幸せに生きる〜ブッダの智慧から学ぶ〜

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zoom RSS ★快楽ではなく智慧を探し求めよう

<<   作成日時 : 2013/06/10 08:00   >>

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『なぜ笑う。何が楽しい。
炎に包まれている(燃えている)のに。
暗やみに覆われているのに。
なぜ光を求めないのか。(146)』


私たちは絶えず「何をして遊ぼうか、何をして笑おうか、
何をして楽しもうか」という衝動に駆られて生きています。

それは子供の生き方を観ているとよくわかります。
子供はいつも「今日は何をして遊ぼうか」ということばかり考えています。

いわば、それが子供の人生哲学なのですが、
実際には死ぬまでその哲学は変わりません。


私たちは周囲の人々から何を言われても、
「何をして遊ぼうか」という哲学で生きています。

当然、大人になるにつれて社会的な義務や責任が生じてきますから、
仕事をしなければいけないし、家族も守らなければいけません。

必然的に遊ぶ暇がなくなるだけのことであって、
子供の時の哲学が変わったわけではないのです。


だから、機会があったら、だれとでも遊びます。
とにかく楽しもうとする。それが人間の生き方です。


それをブッダは「あなたは何をして笑っているのか」と指摘されているのです。
この世の中で、笑うものは何もないのです。
泣けるものなら、いっぱいありますが・・・

日常的にはいろいろな笑い話がありますが、
わざわざ人々を笑わせるために、
ありのままの現実(自然)や法則をねじ曲げたもの・・・
ナンセンスであり得ない話ばかりです。

しかも人々はなんの意味もない話ほど、笑ってしまします。
楽しむ場合も、自然のままでは楽しめないのです。
何かふざけたおかしいことをしないと。

ここで二つの論理が出てきました。
一つは生まれてから死ぬまで、人間の哲学は「何をして遊ぶか」
であるということ。
二つ目は遊びの楽しみが「ありのままの事実ではなくて、それに逆らってふざけることにある」
ということです。

まったくとんでもないこと、あり得ないことを、いきなり言われると
大笑いしてしまう。ありのままの事実では、笑えないのです。

自分たちの喜びだけを考えて、人をいじめて楽しむとか、
人の財産を奪って喜ぶといった現象が起きているからです。
こうした行動が正当化されたら、世界はどうなってしまうのでしょう。
みんな無知で終わってしまいます。

ありのままの事実は見えなくなって、社会の秩序が壊れてしまうのです。
極論に聞こえるかもしれませんが、こうしたことはすべて
現実に起きている事実です。

画像


遊ぶことは悪くない、楽しめるのならなんでもいい、ということは
世間では絶対にあってはならないのです。

それは愚者の道になってしまいます。
この場合は私たちが生まれつきもっている哲学を変えなければいけません。
何をして遊ぶかではなく

「生きるとはどういうことなのか」を直視するのです。


常に何をして遊ぼうかという衝動に駆られる気持ちはわかります。
それは決して自分が育てた考え方ではなくて、無知である人間に
そなわっている感情だからです。


そもそも人間にとって生きることは大変だから、遊びたくなるのです。
本来、生きることはおもしろくありませんから、
人間はおかしいことをして楽しもうとする。
それが人間の判断ミスなのです。

生きることがまったくおもしろくないのであれば、
生きることに執着などしません。

人生を楽しむために事実をねじ曲げておかしなことをするというやり方は、
仏教では認めていません。

だからブッダは常に自然の法則を変えずに、理性的な答えを私たちに
示されているのです。


自然の法則の中では生きるということは、
おもしろくないし、大変苦しいものです。


人生は苦しみに満ちているのがふつうですから

「どうすれは生きることに執着できるか」と考えること自体が間違いなのです。

だから、やるべきことは、「もう、いいや」と執着を捨てることです。

・・・・・・・・・

ですから常に楽しみを追うのではなくて、いつでも充実感を得て
満足できる人生を歩むことが大切なのです。


淡々と、やるべきことをやっていれば、そんなに苦しみは
感じないし、何をして遊ぶかなどという余計な心配もありません。

仕事が終わったときに何をして遊ぼうか、と考えるのは、
それまでの仕事がいかにつらかったか、ということです。


仕事をしながら充実感があったならば、「ああよかった」という気持ちで
終わるはずです。

何をして遊ぼうかという発想は出てきません。
生きる道を間違えてる私たちに、

ブッダは「光を求めなさい」と言われています。
「智慧を求めなさい」という意味です。


それは何もトラブルを起こさず、問題を起こさず、破壊にいたることなく、
生きる方法なのです。

<P154〜P162>

原訳「法句経」一日一悟 
アルボムッレ・スマナサーラ大長老著書より抜粋致しました。

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