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zoom RSS ■邪思惟とは何か

<<   作成日時 : 2010/12/31 07:17   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 8

1、欲の思惟「欲の思考」です
2、怒りの思惟 これは怒りというより、「瞋恚の思考」です。
3、害意の思惟「害を与えたいという思考」、加害者の思考です。


人間というのは、46時間中考えていることの中身を見ると、ほとんど
このカテゴリーに入ってしまうのです。

勉強したい、合格したい、遊びたい、仕事をしたい、
金を儲けたい、結婚したい、昇格したい、有名になりたい、などなどの思考は
「欲の思惟」です。


嫌だ、やりたくはない、あの人は邪魔だ、足を引っ張っているのだ、
経済状況が悪い、友達がいない、何をやってもうまくいかない、
などの思考は「怒りの思惟」です。


攻撃する気持ちになったり、仕返しする方法をたくらんだり、
戦うことを好んだり、他人を敵視したりする思考は
「害意の思惟」です。



我々の頭は、この3種類の邪思惟でいっぱいになるのです。
幸福になる思考をする余裕も能力もないのです。

お釈迦様はこの邪思惟(間違っている思考)のセクションでも、
あいまいさなく完璧に語られているのです。



私の邪思惟の説明と、この経典の内容は合っていないことは明確に見えます。

なぜならば、私は思考・概念の一切を「邪」にするからです。
しかし、私はお釈迦様の言葉を参考にして話しているのです。

私が参考にするのは、解脱に達するとは、一切の思考・概念を乗り越えることです。

「乗り越えるべきものは、悪いものだ」と、私が勝手に決め付けたのです。



冥想実践する人にとっては、思考を乗り越えるために、
そのように極限的に言ったほうが
良いのではないか、という判断です。


完璧に語られるのは、お釈迦様だけです。
我々の話は、不完全そのものです。


一切の現象は無常である、苦である、無我である。
一切の現象は因縁によって成り立つ。
このような思考は、真理なのです。


ふつうの人でも、自分の思考を
「無常」の尺度から見られるように改良するならば、
邪思惟だとは決して言えないのです。

この場合は、「考えは正しいです。
しかしまだ真理に達していない」と言える状態です。



ですからお釈迦様が、邪思惟を説明される場合は、

人間の一切の思惟の中から、
断言的に邪思惟だと言えるものを明確に区別して、語られているのです。

その方が、私たちもあいまいさなく、疑いなく、理解することができるのです。

「一般・俗世間の人々が解脱に達するまで、成長の道は正見に導かれるのだ」
というポイントをこのセクションでさらに説明なさっているところです。

正見が邪思惟をなくして、正思惟にしてくれるのだと説かれてあるのです。

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画像


■邪思惟(1)ー欲の思惟

邪思惟の第一は、欲に関わる思考です。
眼耳鼻舌身意を楽しませる、つまり六根に刺激を与えることでしょう。
だから身体にどうやって刺激を与えようかと、そればかり考えるなら、
これは邪思惟なのです。

世の中は朝から晩まで、どうすれば楽しめるのかと考えているでしょう。
すべての学問も知識も研究も何でもかんでも、

「刺激を与える」ということなのですね。


だから仏教から見れば、社会発展というのは、
それほど評価できるものではないのです。



結局は刺激を与えること以外、何も考えていない。
そいういうわけで、世の中の思考は邪思惟に決まっているのです。

「欲に関わる思考は邪思惟だ」という、
お釈迦様の言葉には反論できません。
頭の中を調べてみれば、欲に関わる思考で一杯かもしれません。

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■邪思惟(2)ー瞋恚『しんい』の思惟

2番目の「瞋恚」「怒り」「憎しみ」に関わる思考も邪思惟です。

更にもう1つ「害意」、「害を与えたい」という思考も邪思惟であるといいます。

「害意」は怒りなのですが、別な枠にしています。
何か意味があるかもしれませんが、
残念ながら注釈書では、そこらへんは研究していないのです。



「瞋恚」というのは自分で怒りを繁殖させることだから、
いわゆる妄想の世界です。怒りの思考、「あれも悪い、これも悪い」
という感じで、ずーっと思考を連続して回転させる。「瞋思惟」になります。

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■邪思惟(3)ー害意の思惟
次に「嫌なものは壊したくなる」「害を与えたくなる」のが強烈になっているのです。

しかし、怒りがなくても、破壊する場合もあります。


たとえば、自然破壊のほとんどは「欲」で片っ端から破壊しているのです。
金の砂があると分かったら、掘って掘って掘りつくして、
山が崩れても環境がどうなっても気にしない。

それは破壊していますが、別に「怒り」というわけではないのです。
そういう差があるから、瞋恚と害意という2つにした可能性があります。

例えば、文化遺産を守っている街で、
文化財に全部落書きされたというニュースもありました。
それも害意といえる破壊行動なのです。

漁師はどのようにすれば自分の腕が上がるのかと
研究したりする。様々な魚具を開発したりもする。

それは知識目的や研究目的でやっているのではないのです。
目的は「大漁」です。
要するに無数の魚たちにいかに害を与えるのかと考えることです。
この場合も漁師たちは魚のことを恨んでいるわけではないのです。


魚は敵軍ではないのです。
このように考える時も、頭の中が害意でいっぱいなのです。

敵や嫌なものを壊してす清々したいと思う場合は、怒りの害意です。

大漁を考える場合は、怒りよりもぼろ儲けが表の思考です。
しかし、怒りなしに害意は成り立ちません。

魚は美しくてとても可愛いと思ってしまうと、殺せないのです。
そのように人々は、

怒りななくてテロリストのように破壊行動をしているのです。
テロリストの場合は明らかに「怒り」です。


それで考えてみましょう。

46時間中、我々の頭は

いかにして楽しい刺激を受けられるのかと考えている。

それから、ネガティブ思考で、怒りの思考で、落ち込んだり腹が立ったりする。

次に、かなりの時間、害意に抑えられて生きている。

ということは、人間の思考というものは、何を隠そう、
すべて邪思惟になるのです。



本当に我々の心から、「欲」と「瞋恚」、そして「害意」の3つが抜けてしまうと、
考えることは何もなくなってしまうかも知れません。

ですから、思考というものはダメなものなのです。


テーラワーダ仏教協会の施本
「八正道大全」ブッダの「偉大なる40の法門」
A・スマナサーラ長老講義 P66〜72より抜粋

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。

358さんより、今年はどんな年だったか?と言われたので、自分なりに答えてみます。

今年は色々な方にファンレターを贈りました。

今日はスピードスケート総合優勝の羽賀選手に出す予定です。

新聞で見たことに関して、ジャンルを問わず、成功した方々に祝福のメッセージを送るようにしてます。

最近では、ノーベル賞の鈴木章さん、今年のスポーツ大賞に輝いた横綱白鵬。それから、年間ベストセラーの、ドラッガーの「マネジメント」からヒントを得た方、名門ベルリンフィルのコンサートマスターになられた方、早大のエース等々です。

他人の成功を自分のことのように喜ぶ。ムディター。

しかし、やってみると、好きなジャンルには筆が進んだり、進まない時はそこに「怒り」があったりと、そうそう簡単には、ジャンルを問わず自分のことのように喜べないものです。

原因はやはり、思考、概念にあるのだと思います。

スピードスケートなども「下らない」などという固定概念で見てましたから。

まあ、そんな私ですが、来年も皆様宜しくお願い申し上げます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/12/31 10:08
新さん、お答えいただきありがとうございます^^
ファンレターを贈る
「他人の成功を自分のことのように喜ぶ。ムディター。」
素晴らしい「実践」ですね

まだまだ自分には「実践」としてできることが沢山あるなぁと思いました。
「どれだけ実践できるか」ってことが一番大切だと思います。
慈悲と智慧さんのおっしゃっていたコンビニ募金もそうですね

来年のテーマは「実践」で頑張ってみようと思いました。

ありがとうございます

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜


358
2010/12/31 10:31
 スマナサーラ長老の説法では、

 「他人の成功を我がことのように喜んで、祝福する。ムディターを日本語に訳すならば、その『祝福』という『嫉妬』の反対の言葉がふさわしいかもしれません。

 ムディターの対極にある嫉妬のはたらきを理解すると、ムディターが実践しやすいかもしれません。」

 となっています。
 
(「ブッダの瞑想法は、こんなに簡単です」協会施本39頁。おそらく絶版)

 私が、思うに、「嫉妬」というのは、「同じ土俵の上」にいる人におきやすいように思います。

 たとえば、大学受験の勉強をしているならば、大学受験の勉強している人たちは同じ土俵の上にいるわけです。
 なので、「嫉妬(競争心を含む。以下同じ)」したりするわけです。

 イチローに嫉妬する人は、同じ野球人でしょう。よっぽど精神的におかしい人でない限り、野球の土俵の外にいる人は嫉妬しないと思います。

 昔から、お坊様同士では激しい嫉妬があるということも聞きます。

 (ちなみに、スマナサーラ長老にそのような嫉妬心がないことはいうまでもありません。ですが、スマナサーラ長老に嫉妬心を持つ人は今も昔も絶えないと思います。能力があまりにお有りですから。)

 なので、我々が、ムディターの実践をするときには、同じ土俵の上の人、例えば、修行が成功している人を喜ぶとか、仏教の能力・才能が高い人を喜ぶとか、そういう方向性が大切なのではないかと思います。

 つまり、自分の修行を成功させる、解脱するためには、他の修行者の成功を喜ぶということが、善因善果の法則からいって大切だと思うのです。

 他の修行者の成功や、他の修行者の能力・才能に嫉妬したり競争心を持ったりすれば、悪因悪果の法則により、修行が進まなくなるように思います。
ヴィーナス
2010/12/31 12:37
ヴィーナスさん。

同じ土俵という点は大切なポイントだと思います。

ファンレターでは、具体的にその方のどのようなことが勉強になったか。を書くようにしてます。

そのことで、気持ちの上では自然と同じ土俵に乗ることができます。

何故なら、勉強になったこととは、本来自分にあってほしいものを、その方が持っているケースになるからです。

2010/12/31 13:31
 文字数制限で、前のコメントは新さまのコメントに配慮することができなかったのですが、悪い方向での土俵と善い方向での土俵は分けて考える必要があるかもしれません。

 善い方向の土俵はどんどん広げて行った方がよいわけです。「生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように」というムディターの実践はまさにそういうものだと思います。

 しかし、悪い方向の土俵は、もう各人、無意識に設定してしまっていると思います。

 人によって違うとは思いますが、例えば、テーラワーダ仏教の実践をしている在家の人ならば、同じテーラワーダ仏教の実践をしている在家の人が同じ土俵として設定されていることが多いと思います。

 特に真剣に実践している人であればあるほど。

 真剣に実践していない人というのは、どっか別のところに土俵が設定されていたりすると思います。

 テーラワーダの在家の人の中には、当然、普通のお坊様よりも、才能豊かな人、修行が相当に進んでいる人がいることは大いにあり得るわけです。

 何といってもスマナサーラ長老の下で学んでいるわけですから。

 そういう人をお坊様ではないからといって軽くみてしまうと(嫉妬してしまうと)、大きなしっぺ返しをくらうと思います。

 なので、そこは、日頃から、ムディターの実践として意識しておいた方がよいのではないかという趣旨です。
ヴィーナス
2010/12/31 14:10
来年は実践出来ているかにより重点をおいて行きたいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と知慧
2010/12/31 14:54
そういえば、機関誌のお布施欄で、新さんのお名前(この前協会の方に教えていただきました)をたくさんお見かけしました。感心いたしました。
功徳がありますように。

私はユニクロの愛用者なのですが、日々の掃除や大掃除で集めた古着をユニクロを通じて難民の方々に届けたいと思います。今は、一年中回収しているようです。
慈悲と智慧
2010/12/31 17:01
慈悲と智慧さん。

そうでしたか。慈悲と智慧さんの善行為に随喜いたします。

私も今年はパレスチナ難民基金とチェルノブイリ子供基金に少しではありますが、協力させて頂きました。

この功徳を全ての生きとし生けるものに回向いたします。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2010/12/31 17:16
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