▲▲念処経講義から

「痛み」の正体/「痛み」が正体

身体の痛みというのはそれぐらいのことです。
気になったら痛いのであって気にならなかったら痛みはない。
そのへんは自由自在です。


身体の感覚を厳密に見てみようと集中力を育てると、


身体が全体的に痛みのかたまりのように感じる時もあります。

基本的に、細胞というのは痛みで生きているのです。

皆、痛みは消えて欲しい、消えてほしいと思うのですけど

「それならば死んでください」としか言えません。
痛みは消えないのです。



他の感覚はないからです。
楽しい感覚、快楽の感覚は細胞には無いのです。

神経細胞に感じられる信号は決まっていて、それは「痛み」という信号だけなのです。

他の情報は伝達できません。

我々はPCやテレビなど、いろんな電気製品を持っていますが、
そうした電気製品の部品の中で動く信号は電子だけでしょう。

他のものは全然、流れません。
すべての機械の中で電子だけが動いているのです。

テレビはテレビ、PCはPC、ステレオはステレオで仕事はしていますが、
中に流れるのは電子だけです。


たとえばマッサージしてもらうと気持ちがいいと感じるでしょう。
元々痛みがあったならば、マッサージを受けて、「ああ気持ちいい」と言うのです。

でも、本当は、マッサージ自体が痛みなのです。
身体に痛みが無い時、マッサージしてもらうとあまり気持ちよくなりません。

かなり痛いのです。
身体が凝って凝ってどうしようもない、普段も痛い、歩く時も座っているときも痛い。

そんなときにマッサージしてもらって、「気持ちいい」と思うその感覚は
ほとんど嘘であって、相対的なものなのです。


しっかりと冥想で身体を観察すると、身体が全体的にただ痛みのかたまりで
生きていることが解かります。
そうすると恐怖感が生まれてきます。

私が他所に生まれたとしても、心は痛みで動いているのではないかと。

心はvedana。受のあるところに生まれるのですから。
「たとえ天国に行っても、あるのは痛みだけだ」と知ったところで、

輪廻への恐怖感が生まれて、心が解脱の方向へ向くのです。

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緩和医療とヴィパッサナー


冥想がいくらかできる人になると、痛みが身体の全体に出て、
自分自身が落ち込んで手もあげられないような状態になると、

その痛みを客観化するのです。

集中力をどんどん痛みを感じる部分に持っていくのです。

大ざっぱに「痛い、痛い」と悩むのではなく、どこが痛いのかと、
厳密にスポットに集中するのです。

「ここに痛みを感じる」と確認する。ただ、痛みを淡々と客観的に確認して、
沸きあがってくる主観的な感情は放っておくのです。

そうるすと、「痛みはあるけれど、別に大丈夫だ」ということで落ち着くのです。

痛みはどこかで生まれたら身体全体に広がってしまって、
皆「もう終わりだ」と思って倒れてしまうものなのです。

しかし、それは一般人の反応の仕方であって、

ヴィパッサナーでは、
感覚の発生源、オリジンを探すのです。

「ここから痛みは生まれて来る」と、

痛みのスポットを確認することで、


痛みの感覚が無際限に広がることを防げる。
それは一番簡単な、やりやすい方法です。


たとえば足がひどい病気になって痛いとする。
その人にとっては、足だけではなく頭のてっぺんまで傷むのです。
痛みが生まれたら、痛みが身体全体に広がってしまう。

そこで痛みがある足だけに集中していく。


次に、足が痛いといっても、足の全体が痛いわけではないのですから、痛みが
起きている局部に集中するのです。(つづく)


<P40~P43>
A.D.2011 パティパダー6月号より

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