幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◎「私」は不確かな感覚の集まり(1)

<<   作成日時 : 2010/11/19 06:05   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 6

★悩みにヴィパッサナー冥想が効く理由
瞑想を実践すれば、あなたがふだん口にしている
「悩み」や「問題」のほとんどは、いともたやすく解決してしまうことが
わかると思います。

今までもお話したように、すべての問題の原因は「心」にあり、
心をきれいにすれば、当然問題は消えるからです。



人間の心は、自分自身の働きによっていつも汚れています。
生きている限り、外部からの刺激にさらされ続けるのです。



目で何かを見たとき、耳で何かを聞いたとき、
鼻でなにかを嗅いだとき、舌で何かを食べているとき、
体が何かに触れたとき、そして何かを思ったり感じたりするとき、
人間はそれを認識します。

「私」というのは、こうした感覚の集まりです。


感覚がなければ、「私」もなくなります。

つまり、人間の五感である「眼耳鼻舌身」と、
心で思うことの「意」(これをまとめて仏教では「六根」といいます)と、

六根の対象である「色・形・音・匂い・味・触れられる対象・心の対象」
(これらをまとめて「色・声・香・味・触・法」=「六境」といいます)
があって始めて、

私たちは「私」という実感が得られます。

「六根」という情報のチャンネルに、「六境」という情報が入ってはじめて
認識ができあがります。


しかし、人間の感覚というのは、あてになりません。
人間の認識は、その時々の判断によって変化していきます。

画像


たとえば、ある音を聞いたとします。

ある人は、それは「音楽」だと判断します。
しかし別のある人は、それを「自分の子どもの声だ」と、

また別の人は、「友人の声だ」「カラスの鳴き声だ」
「犬がほえた声」などと、バラバラに判断するかも知れません。


そうした判断によって、あなたの心の中も変化します。


あなたの耳に入った声が、
自分の嫌いな人の声か、
好きな人の声かによって、

心の中は、まったく違う状態になります。
音楽か雑音かによっても違います。

音楽の中でも、好きか嫌いか、好きな音楽であっても、
それを聴いたときの時間と場所、
仕事の忙しさや周囲の状況によっても、

心の状態は変わります。


私たちの感覚は、このように不確かなものです。

なぜなら、

人間には物事を「ありのまま」に見る能力がないからです。

必ず、ある種のフィルターをかけて見ているのです。



★フィルターを通した認識は「捏造」

では、フィルターとは何か。

一つは「欲」です。

私たちは常に、

自分が「こうあって欲しい」

という思いのままに対象を見ています。


つまり、「そのまま」でなく
「わがまま」に見てしまうのです。(つづく)

「心がフッと軽くなるブッダの瞑想」A・スマナサーラ長老著書より

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。毎朝楽しく読ませて頂いてます。認識や記憶があてにならないという事は、仏教の勉強をしていると、頭では分かっているのに、そんな捏造データにどうしても振り回されてしまいます。ヴィパッサナーで実践練習するしかありませんね。
かずみ
2010/11/19 07:44
昨日の午前中に、日向ぼっこをしていました。晴れていたので、暖かかったのですが、時々、小さな雲の断片が、太陽の光をさえぎります。そうすると、11月の寒さを実感するのですが、しばらくすると、小さな雲の断片がさえぎっていた太陽の光が、私に届き始めるので、また暖かくなります。心も、欲や怒りで曇ることが少なくなればなるほど、慈悲喜捨の心で生きとし生けるものを暖かく照らすことができるはず機会が増えるはずです。昔歌ったことがある歌の歌詞のように「この青い空のように澄み切った心になるように」という歌詞を思い出しながら、生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
2010/11/19 08:12
おはようございます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/11/19 08:44
正念と正知は1秒でもやれば徳を積みます。
実感を感じずらいのは私達が、欲、怒、無知の達人だからで、実感を感じなくても徳は積めています。

生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2010/11/19 12:34
↑の実感とは、徳のことです。徳を積んでいることを実感しづらいと言う意味です。
慈悲と智慧
URL
2010/11/19 12:43
最近もくぎょさんはどうしておられるのかな;;

人間はをれを認識します

おれ

いや違う?

これ

いや違う

それ

それ、それ、それ

もくぎょさんみたいに、場を和ますのは下手な僕です
才木広之
2010/11/19 22:24
◎「私」は不確かな感覚の集まり(1) 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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