幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆「敵と味方の見分け方【前半】」

<<   作成日時 : 2011/01/12 06:32   >>

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 「敵と味方の見分け方【前半】」 〜自分のこころを育てるために〜
人が生きるためには自分の敵と味方の区別をまず知ることです。

結果として自分の人生を不幸にするものは敵となるでしょうし、
幸福な生き方を手助けしてくれるものは味方ということになります。
ですがこの場合、こちらのご機嫌を取って人をいい気持にさせる
だけの相手はほんとの味方とは言えません。

そのことはよく承知しているのですが、そういう自分の肩を担ぐもの
につい親しみを覚えるのもまた人間の共通する弱みと言えます。
逆に、長い目で見れば自分のためを思ってくれて厳しく指導して
くれる人がいても、私たちはついそういう人のことをうるさい人だ、
と疎んじてしまったりするものです。

 また一方で、人に騙されたり陥れられたり、上手い話に乗せられて
不幸な目に遭うこともしばしばです。
結局、私たちには自分のためを思ってくれる人とそうではなくて自分の
利益になるからという理由だけで私たちを利用しているだけの人との
区別は容易にはつかないものです。

また、善意から自分にいろいろ教えたり指導してくれたりする人が
いますが、その通り実行したからといって必ずしも両者の思惑
どおりに幸福になるとは限りません。

幸福に生きるというのは至難のわざです。

画像


 ここで「敵」「味方」がもっとも確実に見分けられる方法を考えて
みましょう。
人間は考えて行動を起こします。行動の方向性はその人の感情、
知識、理解能力、好み等によって変わります。
人とつき合うのもこれは同じです。

私たちのことを心配してくれる人、私たちを利用する人に対する
私たち自身の態度も「こころ」の働きによるものです。
そうなると一時的な感情に引きずり込まれやすい「こころ」で
生きている人ならば人間関係によって不幸に陥ちこむ危険性が
高くなります。
要するに「こころ」が正しく働くならば、私たちは人間関係でも
不幸にならないということです。

 「こころ」が自然に正しく働くならば幸いですが、実際にはそうでは
ありません。
「こころ」という働きは瞬時に変化する。環境やそのときにおかれた
状況によって、すぐに変わってしまいます。
今の瞬間のこころの状態が次の瞬間はどのように変化するかは
本人にも分かりません。
「こころ]の変化は自分ではどうすることも出来ません。

きょう歓びに満たされていても、明日はそれが悲しみや怒りに
変わることは始終あることです。

 「こころ」はいろいろな経験の影響を受けて、それによって方向性を
変えていくという性質も持っています。
一度方向性が定まるとずっとその枠から抜け出ようとはしません。
例えば、煙草、酒、ギャンブル、遊興等に魅せられると、それがもたらす
不幸な結果を承知していながら、断ち切るのは簡単ではありません。

人間関係でトラブルを起こす人は、それをよく繰り返します。
人とのトラブルで会社を辞めた人は、次の会社でも同様な失敗を
繰り返す恐れがあります。
これらは、先に述べた「こころ」の方向性に原因があるので、
「運命だ」「業」だとばかりは一概には言えないのです。
反対に「こころ」が「良い方向」を持てば人生は幸福に向がって歩み
はじめます。

・・・・・つづく

パティパダーNo.13 (1996年3月)巻頭言
 「敵と味方の見分け方」 前半より
 A・スマナサーラ長老

http://www.j-theravada.net/howa/howa13.html

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
ここにいます。ギャンブルにもはまり、たばこも吸い、お酒も飲んでた、この私がここにいます。

結局は、自分だけでは済まない。というところに行きつき、止めざるを得ないという感じに、なりました、

才木広之
2011/01/12 07:31
ひたすら正念及び正知時々慈悲の瞑想の実践あるのみ。
生きとし生けるものが幸せでありますように
慈悲と知慧
2011/01/12 07:35
おはようございます。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

2011/01/12 08:30
常々思っているのですが、テーラーワーダ仏教は2部制だと・・・もちろん主観ですが。
一つは慈しみの心の理解(学科のイメージ)
二つ目はサティと冥想(実技のイメージ)

学科の方は随分頭に入って来た気がしているのだけど、実技の方はなかなか出来ていない。

学科・実技ともクリアしてはじめて免許取得ということかなって思ってます。

逆に言えば実技の上達無しには到達できない道。

だからこそ、仲間の存在はありがたい。
あの人も、この人も実践、がんばってる。

僕も頑張らねば。
自我を捨てる道も、プロセスでは自我を利用して、みっともない自分にはせず、一緒に頑張ってる人に恥ずかしくないよう、みっともなく無いよう、やってみる。
仏教の仲間は、依存したり、群れになって安心したり、そんなものであってはいけないと思う。

各々が何にも、誰にも依存せず、自立し、それでいて、心の励み、支えになる
ダンマサークルやこのブログを通じてもそんな法友に恵まれ、大変ありがたく思ってます。

生きとし生けるものが幸せでありますように

358
2011/01/12 16:30
やっぱり、みんなで協力しあうのは
いいですね〜
慈しみの祝福法要会だったと思いました。

ワンギーサ様にも「あん」からご挨拶できました。
スマナサーラ長老からは、私へのメッセージ
かと思われるご指導を(勝手にではありますが)
頂きました。

ここにコメントくださる方々ともご一緒に
お手伝いができました。
充実の3日間でした。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あん
2011/01/12 21:28
9日にゴータミー精舎に足を運ぶと、ヤサさんもワンギーサさんもいなかったので、残念に思っていましたが、その分、マーヤーデーヴィーに三宝の光が降り注いだことが、コメントを通して伝わってきました。うまくいえませんが、「世の中は何か常なる明日香川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」だなとつくづく思いました。
ぱん
2011/01/13 20:54
◆「敵と味方の見分け方【前半】」 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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