幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

アクセスカウンタ

zoom RSS ★正命・・・八正道D正しい仕事

<<   作成日時 : 2013/05/07 14:49   >>

驚いた ブログ気持玉 18 / トラックバック 0 / コメント 0

正命という言葉は誤解しやすいと思います。
パーリ語はsamma-ajiva(サンマーアージワ)です。
アージーワとは、「何をして生計を立てているのか」という意味です。
要するに、仕事のことです。
「間違った仕事をして生計を立ててはいけない」と言えば、
あまりにも当たり前のことです。
わざわざお釈迦様が語る必要もない項目です。

しかしこの項目も、
お釈迦様が覚りを開いてからその智慧に基づいて
語られた真理なので、誰にでも簡単に理解できる
単純な言葉にはなりません。


では仕事とは何でしょうか。

為すべきことです。行わなくてはいけないことです。
生きるために、当然、行わなくてはいけない行為なのです。


自分が何かをしないかぎり、何かを得る権利は得られません。

土を耕して種を蒔いて、水と肥料を施して、雑草を取ったりすると、
自分が蒔いたものを自分で収穫する権利が生じます。

それが与えられたものになります。
それで生計を立てるのです。

人の役に立つこと、人に頼まれて行うことが、仕事です。

それによって自分が収入を得るのです。


頼まれてはいけないのに必要なことを他人にしてあげるという場合は、
他人がその見返りに何かを与える義務は生じません。

これは、いま、「ボランティア」と言っていることです。
しかし、ボランティアは、自分の収入にはならないのですが、

自分が幸福になる権利を与えてくれるのです。
仏教用語では「業」といいます。


ですから、見返りを期待しないで他人に奉仕しても、結局、
その行為の善い結果は自分に返ってくるのです。


期待されている仕事の量があまりに大きくて、
自分がもらう報酬が少ないのだとわかると、
その人はいとも簡単にその仕事を断ります。

仕事量が少ないのに報酬が仕事に見合わないほど高い場合は、すすんで
その仕事をやりたくなります。
これは人間のふつうの気持ちです。


この両極端は、仏教的に考えるとよくないかもしれません。

自分がしてあげる仕事の量に見合った報酬があったほうがよいのです。
ぼろ儲けをする気持ちも、人の労働を搾取することも、不善なのです。

それはケースバイケースで考えなくてはいけません。


生きるために必要な報酬をもらうために、仕事をしなくてはいけません。
その仕事というものは、必ず人間に関係ある行為なのです。


また、人間がその仕事を要求しているのです。
しかし、人に頼まれたから、報酬をもらうからといって、
何でもよい仕事になるとは限りません。

人はよいことも、悪いことも、要求します。
悪いことを要求する場合は、決まって報酬がとても高いものです。
麻薬の密輸を頼まれたり、法律に反することを頼まれたりする場合は、
高い収入を得ることができます。

人間は欲深いので、報酬の高いほうに釣られてしまうものです。
簡単に高い金額が手に入る方法を選ぶのです。
でも、このような生き方は正命にはなりません。

人を助ける、人のためになる行為のみが、正命(正しい仕事)になるのです。

「収入を得る目的でいかなる生命にも迷惑をかけない」という気持ちで、
仕事を選ぶことが正命なのです。


画像


それで、正命になるためには、いくつかの決まりがあります。

@生計を立てる目的で殺生はしない。
A生計を立てる目的で与えらていないものを取らない。
B生計を立てる目的で邪淫をしない。

他の生命に害を与えることを仕事にすると、それが邪命になります。


いかなる理由があっても、生命を奪うとその悪行為は業に加算されます。

商売の場合も、麻薬・毒・武器などの製造と販売は
仏教徒が止めるべき仕事だと説かれています。


同時に、動物の売買もよくない仕事だと言われています。
おそらく動物の尊厳を無視して品物扱いすることが
よくないと言っているのでしょう。

仏教が推薦する正命とは、人間の役に立つ仕事でありながら、
一切の生命の迷惑にならない行為なのです。


一見無理なように見えますが、それほど実行しにくいことではありません。
他人がやっていることにかまわず、自分自身がよい仕事を選べばすむ話です。

言葉が仕事になるときも、それは正命でなければよくないのです。
ということは、たとえ収入になるからと思っても、ウソをつくこと、
粗悪語を使うこと、噂話と無駄話は、避けなければいけません。



生きることにあまりにも執着している人々は、
収入だけを気にして手段を無視します。

生きることは尊いものではなく、苦しみの連続なのです。

仕方がなく生きているだけのことです。


「何としてでも生き続けなくてはいけない」と思うよりは、

「何としてでも生きることを乗り越えて、解脱に達しなくてはいけない」
と思うほうが理性的です。

生きることが何よりもありがたいと何の根拠もなく
感情的に決めつけてきたから、生きることに異常に執着するのです。

「生き続けるためなら手段を選ばない」という生き方になるのです。
生きることが少々苦しくなっても、邪命を避けて正命で生計を立てるべきなのです。

その結果として、生きることがジワジワと楽になり、
執着が減っていきます。心が解脱の方向に赴くのです。

<P171〜P179>



「これでもう苦しまない」
アルボムッレ・スマナサーラ大長老の著書より抜粋致しました

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 18
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス
面白い
★正命・・・八正道D正しい仕事 幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる