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zoom RSS ★自己欺瞞の演技・欲編:少欲

<<   作成日時 : 2012/01/25 18:16   >>

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Appicchataは少欲。
少欲はお釈迦様が推奨している素晴らしい善です。
しかし、ときどきそれはいろいろな”被り”をします。

少欲というのは自分の心にあるもので、
人は少欲にならなくてはいけません。


ところが心には欲があるから、いくらあっても足りない気分になるのです。

そこで自己観察をして、どれくらいの量があるば十分なのかと考える。

コントロールするものは、いろいろあるはずです。


そうやって、欲を控えます。
たとえば60歳になっても、いまだに若い女の子に
欲情する人でも、もう60歳だからいい加減にしろよと、
自分の心に言い聞かせて、異性に対する興味を抑えるのです。

食べるときでも、あれも食べたいこれも食べたいではなくて、
年齢的にもこれくらい食べればもう十分だと、自分の心に言うのです。

これを続ければ、心の欲がなくなっていき、
人格は確実に向上します。

画像


しかし、世の中にはつきあいと言うものがあります。
人からものをもらうことによって、その分責任が生じます。
責任を果たすのが嫌で、いりませんと、少欲を演じてしまう人もいます。

また、出家の世界では、何もいりませんと言って
衣と鉢とベッド一つだけで生活します。

すると信者さんが、あのお坊さんは素晴らしい、少欲だと言って、
一生懸命お布施を持って行くのです。

少欲を謳っているお坊さんたちのお寺に行ったら、
ものがあふれかえっていた、ということもありました。



お釈迦様はちゃんと戒律を決めています。
少欲を実践しているのに、信者さんが勝手にものを持ってきた場合、

その場ではもらってもいいけれど、すぐに処分するか、
持ち物が少ないお坊さんを探して、配らなくてはいけないのです。


ほとんどの出家はそういう生き方をしています。

ですから私は皆さまから物をもらうのを遠慮するのですが、
もらった時はほかのお坊さんのところに、
「これもらったぞ」と言って、持っていくのです。

相手も、自分に必要なものがなら遠慮することなく、
「はい、どうも」と言って受け取る。

私の所にあるのもでも、お坊さんが来たら、着るもの以外は
勝手に持って行っていいと言います。
出家というのはそいういう生活をするものなのです。

けれども、少欲を謳うだいたいのお寺は、
たくさんのものを倉庫に保管しています。


結局は、自分が信者さんに認められ、
褒められることに喜びを感じているのです。


<P153〜P155>

ありのままの自分】アイデンティティの常識を超える
A・スマナサーラ長老


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