

面白くない本を読むと眠くなりますが、だからといって勉強をやりたくないと
思う事はなく、居眠りしながらも、これを読まなくてはいけないんだ、という
気持ちがあったのです。ですからとても元気で頑張れたのです。




それは、小さいときに母親にたたき込まれた事なのです。



「自分のために生きるのではなくて、堂々と立派な人間として生きなさい」


「自分が大きな木のようになって、
いろいろな小さな植物を助けてあげられるような、
そういう生命にならなければなりません」と、教えられました。




そう教えられると、子どもたちは決して問題を起しません。
頼まれなくても、家の手伝いをするのです。


私も学校に行く前に、家で一日に必要な水を汲んでいたのです。

小さいとき、10歳にもならない子どもが、ものすごく重い瓶を抱えて運ぶ。



母親は、やってくれとは言わないのです。


ですが見ていると、お母さんが一人で水を汲むのは重いのがわかる。
それなら私がやってあげましょうとやることにした。


でも、手は痛いは、体中痛いわ、ものすごくきつかったのですが、
私は気にしなかったのです。

それでお母さんを助けているのだという気持ちで、うれしかったのです。



そして、母親は別にほめてもくれなかったのです。




   つまり、ほめられなくても良いという事も教えられているのです。



ですから、人にほめられても、舞い上がるということは私にはありません。



その仕事が大切か大切でないか、私に必要なのはそれだけなのです。


相手に対して私の話が必要か必要でないか。
必要だなとわかったら、ほめてくれなくても水の一杯もくれなくてもやるのです。


それで私は充実感を味わう。



自分が役に立ったなあ、良かったと。
何も見返りは考えません。



今は坊主ですから当たり前なのですが、在家のときでも
考えていなかったのです。

もう悩まない
「心が軽くなる ブッダの教え」
アルボムッレ・スマナサーラ長老著書より抜粋しました


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
私は関西ではないので参加してませんが、昨日の講演会に参加された皆様に祝福がありますように。
そしてその祝福が生きとし生けるものにも広がりますように。

慈悲と智慧
2010/07/19 10:49
大勢の方が、長老様のお言葉で
安穏なときを過ごされた事と思います。

私、秀吉ではありませんが
長老様のぞうりを抱えさせて頂きました。
とても大きくてどっしりとして
暖かかったです
あん
2010/07/21 08:25
あんさん、それは貴重な経験が出来ましたね

功徳がありますように。
慈悲と智慧
2010/07/21 13:29
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