★たとえ小さな悪であっても

★ナ チャ クッダン サマーチャーレー Na ca khuddam samacare まず、クッダ(khudda)は直訳すると「小さい、つまらない、 たいした事はない」という意味です。 どんなパーリー語にも幾つか意味がありますが、 クッダも同じ「小さい」という意味もありますし、 「あまり評価できない」「悪い」とい…

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★少数派になることを恐れない

世間の人々は盲目である。 少数の者が真理を理解する。 とり網から逃れ出て、 空に生還する鳥が少ないように。(174) 真理を探し求める人は、今も少数派です。 抜群の能力をもち、あらゆることを発見して、 だれも知らないことを教えてくれる人々は当然少ないのです。 その貴重な人々が、だれも仲間がいないから …

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★不痴(探究・理解)

理解しにくいのは「不痴」です。 不痴とは、探究する心、発見する心、 ものごとを理解したり、新しいことにチャレンジしようとする 前向きなエネルギーのことです。 だらだらして生きるのではなく、自分から積極的に試したり、 調べたり、考えたり、チャレンジするという活発なエネルギーです。 「人に言われたからする…

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★意味のある生き方

生きることは無意味だからこそ、 私たちは「意味のある生き方」をするべきなのです。 それで守るべき項目が10項目(10善)あります。 ①殺生をしない。 ②盗まない。 ③邪な行為をしない。 身体でその3つを守る。 簡単でしょう。そんなに難しくないでしょう。 それから言葉に気をつける。 これは…

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★『個性』

個性は持って生まれたものだから、 いくら親だからといっても、どうにもならないだろう、 と考えるのは間違っています。 仏教には「無常」という言葉があります。 この世のあらゆるものは、とどまることなく変化している、 という意味です。 個性も同じ。 持って生まれたものが生涯そのままであるということはありません。 親…

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【評価の相対性】

経典では、感覚を苦・楽・不苦不楽という 3つに分けています。 修行者は、感覚をその3つに分けて観察しても構わないのです。 そこで面白いことを発見します。 「ある時は苦(痛み)と確認したのに、 ある時は同じ強度の感覚に不苦不楽とラベルを貼っているのではないか?」 と発見するのです。 同じように…

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★『自由を目指して精進する』

生きることを観察しようと始めても、 簡単に進むわけではないのです。 人間のこころに元々、自己観察する能力は無いのです。 無始なる過去から、五欲に依存することで、 思考・妄想・感情に依存することで生きてきたのです。 依存する癖が強すぎなのです。 そこで、覚悟して精進する必要があります…

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★「思考・妄想」という最大のエネルギー

身体の中に起こる最大のエネルギーを紹介します。 眼耳鼻舌身意の「意」は、考える・思考する・妄想する・夢想する、 などの働きをしています。 この「意」によって、相当な苦のエネルギーが起こるのです。 意に比べれば、見る、聴く、味わう、などのエネルギーは、 それほど大きくはないのです。 我々が何かを客観的に考える・思考…

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★無智に気づくためのチェックリスト

ここでどんなときに無智が強くなって働いているかを 知るための手掛かりをお教えしましょう。 以下に代表例をリストアップします。 ・正しい判断ができないとき ・判断できなくて優柔不断でいるとき ・鬱気味になるとき ・感情に負ける時 ・混乱状態、興奮状態になるとき ・妄想のストップも制御もできないと…

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★快楽ではなく智慧を探し求めよう

『なぜ笑う。何が楽しい。 炎に包まれている(燃えている)のに。 暗やみに覆われているのに。 なぜ光を求めないのか。(146)』 私たちは絶えず「何をして遊ぼうか、何をして笑おうか、 何をして楽しもうか」という衝動に駆られて生きています。 それは子供の生き方を観ているとよくわかります。 子供はいつも「今日は何をし…

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「自我の幻覚」への処方箋 

自分になんの中身も無いと、どうしても威張りたくなるもの。 自我を張れば張るほど、その人は空っぽです。 俺が俺がとペラペラ喋り続ける人ほど、徹底的に自信がないのです。 中身が充実した人は、自我の幻覚にすがる必要がないから、 謙虚に落ち着いていられるのです。 私たちは無始なる過去から、厄介な「自我の幻覚」で悩んできまし…

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★八正道は革命的な教え

お釈迦様の教えは、「神・仏を恐れなさい」「教えを信じなさい」 などといった態度とは正反対です。 「自分で考えなさい」「理解してみなさい」という態度で語るのです。 このように人の理性に語る教えは、いまだかつてありませんでした。 現在あらわれている新興宗教も、決して人間の理性には語っていません。 何かの工夫をして、人々を原…

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正定・・・八正道⑧心の統一

八正道のこれまでの説明を読むと、実践するのはそうとう 難しいのではないかと思われるかもしれません。 でも、決して無理なことではありません。 心の力を見くびってはなりません。 想像を絶する力が、心にはあるのです。 問題は、私たちはその心の力を分散させているということなのです。 百万円のお金を持っている人が、それをす…

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★正念・・・八正道⑦目覚めて生きる

正念という言葉を聞くと、「念仏」などの言葉が思い浮かぶにちがいありません。 「念」という字はパーリ語のsati(サティ)を漢訳して当てたものです。 そのせいでみな、漢字の「念」によって理解しようとしたのですが、 本来のサティの意味には気づかなくなってしまいました。 念とは、「気づくこと」です。それでも意味がわからないかも…

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★正精進・・・八正道⑥正しい努力

精進とは、努力することです。 「正しい努力をしなさい」と、 八正道の6番目の項目として説かれています。 どうせ努力するならば、正しく努力をするのは、あまりにも当たり前の話です。 しかし、前にも述べましたが、お釈迦様は当たり前の話はしません。 誰にでもわかっている話はなさいません。 誰にも発見することができなかった真理…

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★正命・・・八正道⑤正しい仕事

正命という言葉は誤解しやすいと思います。 パーリ語はsamma-ajiva(サンマーアージワ)です。 アージーワとは、「何をして生計を立てているのか」という意味です。 要するに、仕事のことです。 「間違った仕事をして生計を立ててはいけない」と言えば、 あまりにも当たり前のことです。 わざわざお釈迦様が語る必要もない項目です。…

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★正業・・・八正道④正しい行為

正業という言葉を見て、「正しいカルマ(業)」のことだと考えるのは、誤解です。 パーリ語はsamma-kammamta(サンマーカンマンタ)です。 カンマンタとは、やること、行うこと、為すこと、という意味になります。 いわゆる行為のことです。 行為といえばいろいろです。 生きること自体が無数の行為のかたまりです。 ・・…

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★正語を実行する場合の4つのポイント

①ウソをつかない  いつでも事実のみを語ろうと気をつけることです。 ②悪口を言わない  他人に不愉快な気持ちを与える目的で、 他人を侮辱する目的で、 他人を傷つける目的で語る場合は、当然、社会では使ってはならない乱暴な言葉を 使ってしまいます。 ですから、人を傷つける目的で、 非難する目的では決して語らない、と注…

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★正語・・・八正道③正しい言葉を語る

次にあるのは、「正しい言葉を語れ」(正語)という項目です。 人間は言葉の正しい使い方を知らないので、 自分にも他人にも多大な不幸をもたらします。 言葉の管理をできない人のことを、 お釈迦様は「口の中に両刃の斧がある」と説かれました。 人の舌を両刃の斧にたとえたのです。 「言葉を制御しないと、自分も他人も破壊してしまう…

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★正思惟・・・八正道②非論理的な欲・怒りは捨てる

正思惟(しょうしゆい)とは、考え方を正すことです。 これは大きな問題です。 人とは考える生き物です。その考えが正しくないならば、 何をやっても正しくないことをしていることになります。 成功を収めて幸福に生きていきたいと思うならば、 思考を正さなくてはいけません。 思考を正せば、行動は自ずと正しいことになるので…

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★正見・・・八正道①ありのままに見る

正見の意味は、正しい見解です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ありのままに見る」「ありのままに観察する」とは、 簡単で当たり前のことではないでしょうか。 それはその通りですが、実行しようとすると問題が起きます。 私たちは、ありのままに見ているのではなく、 あって欲しいままに見ている…

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★どうすれば苦がなくなるのか

お釈迦様が説かれる中道=「超越道」は、 八つの項目で構成されているので「八正道」とも言われています。 仏道とは八正道のことです。 苦しみを乗り越える道なので、 八正道を実行しようとした時点から、 苦しみが減ってゆく仕組みなのです。 その人の苦しみがどのくらい減るのか、ということは、 一人ひとりが…

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★理性がないとだまされる

生きるとはどういうことか、一度でも考えたことがない。 しかし、「生きることはありがたい」「生きることはすばらしい」 「生きていなくてはいけない」という感情。 でも、みんなが同じ感情を持っているからといって、 正しいとは言えません。 調べて証拠を見つけなくてはいけないのです。 調べて真理を発見するという作業は、…

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★「決断の速い人は人生の勝利者」の法話より

<一部>考え好きはいつも幸運を逃がす 真理を知るというのは幸福なことであります。 物事の法則を知っているなら、自己管理できる それが幸福なのです。 希望があるなら、自己管理してその方法を理解する。 しかし、私たちはどんな方法が良いのか解らないから いろいろな本や人が言うことに頼ります。 が、自己コントロール…

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●慈経 Metta Sutta

1.有意義なことについて巧みな人は、 静かな場所へ行き なすべきことがあります。 生きる上での、性格をしっかりして欲しい。 いつも揺らいでしまう芯のない生き方では、何も成し遂げられません。 我々は、高慢な人が嫌いなのに、 自分自身の高慢さには気付きません。 だからなかなか性格が直らない…

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★清らかな心は上方へ

お釈迦様はマハーナーマにこのように言いました。 「(そのように肉体が壊れても、) その人の長きにわたって saddha信(確信)、sila戒(道徳)、suta聞(学び)、 caga施(奉仕)、panna慧(智慧)によって 鍛練されたこころは、上方に超越に赴くのです」と。 これら五つの人格を向上させているなら、死ぬことはた…

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★肉体は毎日毎日、瞬間瞬間変化しています。

肉体は壊れるものなのです。 ここで「壊れる」という言葉に注意しなければなりません。 「壊れる」ということは二つの意味があります。 一つは「悪い状態に壊れる」ということ、 もう一つは「良い状態に壊れる」ということです。 たとえば、筋肉が痛いとしましょう。 これは「悪い状態に壊れる」ということです。 それで…

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