幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ◆他人の権利を奪わない

<<   作成日時 : 2011/08/01 06:52   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

平和で幸福に生きていたいと思う生命が、
決してやってはならないことは、
ほかの生命の生きる権利を踏みにじることです。


「権利」には二種類あることを知って知っていますか?

ひとつは給料をもらう権利など、条件つきで得られる権利です。

条件は働くことで、働かない人は権利を得られません。

もうひとつは、条件不要な「生きる」権利です。

全生命に無条件に備わり、決して奪ったり奪われたりしてはならない
ものです。



「なぜ人を殺してはいけないの?」
という子どもの疑問に答えられない親が増えていますが、
殺人とはほかの生命の生きる権利を無にすることであり、
そんな暴挙は許されません。


だから、人を殺してはいけないのです。

生命には「自業自得」の原則があります。

殺人者が被害者に与えるのは、最大の苦しみ、恐怖、悲しみ、
失望であり、殺人者は必ずそれらのすべてを得ることに
なります。


精神的・肉体的な苦痛を与えれば、同じ生命である自分の精神
と肉体に返ってくると決まっているのです。


画像



人の命を奪うことは、平和で幸福に生きる自分の権利をもドブに
捨てることになります。


絶対に手を染めてはならない大罪なのです。



「こころを清らかにすることば」
アルボムッレ・スマナサーラ長老著書






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ブッダのお覚りまでの道のり。

ちょうど、干ばつで明日にでも木としての生命が終わりそうなとき、水を与えられると自然と、木としての生命を生きようとするであろう。

ブッダの苦行の後の乳粥を与えられた後の座る冥想は、自然と人間としての生命を生きようとする過程でのお覚りではなかろうか。

このことを参考にすれば冥想の進み具合は格段に良くなると思われる。

親心を持って我々に教えてくださったブッダは、弟子思いで苦行では覚れないとおっしゃられた。

が、苦行があって、その後に覚られたことは、事実であると思われる。

同じように我々が、一気に覚ろうとするには、山にこもるしかないことは承知で、それが出来なければ覚れないのかと、あきらめが我々に起こることも充分承知の上で、

少しの栄養不足を起こさせ、その後に、少しの食べ物を取り、人間としてあるための生命力を起こさせ、その生命力によって冥想を行い体験をし、その少しの成長の体験を繰り返し、真直ぐにその体験にたどり着けるように心で覚え、

その後、もう少し次の体験までの道のりを心に覚えさせ、それを繰り返すうちに、覚りを得られるというわけであろうと、私は気づいた。

ですからこの方法であれば、在家者でも覚ることが可能なのである。

もちろん出家者であれば、苦行をし、その後自然の体としての生命力を生かせば一気に覚ることができよう。

水をやらずして枯れかけた花に、少しの水でも与えれば無理なく花であろう生命力が働くので、苦を感じることなく、体にとらわれることなく、心を見られるといったわけではなかろうか諸君
才木広之
2011/08/02 01:31
そうかもしれませんね。

しかし、周りを見渡せば世の中苦行ばかりだとも思いませんか


あん様

あん様のブログを拝見していつも心が清らかでいられます。
ありがとうございます。
静安
2011/08/02 08:12
◆他人の権利を奪わない 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
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