幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

アクセスカウンタ

zoom RSS ★認められたいのはみんなの願い

<<   作成日時 : 2010/12/20 06:29   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 6

たとえ少欲であっても、自分のことを認めてもらいたい、
という願いだけはみんなにあるのです。
自分のアイデンティティは何なのか、とか、
人に認めて欲しい、とかは、
現代人が悩んでいる大きな問題です。



小さい時は親に認めてほしい、
大きくなってくると社会に認めてほしい、
奥さんに、旦那に認めてほしい、
自分の業績を会社に認めてほしい、

ということで精神的にすごく悩んでしまうのです。


それは自分が「偉大なる人」でない、という証拠なのです。


他人に認めてもらわなかったら存在価値さえないのです。



しかし、偉大なる人にとっては、
一般人に認めてもらっても、おもしろくもなんともない。

自分が何にも動揺しない偉大なる人ですからね。
俗世間を基準にして生きるわけではないのです。


他宗教では、一般人に受けているかどうかということをすごく気にします。
みんなの人気をとるためにはどうすればよいかと
様々な宣伝や工夫をするのです。

いろんな宗教組織では、タレントさんなんかが入信したら、
その人の名前を借りて大々的に広告塔にして、
それで一般人の関心を買おうとする。
一般人に認められようとする。



一般人が認めることがいい教えだ、と言うなら、その時点で
その宗教はダメな宗教になるのです。



なぜならば、その宗教の教えが正しいか否かの
太鼓判を捺すのは、一般人だからです。




一般人の判断を仰ぐ教えなら、
一般人にはその教えから学ぶものは何もないのです。

「たくさんの人が信仰しているでしょ、だからすごい教えではないのか」
というポイントも、説得力に欠けるのです。


この世の事実は、理性に優れた人が少数派で、
ひとの話に無批判で惹かれるのが多数派なのです。

画像



喩えるなら、一般人が知っているのは
科学者が知っている世界が違うようなものです。
事実を知っているのは、一般人ではなく科学者が研究して、
一般人にわかる範囲の事実をできるだけ単純化して面白く語るのです。

それを聞く一般人も、科学的事実をいくらか知ることになるが、
自分で研究して発見したことはないので、
人の話を信頼している程度なのです。


しかし、優れた科学者の数は少ないのです。
一般人とは比較にもならないほどです。
なのに、科学的事実を正しく知っているのは、科学者なのです。



宗教の場合は、大勢の人々が信仰しているというポイントは、
その教えが真理を語っていることの証拠にはなりません。

ただ、誰にでもわかる程度の、
一般的な話をしている教えだという証拠になるくらいのことです。



数少ない科学者も、自分の研究は誰かに認めてほしいと願う。
その誰かは、自分より立場の強い人なのです。

宗教は、たくさんの一般人に認めてほしいと思う。
その宗教の命は、一般人に認められることにかかっているのです。


認めてくれないこと、否定されることは、耐え難い苦痛なのです。
生きる気力を失うのです。

認めてもらうことは、人の命にかかわる問題になっているのです。
自分という自我意識がある一般人には、
他人がその自我を肯定してくれることが必要なのです。

他人に否定されるだけで生きる気力さえも
失う自我意識は、たいしたものではありません。
仏教は、それは幻覚だと説くのです。


「他人に認めてほしい」ということは、
「世間は優れた人々だから、その世間様に認めてもらいたい」という気持ちなのです。
そういう気持ちでいる人は、いくらたっても成長しません。



自分を照らす基準が俗世間だからです。

俗世間を基準にしていたら、
俗世間のレベルを乗り越えることなどできないのす。



「偉大なる人の思考」アルボムッレ・スマナサーラ長老

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
肝心かなめのところは、だれにも知られないように行う

誰しもそうではないでしょうか

それでいて、普段の生活では、オチャラケて見たり

楽しく過ごす

決して、賢者は、一般人には見抜けない

それでいいと思います

それだからこそ賢者とも言えそうですが

ブッダは特別ですが、私たちの中の賢者とはそのようなものではないでしょうか

子供がいれば、共に楽しく遊び、バカなことを言って、楽しんだりと

それでいいと思います

幸せであろう
才木広之
2010/12/20 07:35
おはようございます。

俗世間が嫌で、怒りの気持ちから、周囲を見下し、世間の評価など無視する。ということがあるので、慈悲の気持ちを強調しているのだよ。という趣旨のことをスマナサーラ長老がおっしゃっておられた記憶があります。

重要なことだと思いました。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/12/20 08:57
このブログのコメント欄を見ていても今回の法話の意図が汲み取れるかもしれませんね。
自分や他人のためになるコメントを書こうというこころで書いているコメント。自分の見解を見てもらいたい、認めてもらいたいというこころで書いているコメント。
色々あると思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/12/20 10:15
目指すのは「精神的自立」
「孤独を恐れない強さ」
どうしたって迷惑をかけて生きている自分だから、自分ができる可能なことはきちんとしなくては

生きとし生けるものが幸せでありますように
358
2010/12/20 17:38
まずは、身近な人に信頼してもらえる
頼れる人格を作る。
人が困っているときには力になってあげたい。
慈しみの気持ちで精進して
まいりたいと思います。
ブッダの教えは力強い支えになっております。
心のだまし機能に振り回れないように
しっかりと観察していきたいものです。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2010/12/20 17:38
新さんのコメントまったくです

慈悲の冥想は、一般生活に、ひき戻してくれる、道具です

仏法を、学ぶと、気持ち良くなっていく自分がいます

行き過ぎると、相手の方からみると、「自分ほど正しいものはない」という態度が嫌いだ。

確かに言ってることは、間違いでなくとも、その態度が、腹立たしい、と思わせる。

慈悲の冥想は、社会生活の、感覚に、ひき戻してくれます

しかし、仏法につかってる時は、自分は、すごく気持ちいいんだよね


才木広之
2010/12/21 00:52
★認められたいのはみんなの願い 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる