◆冥想に「期待」は禁物

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冥想とは、自分のいまの状況を破って前に進むことです。
決して、冥想に浸ることではありません。
冥想では、妄想の放し飼いは禁止です。


実況中継という鎖で、つねに自分を縛り付けてください。

「修行とは野生動物をロープで繋ぐこと」と経典にもあります。
逃げようとするこころを実況中継で止めようとするのですから、
初心者にとって冥想はきつい仕事です。

野生のクマを捕まえているのだ、という気持ちでやってください。

最初は暴れていたクマも、やがて
「大人しくしていた方が楽だし、餌ももらえる」と理解するように
なります。

人間のこころも同じです。

妄想に逃げるのはやめて落ち着こうと決めたころで、幸福感が
生まれてくるのです。

冥想する人は、やがてこの上ない精神的な贅沢を感じるように
まります。

お釈迦様は、「樹の下で寝ている私は、コーサラ国の王様よりも
贅沢を味わっているのだ」と仰っています。

しかし、我々が自分の汚れた思考で「冥想の幸福感」を期待しても
意味がありません。

修行では、何かを期待する、ということは成り立たないのです。
覚りとは当たり前のシンプルな事実に気づくことです。

「禅定に入りたい」などの期待を持つと、さまざまな固定概念に
邪魔されて、小さな当たり前の事実に気づけなくなります。

冥想についてあれこれ悩むことは、こころにとって毒なのです。
ほんの少しでも自分の思考が混ざると、道はかなり遠くなります。


自己評価は「自我評価」です。

自我の幻覚を破る仏道とは正反対ですから、その場でアウトに
なってしまうのです。



「パティパダーB.E2555/A.D2011 4月号 智慧の扉」
アルボムッレ・スマナサーラ長老
編集:佐藤哲郎さん